第4話
「お店お探しですか……? 居酒屋どうですか?」
数太は、スマホをいじりながら歩く3人組のサラリーマンに声を掛けた。歌舞伎町で居酒屋のキャッチのバイトを始めて、半年になっていた。看板やスマホをしきりに眺めている人は、いいカモになる事を知っていた。声を掛けられた3人組は、数太の腰に巻いてあった藍染めの前掛けに目をやった。コムデギャルソンの川久保玲を崇拝する数太は、黒白の引きずるような服装を好んだ。それが背の高い数太には良く似合った。ただ引きずる服装に、居酒屋の前掛けは異様だった。
「飲みじゃなくて、ガールズバーを探してんの」と一番年若いサラリーマンが言った。
(こんなぁ時に、リョウさんがいたらなあ)
数太は心で舌打ちして、
「また機会があったら、よろしくお願いしま~す」と笑顔で前掛けを持ち上げた。店の名前をアッピールしたのだ。数太の笑顔は屈託がなかった。キャッチのバイトは、数太の通う専門学校で代々引き継がれたものだった。割といいバイトだった。ただ雇う居酒屋の店長は人選に厳しかった。愛想と愛嬌が人並み以上で、きちんと受け答えが出来なければ、面接を通してくれなかった。数太の人当たりのいい笑顔は、店長に気に入られた。
数太が付き合っていた玲奈(れいな)も、その笑顔を気に入っていた。玲奈は数太より7つ年上の27歳だった。付き合って1年になろうとしていた。玲奈は汐留の大手不動産会社に勤めていた。服飾専門学校の先輩がセッティングした合コンで知り合った。玲奈たち女のグループは女子大時代のサークル仲間だった。まだ19歳になったばかりの数太には、玲奈はいかにも頼りがいのあるお姉様に見えた。玲奈たちにしてみれば、年下の遊び相手を探しているだけだった。合コンから1週間後、数太はもらったばかりのバイト代をはたいて玲奈をデートに誘った。有楽町でアドベンチャー映画を観て、銀座で話題のフレンチの夕飯をとった。
「お台場に行って、夜景を見てみない」
化粧室から戻った玲奈は、会計の伝票を手にして数太を誘った。
お台場までタクシーで行った。タクシー代も玲奈が払った。少し風の強い火曜だった。グランドニッコーホテル前の遊歩道は、人影まばらだった。2人は口数が少なくなっていた。玲奈は立ち止まって、
「数太君の笑顔ってかわいいわ」と言った。それから数太の頬を指で押して、
「タルトを齧ると、ポロポロって崩れるでしょう。数太君の笑顔って、そんな感じ」と笑った。笑った唇は、ぬめっていた。数太は頬を押す玲奈の指を掴むと、空いた方の手で抱き寄せてキスをした。
「遅刻。遅刻」と言いながら餃子屋の自動販売機の横から、リョウが姿を見せた。
「店長にどやされちまったよ」
リョウは、ガールズバーのキャッチをしていた。
「リョウさん。さっき、ガールズバー目当てのカモがいたんっスよ」
「マジかよ」
リョウが肩をぶつけて来た。リョウは数太より2つ上の22歳だった。東宝ビルに回り込む三差路は、数太やリョウなど数人のキャッチの縄張りだった。彼らを雇う店は、歌舞伎町のしかるべき組にみかじめ料を払って、場所をキープしてくれていた。
「今日は、水曜だから、リョウさんの店、インセンティブいいんでしょう?」
客が捕まりにくいウィークディーは、キャッチ報酬の歩合がいい事をリョウから聞いていた。
「30%増しだぜ」
「まあ、遅刻したから、シャーないっスね」
「数太。オマエ、タトゥー入れたのかよ」
目ざといリョウは数太の後に回った。
「リョウさんの影響を受けて……」
音楽をやっていたリョウは、首から足首までクレイジーなタトゥーを彫り込んでいた。キャッチのバイトの時は、真夏でも長袖と巻物でタトゥーを隠していた。リョウは数太の襟足に掛かる緑色の髪の毛を持ち上げた。リョウのロンTの袖口がズレ、髑髏の目から這い出た蛇がチラリと見えた。数太の襟足には、『SUUTA』と黒いアルファベットが走っていた。
「ここだけかよ?」
「さあ……」
数太は振り向き笑った。リョウが数太の黒いシャツの後衿をつかみ、背中を覗いた。
「くすぐったいっスよ。やめで下さいよ」
「何だ、首だけか」
「ハハァ。そうっスよ。それにこれ、シールなんっスよ。アルファベットのタトゥーシール。オレ、リョウさんみたいに、肌に彫り込む根性は持っていないっスからね」
「何だ。シールかよ」
リョウはピアスを嵌めた眉を八の字にした。
「一週間はモツらしくって。どう、カッケーっスか?」
「軟弱だよなぁー」
「軟弱で、摘まみどころないてッ、そんなとこっスかねぇ」
数太は舌をペロリと出し、全身でニョロニョロと蛇の真似をした。リョウは舌を突き出し「シャー」と唸(うな)った。舌のピアスの球がキラッと光った。
「ところで、リョウさん。昨日、オレ、スゲェ場面に遭遇したんっスよ」
「何?」
「自殺の現場」
「はぁ?」
「見たいっスか?」
「何を?」
「だから、自殺の現場」
「あるのかよ」
リョウの目が輝いた。希翔とは違う反応だった。数太は、こう言う反応を待っていた。ポケットからスマホを取り出した。
「見ますか?」
「ああ」
リョウは頷いた。数太は画像を開いてリョウに渡した。
「ひでぇなぁ~」
「スゲェしょ」
「女かよ。何を握ってんだ」と言ってリョウは画面をピンチアウトした。
「ぶっちゃけ、美人で」
数太はリョウの表情を盗み見しながら言った。リョウが目を見開いた。
「自分の手を掴んでいるよ、こいつ」
「えっ?」
「ほら。ここ。何がどうして、自分の手を掴んでいるんだ」
数太はリョウが示したところを見た。骨を覗かせた左手が千切れた右手首を握っていた。数太は(あれっ?)と思った。
(確か、ちぎれた右手首は、レールの手前に転がって……)
しかし画像の右手首は、左手に握られているように見えた。
(昼間と違う。死体の位置も微妙に違うし、カーディガンが電車の前の所に引っかかっていない。ええっ~。オレ、見間違えていたのかなぁ。いや、そんなはずはないよなぁ~。右手首は、レールのこっち側に転がっていたんだけどなぁ)
眉を寄せる数太に、リョウはスマホを戻した。
「画像が、昼間見たのと違っているんっスよ」
「おい、キショいこと言うなよ」
「違うんだなぁ~、昼間と。そんなこと、ある訳ないよな~」
「お前、あんまし人に変なこと言わない方がいいぜ」
「あっ、ええ。しかし、画像が動くってことないっスよね」
「馬鹿、そんな画像、削除しちまえよ」
リョウはタトゥーを隠したロンTの腕をさすった。ライブではマイクを傾け、天上天下怖いモノなしとばかり絶叫を上げるリョウが、悪乗りしてこなかった。
(遺品処理のバイトまでやっているのに、意外と、憶病だなぁ~)と数太はシラけた。
数太は超常現象など信じる部類ではなかった。心霊スポット探検番組があると、テレビ画面を指さしながら笑い転げた。厳密には、そうなったのだ。小さい頃は怖がった。異常なほどの臆病者だった。
数太は岡山市の生まれだ。両親は数太が小学5年生の時、30年ローンで4LDKのマンションを購入した。数太と弟の量(りょう)次(じ)にそれぞれの部屋が宛がわれた。数太はそこで一人寝する事を恐れた。一人寝するぐらいなら、自分の部屋はいらないとさえ思った。案の定、怖くて寝つかれない夜が何度もあった。寝つかれない夜は、枕を抱えて両親の寝室をノックした。ノックするにも勇気がいった。母親から、
「お兄ちゃんの癖に、何を怖がっとるんじゃあ。次はちゃんと一人で寝とんのに、しっかりせられえ」と叱られるからだ。弟と比べられる事は辛かった。父親が、両親のベッドの下に、数太の布団をあきれ顔で敷いた。その顔を見るのはもっと辛かった。しかし恐怖には勝てなかった。
そんな数太に転機が来た。父親の田舎は岡山と鳥取の県境にあった。そこは小さな川沿いの谷間の村落だった。毎年夏休みの数日は、弟とそこで過ごした。小学6年生の夏休みは、弟が夏風邪をひいてしまい、数太は一人だけで田舎に行った。田舎では大きな古い家に、その時はまだ生きていた祖母が一人住まいをしていた。祖母は数太を目に入れても痛くないほど可愛がった。
泊まった最初の夜、祖母は厳しい顔で数太の布団を奥の座敷に敷いた。祖母と一緒に寝るものと思っていた数太は、縋る目を祖母に向けた。
「数太。お前、もう大きゅうなったんじゃけん、一人で寝んといけんなあ。ええなぁ」
祖母は撥ねつけるように言った。数太は半分泣きそうな顔をして頷いた。蚊帳が吊られた。扇風機のタイマーがセットされた。電灯は豆電球だけになった。
「ゆっくり寝るんじゃでぇ」
祖母は襖をパタリと閉めた。
後年になって数太は、(あれは、父さんが、ばあちゃんに耳打ちしていたんだな)とほくそ笑む事があった。
(確かにオレ、異常に怖がりだったもんなぁ)
服飾デザイナーを目指す数太は、そもそも感性豊かで繊細だった。好奇心も想像力も人一倍。しかし、大きく古い田舎屋の夜は、それが仇になった。布団の中で、息を殺して耳を澄ませば、縁の外からザワザワと耳慣れない音が聞こえた。裏山から『ギャー』と腐った声がし、また忘れた頃に『ギャー』と響いた。家が時々【メシッ、メシッ】と忍び足のような音をたてた。怖くて夏掛けを被ると、開け放たれた縁側から青白い顔が覗いてこっちを見ているような気になった。こわごわ夏掛けをずらして天井を見上げると、蚊帳の向こうの豆電球の光が届かぬ部屋の隅に、血走った目玉の化け物が貼り付いているように思われた。何度も何度も寝返りを打っている内に、扇風機が【パチリ】とタイマーの音を立てて止まった。恐怖心は、その音でピークに達した。数太は、ベソをかいて祖母の部屋に走った。
「数太」と祖母は半身を起こした。そして蚊帳の中に入れと手招きをした。
「数太、お前、幽霊や化け物(もん)が本当(ほんま)におると思うとるんか?」
数太は俯いたままだった。
「数太。お前、鳥や魚の幽霊の話しを聞いたことがあるか?」
数太は目を見開いて、祖母に顔を向けた。
「何で、同じ生き物なのに、鶏やイワシの幽霊はおらんのんじゃ? 人間だけが、何で幽霊になるんじゃ。おかしかろう?」
祖母は、いたずらっぽい目で数太を覗き込んだ。
「イワシの幽霊話しを本気にしとったら、イワシはもう食べれんようになるけんなぁ。よう分かったか数太。幽霊や化け物は、絵空事じゃあ。人は、怖がりじゃあ。始終、怖ぇえ、怖ぇえと思おとるけん、やれ化け物じゃ、やれ幽霊じゃあ言(ゆ)うて騒ぐんじゃ。恐(きょう)てぇ言(ゆ)う気持ちが、化け物のカラクリじゃあ。まあええ、百歩譲っておったとしよう。数太、お前、見ず知らずの人んとこへ出るのは、恥ずかしゅうねえか? 恥ずかしいじゃろう。それによう分からん人は、恐(きょう)といじゃろう。何で死んでから、わざわざ幽霊にまでなって、よう分からん人んとこに出るような、面倒なことをせんといけんのんじゃあ? そんな阿呆(あほ)らしい」
数太は祖母をじっと見つめた。
「それにじゃ、化け物や幽霊が、知らん人に、悪さする暇があると思うか? 生きとる人間でさえ知らん人とかかわるのは面倒なんじゃでぇ。何で死んでから、わざわざそんなことをする? 悪さは、恨んで、恨んで、恨んどったらするかもしれんが、数太、お前、死んだ人に恨まれるようなことをしたか?」
数太は首を振った。
「じゃったら、誰が幽霊にまでなって、お前のところへ出る」
数太は奥歯を噛んだ。
「おお、そうじゃあ。そうじゃあ。数太、お前、死んだ人に惚れられたことはあるか?」
数太はびっくりして目をパチクリさせた。
「死んだ人で、お前を好いとった女子(おなご)はおるか?」
「そんなぁ、おらん」
「じゃったら、あの世にも連れて行かれりゃあせんなぁ、数太」
祖母はケラケラと笑って、額に落ちた白髪を撫で上げた。
「幽霊や化け物が出た言(ゆ)うとる人は、頭のネジが緩んどるか、嘘つきじゃあ。テレビで言(ゆ)うとんのは、ありゃあ商売じゃあ。分かったか、数太。それでも、怖ぇかぁ? ばあちゃんとこで寝るか?」
数太は半分涙目で立ち上がった。
布団に戻って耳を澄すました。外のざわつきは風に擦れる葉っぱの音だし、もう聞こえなくなったが『ギャー』と言う腐った声は山鳥のものだと思われた。古い木材が軋むのも当然の事だ。さっきまでの不気味な気配は、魔法のように消えていた。
(恐てえ言う気持ちが、おりもせん幽霊を想像させとんかぁ……。周りに、実際に幽霊を見た人間は一人もおらんなぁ。出た見た言(ゆ)うとんのは、本やテレビばっかりじゃなあ。気持ちの持ちようじゃな)
数太は気持ちの持ちようと言うスイッチを手に入れた。やがて、いるとかいないとか、それさえも考えなくなっていった。事実、数太の周りに超常現象など一切起きなかった。テレビの怪奇番組を暗闇で見て、一人大笑しながら寝入ようになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます