第2話 決断

翌朝、いつも通りの朝食が済んだあと、セシリアが切り出した。

「私、春宮とうぐうに行きます」

「セシリア!」

「セシリア……」

嬉しそうな母の声と、訝しげな兄の声が重なる。

「いろいろと話しておきたいことがあるから、あとで私の部屋に来なさい」

母に言われてセシリアはうなずく。父はただ黙って成り行きを見守っている。

なにか言いたげな顔で兄がこちらを見ているが、もう決めたことだ。

自室で少し休んだあと、母の部屋に向かおうとしたセシリアは、出仕しようとしていた兄のコンラートと行き合った。

「セシリア、本当にいいのか」

「はい、これが一番いいと考えました。どうなるかわからないのならばやれることはやろうと思ったのです」

コンラートは大きく息を吐いて、言った。

「残念ながら私はセシリアを助けてやれるほど偉くはない。でもおまえがカタリナのかわりに王太子妃になるというのなら、おまえを助けられるように私も励もう」

「お兄様……」

コンラートはセシリアの肩をぽんと叩くと、玄関へと立ち去った。

兄もカタリナも何かを守ろうとしているのだ。そんななか、自分だけ修道女になってしまうのは逃げているように感じるし、自分ができることはやっておきたい。

母の部屋の扉の前に立ち、息をひとつ吸い込む。扉を軽く叩くと、すぐに返答があった。

部屋の中へ入る。部屋の中央には飾り気のない真っ白なドレスと母とマリアムが待っていた。

セシリアは母に言われるがまま白いドレスを身につけた。針仕事の得意なマリアムがドレスの具合を見ていく。

「ほとんど直すところはないと思いますが、ほんのすこし肩まわりを詰めたほうがよろしいかと思います。」

「そう、じゃあお願いね」

マリアムはセシリアが脱いだドレスを持って部屋を出て行った。今から大急ぎでドレスを直すのだろう。

部屋にはセシリアと母のふたりだけが残された。母とふたりきりだと少し緊張する。

「婚約の儀について説明します。長くなるから座って」

勧められるまま椅子に腰かける。

「婚約の儀はあなたが出席するはずだった婚約式以外にもやらなければならないことがあるの。まず、王太子妃は春宮に三日間籠って精進潔斎を行います」

「精進潔斎……」

「精進潔斎といっても、さっきのドレスとこのベールを身に着けて、出されたものを食べていればいいだけのはなしです。儀礼的なものなので言われた通りにやっていれば問題はないはず」

母はそう言ってテーブルに乗せられているベールをゆっくりとなでた。かなり目の細かい紗で、なかなか視界が悪そうだ。

「あとは式まで王太子殿下と顔を合わせないこと。そもそも部屋を出ることはないので、これは大丈夫なことでしょう」

「はい」

「婚約式から半年後に正式な婚姻となります。その半年は春宮で過ごして問題がないか確認して、国民へと正式な発表となります」

「問題がないかって、問題があるとされればどうなるのですか」

「王太子妃になれない、というだけのことです。昔はこの期間に子を成せなければ王太子妃にはなれなかったのだけれど、今はそんなことはないわ。昔の名残ね」

母にしては無謀な考えだと思ったのだが、王太子とあまり顔を合わせないうちに既成事実を作ってなんとかしてしまおうという考えなのだろう。

昔の名残とはいえ、このようなことを聞くと家のためとはいえ安易に決めすぎたかと決心が揺らぐ。王太子妃になるということは子を成すことが期待されているということまで考えが及ばなかった。

母はセシリアの不安そうな様子に気付き、付け加えた。

「すぐにこどもができなくても問題ないわ。王太子妃が世継ぎを産むのがいちばんいいけれど、今は側室がいるのも普通だしそれほど気にすることはないわ」

そういう問題ではないのだ、とセシリアは思ったが何も言えなかった。

それから春宮での気を付けるべきこと、ふるまいなどの細々したことが続き、最後に母から念を押された。

「王太子殿下は研究科まで進んだので、あなたと同じ時期に学校にいたようだけど面識はないのよね」

「はい、学校では王太子殿下どころか男子生徒と会ったことは一度もありません」

貴族と裕福な商人の子女が通う上級学校は、職員や礼拝堂などの一部の施設は共有だが、基本的に男女が別れていて一緒になることはない。

「わかりました。春宮には近衛騎士もいるだろうけれど、そちらのほうも大丈夫みたいね」

セシリアはうなずいた。

「これは私の考えなのだけれど」と母は前置きして続けた。

「王太子殿下は非常に優秀な方のようだから、妻の実家に口出しされたくなのではないかしら。だからうちからの妃を望んだ。後ろ盾にはなれない代わりに口出しもされないから。そうでなければ家格だけ高くて、裕福でもなく権力もないシーラッハ家の娘を選ぶ利点はないわ。カタリナを王太子妃に望んだのではなく、実家が口出しをしない妃が欲しかったとしたらシーラッハ家の娘であれば構わないはず。もしも王太子殿下に知られてしまっても交渉の余地はあるはずです」

母はセシリアの肩を強くつかんでそう言った。そして座ったままのセシリアを抱きしめた。

「では春宮にあがるまで、悔いのないようにすごして」

母なりに考えての精一杯の声掛けなのだろう。母の部屋を出る。

元々修道院に入るつもりだったので、身辺の片付けややっておきたいこともあらかた済ませてある。

それよりも自分が王太子妃になるなんて本当に大丈夫なのだろうか。昨日の夜に決心したはずなのに、不安が次々と沸き上がる。母の言うことは理にかなっているような気がする、がそんなにうまくいくだろうか。

セシリアは自室に戻らず、裁縫室をのぞいた。案の定、マリアムが真っ白なドレスを直している。

「マリアム、邪魔はしないからしばらくここで見ていてもいいかしら」

「どうぞ」

マリアムはちらりと顔をあげただけで、すぐに針仕事に戻った。

セシリアは手近な椅子を引き寄せマリアムの近くに座る。

相変わらずマリアムの見事な針さばきにしばし見入る。素晴らしい手仕事はいくら見ても見飽きない。

マリアムの手元を見ながらぼんやりとカタリナのことを考える。

好きな男性とこどもが出来て、でもほかの人と結婚しなければいけなくて、どれだけ悩んだことだろう。

カタリナは、私たち家族を捨てたのではなくて自分のこどもを守ったのだと自然に考えることができた。

王太子妃に決まっていたのにほかの男性と関係を持ったことは決して褒められたことではないが、きっと好きになって突っ走ってしまったのだろう。非常にカタリナらしい。

王太子妃という立場が自分に務まるとはとても思えないが、立場を入れ替えることによってマリアムが平穏に暮らせるのならばそれでもいいと思えた。

セシリアは、これが一番なのだと重いため息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る