第6話

 「…………ハッピバースディー、ディア数太……♪ ハッピバースディー、ツゥー、ユー♪」

数太は小さなケーキに、ぎっしり立ち並んだ20本蝋燭の灯を吹き消した。玲奈がパチパチと手をたたいた。

「おめでとう~」と言って玲奈は部屋の明かりをつけた。それから、半開きになった引き戸からキッチンに回り込み、

「数太君、ナイフは?」と尋ねた。

「ナイフ、無いんだよな~。シンクの下に、包丁があるよ」

「包丁? ムードないなあー」

玲奈は包丁を手にして部屋に戻ると、ケーキを切り分けた。

「数太君が、大きい方ね」

玲奈は『Happy Birthday Suuta』と書かれたチョコの板を、大き目にカットしたケーキに載せた。数太はホークでケーキを崩して口に入れた。

「付いているわよ」

「えっ?」

「ここ」と言って、玲奈は自分の鼻の先端を指さした。

「あっ、ああ……」

数太は指で拭きとったクリームを舐めた。

「ううぅん……。わたしが舐めてあげようと思ったのに……」

「んぅんじゃあ、ほら」と数太はケーキからクリームを掬って鼻先に付けた。

玲奈はじっと数太の目を見た。

「ほらっ」と数太は鼻先を玲奈に突き出した。玲奈は悲しそうな顔をした。

「玲奈。ほらっ」

数太は目を閉じて言った。玲奈の唇が近づく気配はなかった。数太は目を開けた。玲奈は俯いて、ホークでケーキを弄んでいた。

「どうしたの?」

数太は鼻先にクリームを付けたまま、玲奈を覗き込んだ。

「あのね?」

小さな声だった。数太の心臓はドキドキした。

「あのね。もうわたしたち、終わりにしない……」

「どっ、どうして」

「無理なのよ。これ以上、関係を続けるの、無理なの」

「いやだ!」

「数太君、分かって欲しいの」

「えっ?」

「わたし、もうすぐ28よ。それがどう言うことかって、数太君にも分かるでしょ?」

数太は泣きそうになった。そして、クリームを鼻先に付けた顔を左右に振った。

「いやだ。別れない。このまま、このままが、いい」

「無理、無理なの」

数太の頬に涙が伝わった。恥ずかしかった。数太は、テーブルに顔を伏せた。

「数太君」

玲奈が数太の背中に身体を寄せて来た。そして耳元に囁いた。

「数太君」

数太は顔を上げて振り向いた。鼻先のクリームは潰れていた。

「わたしと死んでくれる」

玲奈は静かに微笑んだ。

「あの」と玲奈は言って、ケーキの箱を結んでいた赤いリボンに目をやった。

「あのテープで、2人の腕をくくって、この包丁で手首を切ってくれる」

数太の肩に包丁が光った。

玲奈の目は真剣だった。

数太は「わぁ!」と大声を上げた。

そして「わぁ!」と自分の声に驚いた。声に驚いて跳ね起きた。ベッドの上だった。

「何だ。夢かぁ」

朝になっていた。頬がくすぐったかった。頬を触ってみた。濡れていた。溜息が出た。

(嫌な夢だなぁ……)と思った。バスルームに行って顔を洗った。

数太は3か月前、玲奈から、

「わたしたち、このまま、いけるのかしら」と、さらっと言われた事があった。嫌な言葉だった。あれからの玲奈は、少しぎこちないと思っていた。別れのきっかけを探しているようにも見えた。数太はずっと気になっていた。

(あのセリフ、きつかったなぁ)

数太はスポンジにお風呂用洗剤を付けた。付けてバスタブを磨き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る