第12話

 7月5日になった。リョウのライブの日だった。ステージ衣装はライブ当日の昼過ぎに出来上がった。数太は希翔と高円寺の駅前で待ち合わせをした。そしてライブの始まる30分前に、2人して会場に入った。

 ステージの上では、リョウがバンド仲間と電子ピアノを動かしていた。

「ちーッス、リョウさん!」数太が声を掛けた。

「おお数太」

リョウがステージを飛び降り駆け寄って来た。

「こいつ、ダチの希翔です」

「どうも」希翔は少し緊張していた。

「ああ、はじめまして……、だよな」

希翔は頷いた。

「リョウさん、出来ましたよ」と数太は手提げの紙袋を差し出した。

「待ってたよ、デザイナー先生!」

リョウは目を輝かして衣装を取り出した。そして腰の弱いペラペラするポリエステルのシャツを広げ、身体にあてた。

「あれ?」と、数太が素っ頓狂な声を上げた。

「あれ、リョウさん、それ、汚れてる!」

数太は驚いて袋の中を覗いた。中にはホワイトデニムの短パンが入っていた。短パンを広げてみた。それは汚れていなかった。袋の中をもう1度確認した。空っぽだった。

「何で、シャツにシミが付いてんだ」と数太は首を傾(かし)げた。

「これシミなのか?」

リョウは、シャツの前後見頃にあった赤茶色の模様を指さした。

「シミっスよ、それ。ええぇッ、なんでだ!」

数太はリョウのからシャツを奪うと、それを振った。何も振り落とされなかった。更にシャツを上から下に握り拳で滑らせて探ってみた。何の手応えもなかった。シミは乾いていた。

「おかしいっス。袋に詰めた時、周りにミシン油もコーヒーもコーラも、醤油もなかったんっスよ」

数太はまだシャツを振っていた。

「オレ、これ模様かと思ったぜ。いいじゃねぇかよ、これ。真っ白より、何かさぁ、ファンキーでさぁ。スゲー気に入ったよ数太」

数太はシミを嗅いだ。何の臭いもしなかった。

「気にすんなよ数太。ブッチャケ、気に入ったんだからよぉ」

「いやぁ~、オレは納得できないッスよ」

「いいって、いいって」と、リョウはシャツをタンクトップの上に羽織った。

「それ、素肌に来てもらおうと思ってたんっス」

「ああ、当然だろ。どうだ」と言って、リョウはグルリと一回転した。シミは、模様と言えばそうとも取れた。

「よーし」とリョウは言って、数太と肩を組んだ。そして、カウンターバーに向かって、

「兄ちゃん。この2人はフリードリンクで頼むよ。オレに付けといてくれ!」と、景気よく言った。景気よく言ってから、希翔とも肩を組んで、

「ジャンジャン、飲んで、楽しんでくれよなぁ」と両の手で2人の肩を叩いた。

「リョウ!」とステージから声がした。

「この辺でいいかぁ?」

バンド仲間が電子ピアノを隅っこに据えた。そのピアノは、小さなグランドピアノと言った代物だった。

「ああ」とリョウは、ステージにグッドサインを送った。

「真っ昼間に、シャンソンのマチネとか言ったシケたもんがあったようでさあ。そのピアノだ、あれ」と顎で指した。

バンド仲間はピアノに黒いカバーを掛けていた。それからリョウは数太を下から覗き込むようにして、

「ライブ終わったら約束のアレ。今日、ココに来るからさぁ」と言った。

数太はカッと熱くなった。

熱くなったが、「えっ?」と、とぼけた。

「何言ってんの、ボ~や」とリョウは数太の背中を叩きウインクした。

 ライブは人いきれがする程に盛況だった。数太は今まで何度もリョウのライブに付き合ったが、これほど込んだのは初めてだった。

(この中に、リョウさんが紹介してくれるコがいるんだ)

数太は自分が作った衣装より、ましてやリョウの歌より、その方が気になっていた。

 衣装は照明に合わせて様々な表情を出した。ポリエステルの光沢も、銀のラメ糸のキラキラも効果的だった。数太の思惑通りだった。それに、あのシミも、リョウの全身に彫られたタトゥーとよく溶け合っていた。

(結果、オーライか)

数太はジントニックをひと口飲んだ。

 ステージのリョウはノリノリだった。休憩なしでもう1時間半も歌っていた。エキサイトしたリョウは、ステージからフロアーまで縦横無尽に走り回り、飛び跳ね、寝ころび、スポットライトが追い付かない状態だった。左右のスクリーンの大写しは、グリズルと、ラメと、リョウの汗で、ギラギラ人の目を射抜いていた。

(この画面が、YouTubeにアップされるんだな。しかし、どのコを紹介してくれるんだろう。暗いから、顔がよく分からないなぁ~)

数太はステージより、フロアーの方が気になった。

リョウは電子ピアノの上に飛び上がった。そこで手を叩き、何度も飛び跳ねる悪ノリをした。数太はピアノが壊れないか心配した。

希翔が肘を突きながら何か言った。

「えっ?」

何を言われたか聞き取れなかった。音に、耳がバカになっていたのだ。

「なぁ、なぁ、数太」

希翔が数太の耳に口を付けて叫んだ。

「オレ、さっきからさぁ、気になってしょうがないんだけどさあ。あのシミ『ジャマモノ』って文字に見えねぇかぁ?」

「あぁ?」

「あの背中のシミだよ。カタカナで、『ジャマモノ』って読めないか」

丁度ソロのドラムになって、リョウは背中をフロアーに見せてリズムを取っていた。数太は瞼を開閉して身を乗り出した。

「確かになぁ、そう見ようと思えば、そう読めるなぁ~」

数太も叫んだ。

客の半分は熱狂していた。残り半分の、そのまた半分は無理に熱狂、あるいは熱狂のフリをしていた。残りは冷めていた。

(紹介してくれるコは、ヘビメタが好きでないコの方がいいなあぁ……)

数太はグラスの縁を噛んでフロアーを見渡した。

と、その時だった。ステージから【ガーン!】と強烈な落下音がした。場内は時間が止まったように静まり返った。数太はステージを見た。電子ピアノが傾いていた。ピアノの脚が1本折れていた。

「イヤー」と女の悲鳴が上がった。ス

テージから遠ざかる客と近寄る客で、フロアーは混ぜ返された。

数太は、人を掻き分けステージに近づいた。

ピアノの下には、頭部から血を流したリョウが倒れていた。

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