BLOOD HIGH【第一話】

如月紫苑

第1話① 阿緒と天

 真っ暗な路地裏だ。古いビルとビルの間には街灯がない。まだ早い時間帯の月明かりが影を長く引き延ばしている。離れた大通りの喧騒が小さく聞こえて来る。

ゴッ

ビチャ!

 時折肉を激しく打ち潰す音に交じり、濡れた血飛沫が飛び散る音が続く。

ヒュン ガッ

ビチャ!

ガッ

ビチャ!

 ムチのようにしなる腕の拳が打ち付けられる度に男の顔の骨が砕けていく音が響く。異様なのはもう一つの音である。それはたかが外れた様にずっと興奮した笑い声である。

「あはははははははははは!」

ヒュン ガッ

ビチャ! ビチャ! ビチャ!

 顔の骨が崩壊し、中の脳ミソが鼻の代わりにぽっかり空いた頭蓋骨の穴から垂れ流れる。

「ひゃは! ひゃははははは!」

 もう肉片には全く命が伴っていなく、糸の切れたマリオネットのように衝撃の反動で揺れるのみである。男はやっと手を止め、大雑把に返り血で真っ赤に染まっている顔を腕で軽く拭う。綺麗にすっと伸びた細い鼻筋を大量の血が伝う。

「あはははは! 壊れるの、早いって!」

 男は長身で真っ黒なロングコートを翻しながらくるくると回る。跳ね返り血が周囲に飛び散る。適当に拭ったので相変わらず顔はまだ血だらけである。回転しているのをぴたっと止め、男はポケットから小さなビー玉を取り出す。そのビー玉を操作して肉片となった死体を撮影する。何枚か撮り、そのビー玉を手の甲で転がして遊ぶ。それを軽く空に投げてからパシッとキャッチする。

「あはははははは」

 ビー玉を仕舞うと男は酔ったようにふらふらしながらも軽やかなステップを踏んで路地裏を進んで行く。ずっと高揚した表情で口元が大きく笑っている。

 ふと、大きなゴミ箱の横を見ると血の跡の手形がある。真っ赤な跡は引き摺られて箱の奥横にぷっつりと切れている。男は自分の手を眺め、また跡を見て首を傾げる。

 音を立てずにススス~っと反対側に寄り、覗き込む。

 そこにはとても不健全な肌色の、髪が白と青の男が目を閉じてゴミ箱に背を預けて倒れている。真っ直ぐな鼻筋が通っていて、奥には閉じた白く長い睫毛がふるふると震えている。綺麗ではあるが中性的ではない精悍な男の顔。シンプルな黒い長袖を着ている。黒いズボンに包まれた長い脚が無造作に投げ出されている。

 血みどろの男はやたらと白い男に顔を近づけて観察をする。

「……」

 そっと指一本で額を強めにツンツンと突っついてみる。無反応に首を傾げ、今度は手で頭の天辺を鷲掴みにして顔を無理矢理上げる。

「……なんだ?」

 とても低音で不機嫌な声が聞こえる。血みどろの男は白い男の前にしゃがみこんでにこにこと顔を覗き込む。

「おはよう」

「お前、誰?」

「天。君は?」

 白い男が目を開ける。とても綺麗で大きめなビビッドブルーの目である。

「……阿緒(あお)」

「阿緒かぁ。君、美形だねぇ。なんでここで寝ているの?」

 白い男は男を睨む。

「……怪我しているんだよ。見て分かんねぇ? お前、鬱陶しいな……感染者か?」

 天は目を細めてにやりと笑う。

「ふふふふ。どうだろ?」

「……どっちでもいいや。てめぇはあっち行け」

「えぇ、お兄さんノリ悪いねぇ。なんで怪我したの?」

 阿緒は苛々を隠さずに頭を掴んでいる天の腕を薙ぎ払おうとする。怪我が痛むのか、天の腕がビクともしない。阿緒は舌打ちをして天を睨む。

「お前、いつもこんな鬱陶しい性格してんのか?」

「ハイになっている時だけ格別に。今日はとても、とても、とても気分が良いんだよ」

 天はまたにこにこしながら立ち上がり、やたらとハイテンションな声のピッチや大袈裟なジェスチャーを使ってくるくる回って楽しそうにする。

 いきなり動きを止め、ゆっくりと首を傾げたまま阿緒に顔を向ける。無音で静かに身を乗り出して一気に顔を近付ける。犬みたいに鼻をひくひくさせながら阿緒の匂いを嗅ぐ。片眉を上げ、にたぁっと笑う。鼻がくっつくそうなぐらいまで近付いて瞳孔が開ききった目を見開く。

「お兄さん、好いね。危ない香りがする」 

 唇の端から見える八重歯が少し長い。

「……クソ」

 阿緒は低く毒づくとそのままズルズルと地面に崩れ落ちる。天は無言で目を細め、静かに笑いながらそれを眺める。

「……――――」



    ◇◇◇

 世界は混沌としていた。

 凶悪犯罪が軒並み増え、世界でも治安がトップクラスで安全だった日本ですら普通の人がスタンガンやナイフを持ち運ぶのがスタンダードになっていた。殺人が日常茶飯事になり、警察でさえも理由なき捜査は開始すらしない。

 その中で爆発的に増えてきたのが病原体で異変した人種だ。一番厄介なのがバンパイア種に属する人外の人達である。その名前の由来通り、太陽光やニンニクへのアレルギー体質と異様に血液への執着が特徴だ。驚異的な生命力と治癒力を持ち、心臓または脳の破壊、斬首する事でしか殺せない。寿命が短いのが民話などのバンパイアとの違いである。

 今、この人達への血液供給が社会問題となっている。人工血液への需要が爆発的に増え、氏名と国民番号をレジスター登録しなければいけない事から次第に違法で入手出来る人間の血液の人気が出始める。この違法血液を秘密裏に売買し、生計を立てている人達は『血液収集家(ブラッドコレクター)』と呼ばれている。人間を無闇に襲い始めて人間としての理性を失ったバンパイアを殺処分する人達は『吸血鬼狩人(バンパイアハンター)』、そして止めどなく増えてしまった人口で次々と依頼暗殺していく人達は『暗殺者(キラー)』である。コレクター、ハンター、キラーの三者を上手く扱える者が政界と財界を握れると言われている。自らの暗殺依頼が出るまでは――――。



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