第10話
トラックの車内では、リョウの歌うヘビメタが流れていた。リョウの声は錆びた部類だった。錆びたその絶叫はエレキによく合った。
「ここからだよ。ここからのリフレインが、何て言うか、魂に響くんだよ」
リョウはハンドルを固く握った。
『♪待ったなし、待ったなし、待ったなしで、待ってらんねぇよ~。だから何度も確かめたんだ、お前の気持~。待ったなし、待ったなし……』
安物のスピーカーから流れるリョウの絶叫は、完全に割れていた。
「んなぁ。いいだろう?」
リョウはハンドルを握って身体をゆすった。
「ええぇ……」数太は苦(にが)った声で空返事をした。
2人が乗っていたのはアドトラックだった。荷台に歌舞伎町のホストクラブの看板広告を載せていた。内側のLEDライトが巨大な3人のホストの顔を照らし出していた。トラックの外のスピーカーからは、ホストが歌うPOPな曲が流れていた。敢えて言えばリョウのヘビメタより、この軽薄な曲の方が、数太には理解しやすかった。
「しかしよぉ、数太。やっと元気出て来たな」
リョウは数太の膝の上のポテチの袋に手を伸ばした。伸ばして、青海苔が乗ったスライスを摘まんだ。
「一時は落ち込んで、お前、死んだようになっていたからなぁ」
リョウは横目を使った。
「オレ、そんなに落ち込んでいましたかぁ~」
「ああ、凄かったぜ。お前、そろそろ髪に色入れよな。そのままじゃあ、シンキ臭くて、みっともないぜ」
「金が出来たら、その内に……」
この1か月、数太は身を構っていなかった。カラーのグリーンは落ち切って、伸びた分の根元以外は薄いレモン色になっていた。
「そんなによかったのか、汐留の不動産屋のねえちゃんは?」
「もう、言わないで下さいよ。終わったことっスよ」
「しかし1か月で立ち直ったのは、上出来だな。もっと女々しいかと思っていたけどな」
数太は苦笑いした。
トラックは世田谷の倉庫を午後4時に出た。出てからずっと、新宿プリンスホテル前を曲がり、伊勢丹角を曲がり、靖国通りと新宿通りの同じ区域を、もう3時間もグルグル回っていた。リョウから『バイトに付き合ってくれ』とラインがあり気軽に承諾した。玲奈と別れ、コンペの服作りも一段落していたので、暇だった。
「リョウさん、あと何周するんっスか?」
「ああ、8時までだから、あと1時間な」
(楽だが、話し相手でもいなければ、退屈するバイトだなぁ)と数太は思った。
(だからリョウさんはオレを誘ったのか)
最初はトラックから新宿の繁華街を見下ろせて、面白いと思った。しかし流石に、3時間も同じ景色を見続けていたら苦痛になった。数太はポテチを口に入れた。
「数太、お前また賞を取ったんだってな」
「誰から聞いたんっスか?」
「お前のバイト先の居酒屋の店長からだ」
「ああ、そうっスか?」
「2年続けて賞を取るなんて、お前、才能あるんじゃあねぇのか?」
「怪我の巧妙っスよ」
「えっ?」
「何でもないっス。リョウさん、ボリューム下げてもいいっスか。大声で話すのに疲れて……」
「ああ」とリョウは言って、オーディオのボリュームをタップした。
「ところで、今度のさぁ、ライブなんだけどさあ、YouTubeにあげることにしてさぁ」
「そうなんっスか」
「おいおい、もっとビックリしてくれよなぁ~」
「編集とかアップとか、リョウさん、そんな器用なこと出来るんっスか?」
「いやいや、オレはバカだから、そんな面倒なことは出来ねぇけど、ダチにYouTuber
やってんのがいてさあ」
「そうなんっスね」
「これで、全世界を相手に、勝負出来るよな!」
「大きく出ましたね」
「そりゃあそうさ。業界の目に留まって、メジャーになるかもな」
リョウはポテチの袋に手を伸ばした。リョウの首には、蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。その首を伸ばして前を見つめる目は輝いていた。
(リョウさん、本気になっている)
数太はおかしかった。
「そこでな数太」
リョウの横目と合った。
「うぅ、なんっスか」
「衣装を作って欲しいだ。ハウスの照明に映える、ううぅん、なんつぅか、あれYouTube映えする、そんな衣装をさぁ、日本一の服飾専門学校で、2年連続で賞を取ったデザオナーさんにさぁ、作ってもらいたいんだよな」
「衣装っスかぁ~」
「頼むよ。YouTubeにアップしたら、全国区になれるぜ。衣装もどこかのお偉いさんの目に留まるかもしれないぜ」
「ふーん」
「なぁ、なぁ、いいだろ。お願い」と言ってリョウは、ハンドルにゴツンと頭をぶつけた。
「どんな衣装がいいんっスか?」
「作ってくれんのかよ!」
「だから、どんな……」
「任せるよ。賞を取ったデザイナーさんに任せる」
「いつまでっスか」
「7月5日が、ライブの日なんだ」
「1カ月間かぁ」
「出来るか?」
「イチから作らなくてもいいっスか」
「つぅと……?」
「アレンジでもいいっスか?」
「ああ、いいさ!」
リョウは明るく表情を散らした。数太はリョウのはしゃぎ様(よう)が嬉しかった。
「リョウさん、銀歯に青海苔が付いていますよ」
リョウはグリズルを嵌めていた。リョウは指でグリズルを撫ぜその指を見た。
「本当だ。海苔が付いてらぁ。メジャーになったら、青海苔のポテチは食べないようにしないとな」
それからリョウはグリズルをカッポと外し、前を開(はだ)けたアロハシャツのポケットに突っ込んだ。シャツの下にはタンクトップを合わせていた。胸元からスペードのジャックのタトゥーが見えた。
「数太。衣装を作ってくれるお礼に、女を紹介してやるよ」
「いいっスよ、そんな」と数太は言ったが、まんざらでもなかった。
「お前、年上がいいのか?」
(本当に紹介してくれるのか)と数太は思った。
「数太。黙ってちゃあ分かんねぇよ」
「女はしばらく、お休みっス」
半分、嘘だった。
「まあ、そう言うなよ。今度は年下にしろよ」
「どうせ、ガールズバーのお水でしょう」
「ちげーよ。お前に、歌舞伎町の女なんか、紹介するかよ。まぁ、任せとけよ」
リョウは、外のスピーカーから流れるホストの歌を切った。
「さてと、そろそろ時間だ。最後の一周としようぜ」とリョウは言った。言ってから、自分のスマホをブルーツゥースでトラックに繋いだ。
「仕上げに、リョウ様の歌を新宿に聴かせてやっかぁ!」
リョウは音楽アプリをタップした。トラックはエレキの『キュイーン』と言う音で震えた。強烈なドラムに乗ったリョウの錆びついた声は、トラックの悲鳴のようだった。歩道の人が一斉に運転席を見上げた。数太は空になったポテチの袋を口にあてがって、底に残った粉を流し込んだ。
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