第13話
リョウは骨壺に納まって、故郷の仙台に帰って行った。数太は東京駅のホームまで見送った。リョウの両親は公務員だと聞いていた。二人とも礼儀正しく真面目だった。数太は泣けて泣けてしょうがなかった。玲奈を失った時より悲しかった。
(リョウさん、結局、オレに紹介してくれなかったんっスね)
数太は、白風呂敷に包まれたリョウに心で愚痴を言った。新幹線が動き出した。数太はリョウから離れられなかった。新幹線の速度に追いつけなくなるまで、数太はホームを走った。
リョウを見送った数日後、数太は行きつけのヘアーサロンのドアーを押した。サロンは代田橋駅前にあった。久しぶりだった。鏡の前に座って自分をしげしげと見た。髪のカラーはすっかり落ち、薄レモン色のみじめなものになっていた。
(オレの色が抜けた髪を、リョウさん、シンキ臭いって言ってたっけ)
「今日はどうする?」
鏡越しに店長が笑顔を散らした。この30代前半の店長は、数太が少し気になる美人だった。
「どうしよっかなぁ~」
「今日もカラー入れる?」と店長は言ってカルテを見た。
「丁度、2か月前ね?」
「えっ?」
「前にウチに来てくれたのが、5月17日よ」
(ああ、そうだった)と数太は思い出した。
(ここでカラーを入れた後、あの自殺現場に居合わせたんだ)
「手島さん?」
店長は口角を上げて愛想笑いをしていた。
「今日どうする~?」と言って、2本の指で数太の髪を挟み上げた。
「ううぅん、どうしよっかなぁ……」
「まあ珍しい。今日は考えて来なかったの?」
数太は頷いた。
「今日もカラー入れる?」
「そうだなぁ~。思い切って、坊主にしようかなぁ」
「坊主! また何の心境の変化!」
「まあ、いろいろあって。うん、坊主にしま~す」
「えっ、いいの?」
数太は明るく頷いた。
数太の髪にバリカンが入った。ザッザッと、シンキ臭い髪がヘアーエプロンに落ちた。
「前に、ここでカラー入れてもらった直後、凄い事件があったんっスよ」
数太が鏡の店長に話しかけた。
「何かあったの?」
「駅で自殺があって、その現場に居合わせて」
店長の視線と合った。店長はバリカンのスイッチをオフにして、記憶を手繰る表情をした。
「ああ、あれね。そうそう、手島さんを送り出して、丁度お昼の休憩を頂いていた時、駅前に救急車とパトカーが集まって……。覚えてる、って言うより、自殺された方、ウチのお客さんだったのよ」
「えっ、そうなんっスか?」
「ううん。でもそんなに通ってくれた訳ではないの。マイさんって人」
「マイ?」
「ええ。ほらあの、踊りを舞ったの『舞』」
「ええ……ぇ」
「きれいな人だったのよ」
「飛び込む前に、オレ、目と目が合ったんっスけど、確かにきれいだった。ちょっと居ない位きれいだった」
「そうなの、そうなの。それにね、ファンシーグッズや絵本が大好きで、ほら不思議な国のアリスに出てくるウサギ、ああ言ったキャラクターがお気に入りでね、メルヘンチックな可愛い人だったのよ」
「何で自殺なんかしたんだろう……」
「私、何となく分かる気がするの。可哀想な人だったから。でも、気さくな人だったのよ。いろいろな話をしてくれて。身の上話なんかも、よくしてくれたの。確か、新潟の生まれだったのよね」と店長は言った後、バリカンを動かしながらその身の上話を教えてくれた。
舞は新潟の小都市のクリーニング屋の娘だった。早くに母親を亡くしたのだそうだ。あとに入った連れ子持ちの継母は、気性の激しい女で、舞とは合わなかった。気の弱い父親は継母の言いなりで、自然、舞の居場所はなくなった。舞は家出同然で上京をした。
17の夏だった。
「舞ちゃん、高校の家政科に通っていたそうなの。でっ、裁縫が得意で、コートや浴衣ぐらい縫えたそうよ。家がクリーニング店をしていたでしょう。だから、お直しの手伝いで、お小遣い稼いでいたんですって。手先の器用な人だったわ。洋服やバッグには、必ず『MAI』って、アルファベットの刺繍を入れて……、あの斜めになっている書体、何て言うのだったかしら?」
「斜め?」
「アルファベットのゴシック体じゃあなくって……、あの、ココまで出ているのに……」
「イタリック体?」
「そうそう、イタリック体。そのイタリック体で、ほとんどの持ち物に、『MAI』って刺繡をいれていたのよ。それも薔薇の花が絡まっている凝ったものなの。細かい刺繍だったわ。ネエ、器用でしょう」
「そうっスねぇ~」
「舞さんに『凄いわねぇ……』って言ったら、『自分の持ちモノには、全部このネームを入れるの。ネームを入れたものは、私のものって言う、しるしだものね』って笑っていたわ」
「へぇ—」
「上京した時にね、洋裁の腕を活かして、原宿のショップかなんかで働こうって……。高校生の知恵よね。簡単にそう考えていたんですって」
ところが、身元がハッキリしない少女を雇ってくれるところは、オイソレとは見つからなかった。バイト募集の張り紙を店頭に見つけても、敷居は高く感じた。3日目の夜を深夜営業のマクドナルドで潰していた。そこに1人の男が現れた。
「家出少女を食い物にする悪い男よ。だいたい想像出来るでしょう? 舞ちゃん、お約束のパターンにはまったわけ。『口には出来ないようなお仕事』って、無邪気に笑っていたけどね」
舞は『口には出来ないようなお仕事』を転々とした。キャバクラで働いていた時、そこの従業員と付き合い始めた。
「そのキャバクラで、裾がここにある浴衣を着ていたんですって」と店長は腿と股との境目に指でラインを引いた。数太は赤くなった。
「付き合った従業員の男に借金があったみたいでね。2人は、夜逃げして……」
舞は結局、惚れた男のカモにされた。男は働かず、舞は相変わらずの水商売で生活を支えた。男は、逃げた先でもギャンブルで借金を重ね、挙句の果てに女を作って姿をくらました。
「舞ちゃんのアパートに、人相の悪い男が2人来たそうよ」
舞は借金の肩代わりとして、もっと金になる仕事を始めさせられた。
「『身体を張ったお仕事だったの』って言っていたわ。だいたい分かるでしょ」
その『身体を張ったお仕事』先でまたある男と知り合った。今度は店の客だった。
「『わたし、優しい人に弱くって……』なんて、恥ずかしそうに言ってたの。次の男は相当優しかったみたいよ」
その優しい男は、舞に何度も小遣いを強請った。舞は店に借金までして貢いだ。ところがその男には妻子がいた。ある日、男の妻と名乗る女が、舞のアパートに怒鳴り込んで来た。
「『うちの亭主から、いくら金を巻き上げる積りなのよ。この泥棒猫!』って、髪の毛を引っ張られたそうよ」
「ううぅーん。でもあれだけの美人だったら、他に何とかなりそうなもんだけど……」
「そうそう、そうなのよね。きれいだから男に貢がせるぐらい出来そうでしょう。だから私も言ったの、銀座とかで、高級な男を相手にすればよかったのにって。すると『わたし、臆病で……』って照れ笑いして……。代田橋に住むようになったのは、1年前ですって。お店の借金を肩代わりしてくれた男の人が現れて……。その人が代田橋に住んでいたのね。それで、ここへ引っ越して来たそうよ」
肩代わりしてくれた男と出会った所は、『身体を張ったお仕事』先の仕事仲間と、たまたま飲みに出かけた居酒屋だった。舞は、『身体を張ったお仕事』から身を引き、代田橋の男のアパートに引っ越して来た。引っ越して、得意の裁縫で家計を補いながら、慎ましい暮らしを始めたらしい。やがてお腹にその男の子供を身籠った。
「籍は入れていなかったみたい。舞ちゃん、『やっと、人並みの幸せを掴んだのよ。よく怖いほど幸せって言うでしょう。でも今のわたしは、痛いほど幸せなの。もう絶対、離さないの』なんて惚気てね。『ウチの人に、『MAI』って、タトゥーを、左手の薬指に入れてもらったの。永遠にわたしのものって言うしるしに……』って、嬉しそうに笑っていたわ。よく2人で歩いているところを見かけたの。仲良くってね。建築関係のお仕事じゃあないかしら、相手の男の人。いつもそんな恰好をしていたわ。それがね、カッコイイ男だったの。私も、ちょっとキュウってなっちゃって」
数太は唇を尖らせて、肩を上げた。
「でも、不幸な人って、とことんツイていないみたいね。その男の人、他にも女がいて。二股だったそうよ。見抜けなかった舞ちゃんも舞ちゃんだけど……。相手の人、逃げちゃたんですって、女と。そのショックで舞ちゃん、流産しちゃって。舞ちゃん、きっと思いつめたのよねえ」
数太は(あれっ)と思った。どこかで聞いた、いや見たような話だと思った。ディジャヴではないかと思った。ただそれが、どこでいつ聞いたか見たか思い出せなかった。
「近所の人の話だと、ちょっと気が変になっていたんじゃあないかって。舞ちゃんって、恋愛依存度が高いなぁ~って、わたしも思っていたの。それにね、『わたしって、独占欲が強くて~』って、本人も認めていたんだけど、ちょっとあれなの」
「あれって?」
「男の人が、異常に好きなタイプ……」と店長は口を濁した。
「つまり色情狂」
「極端ねぇ……。そう言うんじゃあなくて、ほら、ファンシーグッズとか好きなコって、頭の中がお花畑で、自分の都合のいい方に思い込んでしまいがちでしょう……。おめでたいって言うか」
店長はバリカンをオフにして数太の頭から髪の毛を払った。そして作った小さい声で、
「それにね、流産してから、同じ年格好の男の人を見ると、変な薄ら笑い浮かべるようになってしまって……」と言った。
「そう言えば」と数太は鏡越しに店長に言った。
「オレと目と目が合った時も、笑っていたと思う」
「そうなの……。独善的な人って、怖いのよ……。手島さんの頭、形がいいから、坊主よく似合っているわ。触ると気持ちいい」
店長は数太の頭を撫ぜながら、愛想よく笑った。そして、
「あら?」と目をしばたたかせた。
「手島さん、襟足がかぶれているわよ」
店長は合わせ鏡にして襟足を数太に見せた。数太は首を斜めにして正面の鏡を覗いた。
「本当だ。赤くなってる……」
そこへ、
「いらっしゃいませ。休憩、ありがとうございました」と、若い女が会釈して鏡の中を通り過ぎた。数太はそのコと目と目が合ったような気がした。
「えっ、店長。今の人は?」
「やだ手島さん。隅に置けない。ウチの店に入った新人のアシスタントよ」と言ってから数太の耳近くに口を寄せて、
「かわいいでしょう? でもちょっかい出したら駄目よ」と囁いた。
「な、なに、言うんですか~」
「ねぇねえ」と店長は新人のアシスタントに声を掛けた。
「はーい」
「こちらのお客様のシャンプーをお願いしまーす」
「はーい」
「くれぐれも、ちょっかいを出さないでね」
店長はまた、数太の耳元に囁いた。
(しっかしこの店長は、自殺した女のこともそうだけど、よく人を見ているなあ)
数太は変に感心した。
シャンプー台に仰向けになって寝かされた。顔の上にガーゼを被せられた。
「お湯加減は大丈夫ですか?」
アシスタントが小鳥のような声で尋ねてきた。
「はい」
坊主頭にシャンプーは冷ッと感じた。初めて試した坊主だった。冷ッとした感覚は新鮮だった。
「お痒いところはないですか?」
「大丈夫です」
それから数太は得意のちょっかいを出し始めた。
「いつからこのお店にいるの?」
「1か月前からです」
数太は顔のガーゼをずらした。
「オレ、手島って言います。手島数太。アシスタントさんは何て言うんですか?」
アシスタントの笑った視線がチラッと数太の目の上を滑った。
「新田って言います」
アシスタントはガーゼを上げた。
「新田さんかぁ……」
数太は下の名前も聞こうかと思った。思ったが、今日はやめにした。シャンプーが流された。今度は粘り付く冷たい感覚が頭皮に染みた。甘ったるい匂いもした。
「坊主頭にトリートメントって変ですよね」
数太の言葉に、アシスタントは小鳥のような声で笑った。
「新田さん」と数太はまたガーゼをずらした。
「シャンプーする時のこのガーゼ、オレ、苦手なんです」
「えっ」
「なんかさあ、ほら、ドラマなんかで死体の顔に白い布を被せるけど、あれそっくりで」
「そう言う人、何人かいましたよ」
「それに、きれいな顔が見れないから」
ちょっと、言い過ぎたと思った。とっ、その時、突然、シャワーの水量が増え、湯が数太の顔を直撃した。
「大丈夫ですか!」
アシスタントは、小鳥が飛び立つような声を上げて蛇口を調整した。数太は眩しいほどの優しい笑顔で頷いた。アシスタントはタオルで数太の顔を拭くと、またガーゼを上げた。数太はそれをすぐずらした。
「だから、顔が見えなくなるって」
アシスタントは小さく笑ってガーゼを上げた。
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