第14話
数太はコンビニ弁当を食べながら、片手でスマホをいじっていた。ヘアーサロンのサイトを見ていたのだ。そのサイトのスタッフ紹介欄に、シャンプーしてくれたアシスタントの新田の画像があった。
(可愛いよなぁー。何歳だろう? オレより上かなあ)
それから数太は、どうやったら新田とライン交換が出来るだろうかと、いろいろなシュツエーションを想像した。そこに電話が鳴った。
「もしもし、数太」母親だった。
「あんたぁ、もうすぐ夏休みじゃろう?」
「おん。20日から」
「あんた、夏休みになったら、岡山に帰ってくるんじゃろうなぁ?」
「ううーん、でも、バイトあるけんなぁ~」
「そう言(ゆ)うても、盆には帰って来られえなぁ。父さんも、待っとるけんなぁ」
「あっああ、盆には帰る」
数太の本心は、(面倒臭いなぁ~)だった。
「あんた、ちゃんと食べとん? 野菜も摂とん?」
「ああ、今も自炊の夕飯食べとる」と、鳥の唐揚げのタルタルソースを箸で弄んだ。
電話を切るとまたヘアーサロンのサイトを開こうとした。サファリのアプリをタップした。サイト画面が表示されるその瞬時、チラッと何かの画面が現れて消えた。そのチラッとは、コンマ1秒もなかった。
(ううぅん?)
数太の瞳孔が固まった。
(なんだ今の?)
数太はアプリを閉じて、またサファリをタップした。普通にヘアーサロンのサイトが開いた。
(気のせいか……。あのチラッと見えたの、あれ確か、線路だったような。何か、あの自殺現場の画像だったような……)
数太はもう一度、サイトを閉じて、サファリを開いた。何の異常もなくヘアーサロンのサイトが開いた。
(やっぱ、気のせいか……。しっかし、何でまたあの画像が見えたように思ったんだろう?)
数太は首を捻った。
坊主にしたその日、数太は早くからベッドに入った。エッチなサイトを見ようかと思った。思ったが、またアシスタントの新田の画像が見たくなり、ヘアーサロンのサイトを開いた。
(そう言えば、玲奈の画像も整理しないとなぁ……)
数太は写真アプリをタップして、マイアルバムを開いた。そこには玲奈との時間も、リョウとの思い出も詰まっていた。玲奈の画像は、『苦いモノ』と言うフォルダーを作り、そこへ移動させていった。まだ、ふっきれていなかったのだ。
(この画像に)と、誕生日に六本木で撮った画像を見ていた。
(この画像に、玲奈、言いがかり、付けたんだよなあ)
言いがかりをつけた画像は3枚あった。2枚を削除して、1枚をフォルダーに移した。そしてその1枚を凝視した。
(オレの脇から、ちぎれた手首が覗いているって、玲奈はラインして来たんだよな~)
数太は、画像を拡大した。
(そんなもの、どこにも映ってないじゃないかよ!)
数太は舌打ちした。舌打ちしてから、玲奈の画像を、1枚また1枚と『苦いモノ』フォルダーに移動させた。だんだん瞼が重くなっていった。
瞼を閉じたと思ったら、襟足にチクチクした軽い痛みを感じ、『チョッキ』と耳元で音がした。数太はギョッとして瞼を開けた。目の真ん前に大きな鋏があった。その鋏は『チョッキ』と音をさせて空を切って消えた。消えた先にまた鋏があった。鋏は『チョッキ』と音を立てて消えた。消えた先にまた鋏があった。鋏は空を切ってまた消えた。また鋏があった。
『チョッキ、チョッキ、チョッキ、チョッキ……』
数太は「バリカンでいいっスよ。坊主なんだから」と言った。そう言ってからも、現れては消える鋏に向かって、歩いているような気がしていた。どれだけの鋏が空を切って消えただろう。やがて目の前にボヤッと画像が浮き出てきた。映画館で大きなスクリーンを前にした感じだった。画像はやがてハッキリしてきた。アシスタントの新田の画像だった。数太は言った。
「新田さん、バリカンでいいよ」
するとその画像は、大きな鋏で『ザックリ』と真っ2つに切られた。これで画像は2枚になった筈だ。が、紙吹雪となり、数太の頬を音をたてて掠め四散した。四散した紙吹雪の向こうから、ピンク色の靄が立ち込めて来た。頬を冷気が撫ぜた。
靄の中に、真っ直ぐ伸びる1本の道が見えた。
その道の両側には大木が並んでいた。
大木の枝々はピンク色の靄を突き刺しアーチ状になっていた。
木は笑っているように見えた。
木が笑うなんてそんなバカな事はないのだが、幹の節穴が目や口に、折れた枝が鼻のように見えたのだ。事実、表情さえあった。それは笑顔だった。
花が散ってきた。数太は木を見上げた。びっしり花をつけて枝はしなっていた。しなって互いに絡み合い、揺れていた。
(枝がスクラム組んでいる)
数太は散る花を掌に受けた。
道の向こうで何かが動いた。数太は背伸びした。動いたものはウサギだった。
ウサギはチェックのベストを着ていた。数太は(えっ?)と足元をズラした。その調子に足元が滑った。カサッと音が立った。
ウサギが振り向いた。
ウサギは黄色い花を咥えていた。
ウサギは跳ねて木に隠れた。
隠れて木から顔を覗かせた。
ウサギの赤い目と数太の目が合った。
数太はウサギに近づいた。
ウサギは驚き向かい側の木に飛び移った。
飛び移って数太を覗いた。
数太はウサギを追った。
その足はもどかしかった。
数太が近づいただけ、ウサギは跳ね逃げた。
「待てぇ!」
数太は声を出した。
その声は靄に吸い込まれた。
声を吸い込んだ靄は青味を帯びた。
見上げたら、枝々にびっしりと葉が茂っていた。
木々はますます激しく揺れ、土埃をたてて根を地面から見え隠れさせていた。
木々が小躍りしているようだった。
ウサギは木から木へ前のめりに跳ねていた。
やがて靄が赤くなった。
紅葉だと思った。
道も真っ赤で、それは落ち葉のせいだと思った。
静かだった。木々は息を殺していた。
枝を見上げた。
枝は赤い管になっていた。
珊瑚ミズキに似ていた。
血管のようだった。
管から赤い液体が滴った。
数太の額を赤いモノが流れた。
突然、ウサギが数太の真ん前に飛び出て来た。
飛び出てその場で空中に跳ね上がった。
ウサギに重みがないようだった。
突然、靄が晴れた。
暗い夜空が広かった。
夜空の下に池があった。
池は真珠のような月に照らされ、鉛色に光っていた。
ウサギの咥えていた黄色い花が池に落ちた。
池に映った月が崩れた。
やがて水面が静まるとそこは鏡になった。
月は鏡に明らかになった。
鏡には女も映っていた。
その女はウサギの耳を握っていた。
ウサギはだらしなくぶら下がっていた。
数太は夜空を見上げた。
女はいなかった。月があるだけだった。
数太はまた池を見た。
水面には女はいた。
ぶら下がったウサギが、吊り上がった目で数太を見た。っと、その時、
女の髪が数太の方にうねって伸びて来た。
伸びた毛先は濡れていた。
髪が数太の手足に巻き付いた。
目の前の鏡に漣が起った。
鏡は水面に戻ったのだ。
数太は池の方によろめいた・
「やめろ!」と肩を掴まれた。
数太の目の前を、高速の電車が通り過ぎた。数太は後ろを振り向いた。見知らぬ男がいた。男はひどく動揺していた。周りを見渡した。数太は代田橋駅ホームの、5号車の1番ドアーが停まる位置に立っていた。
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