紗和のアナログなスケジュール管理術
星咲 紗和(ほしざき さわ)
本編
私がスケジュール管理をアナログに戻したのは、思えばほんの数ヶ月前のことだった。今やスマートフォンで予定を管理するのが当たり前になっている時代、私もその例に漏れず、ずっとスマホのカレンダーアプリやタスク管理アプリを使い続けてきた。朝起きてはスマホを手にし、日中もSNSやニュースを追いながら、ふとした時にスケジュールを確認する。いざ予定を見ようとすると、通知アイコンが目に入る。未読のメッセージ、溜まったメール、次々と飛び込む新着ニュース。それらが次々に私の注意を引き、気づけば、肝心の「今日は何時にどこへ行くのか」を確認する前に、全く関係ない記事を読んでいたり、オンラインショップを眺めていたりすることが多々あった。
こうした「寄り道」の積み重ねによって、結局日々の予定を頭の中で明確にできず、うっかり約束の時間に遅れたり、うまく用意ができなかったりする失敗が増え始めた。「なんてことだ」と自分でも苦笑せざるを得ない場面が増えてくると、さすがに対策が必要だと感じた。スマホは便利だが、その万能ぶりがかえって私を混乱させているのではないか。重要な情報を得るためにスマホを開いているはずなのに、なぜ私は脇道にそれてしまうのだろう。
そんなある日、私はふと近所の書店に立ち寄った。文具コーナーには、さまざまなスケジュール帳やカレンダーが並んでいる。一昔前は、手帳コーナーは年末近くになると大盛況だったと聞くが、今や多くの人がスマホ管理にシフトしているせいか、通り過ぎる人もまばらだった。その中で、簡易的な卓上カレンダーと小ぶりなスケジュール帳が私の目に留まる。シンプルなデザイン、無駄のない余白、そして手書きで自由に書き込めるスペース。私は衝動的にそれらを手に取り、レジへと向かった。
家に帰ってさっそく卓上カレンダーを机の上に置き、その下にスケジュール帳を開いてみる。最初は何を書くべきか戸惑った。しかし、試しに来週の予定を書き出してみると、カレンダーのマス目に自分の文字で予定が刻まれていく感覚がなんとも新鮮だった。スマホの画面上では味わえない「インクが紙に染み込む瞬間」がそこにある。色分けのために違う色のボールペンを使ったり、小さなシールを貼ったりして、次第に私だけの予定表が完成していく。
紙のカレンダーは、スマホとは違って「余計な通知」がない。スケジュールを確認しようとカレンダーに視線を向ければ、そこにあるのは自分で書き入れた予定だけだ。ネットに接続されていないという事実は、これほどまでに集中力を保つのに有効なのかと感心する。注意散漫にならず、必要な情報だけが目に飛び込んでくる心地よさが、私にはぴったり合っていた。
スケジュール帳にも書き込める自由度はとても魅力的だ。カレンダーには大まかな予定を記し、スケジュール帳には当日のタスクやちょっとしたメモを箇条書きする。気になるアイデアや、行く予定のレストランの名前、連絡すべき友人のリスト。スマホでさっと打ち込むこともできるが、手で書くという行為は、私がその情報に対して一層の「意識」を払うよう仕向けてくれる。書く行為は、私の中で情報を整理し、記憶に定着させるプロセスにもなるのだ。
もちろん、アナログ管理に戻したことで不便になる点もある。スマホなら一台で全て済むところ、今はカバンの中に手帳、ペンポーチ、時には補助的な小さなカレンダーまで入っていて荷物が増えた。また、デジタルなら検索機能があるため、過去の予定やメモも瞬時に引き出せるが、紙の手帳だと自分でページをめくり、目を凝らして探さなければならない。だが、その「手間」自体に何か豊かなものを感じる。ページをめくるたびに当時の走り書きや落書き、付箋に残したメモが目に留まり、過去の自分が何を考え、どう行動してきたのかが手触りとして蘇る。
対照的に、スマホで予定を管理していた時期は、過去を振り返る作業もデジタル画面をスワイプするだけだった。シンプルで効率的かもしれないが、過去の自分との対話は薄っぺらく感じていたかもしれない。アナログのスケジュール管理は、便利さや効率性をやや後ろに置き、「今ここにいる私」と「過去の私」とがじっくり向き合う機会を与えてくれる。ページをめくり、数ヶ月前の予定を見ると「ああ、あの時はこんな悩みを抱えていたんだ」「この頃はやたらと仕事に追われていたな」といった、当時の気持ちがふわりと湧き上がる。
また、アナログ管理は「予定を視覚的に捉える」点でも優れている。紙面には、週の流れがひと目で入る。スマホ画面でも週単位、月単位で表示できるが、どこか「スクリーンを通した映像」に見える。対して、紙で見る予定は「物体としてそこに存在する」ため、感覚的にリアルな時間の流れを感じられる。日々の予定を確認しやすくなり、結果的に段取りもスムーズになる。朝、手帳を開いてペンを走らせ、「今日はこれとこれを済ませよう」と決めることで、一日のスタートがはっきりとする。スマホだと同じ作業はワンタップで済むが、あえて手で書き込むことで自分の中に確固たる計画が根付く気がするのだ。
私にとって、アナログなスケジュール管理術は、ただデジタルから逃げる行為ではない。むしろ、あふれる情報に呑まれることなく、自分自身が本当に必要とする情報を主体的に扱う手段だと感じている。スマホやパソコンで予定を記録すること自体が悪いわけではない。それらは瞬時に予定を変更でき、リマインダーを自動で飛ばしてくれる優れたツールだ。ただ、私はその「優れた機能」を使いこなす前に、余計な情報の渦に巻き込まれてしまっていた。アナログに戻してからは、情報選択の主導権を取り戻せている感覚がある。
これからも、スマホは手放さないし、デジタルツールが私の日常生活を支えてくれる存在であることに変わりはない。ただ、時間を管理し、生活のリズムを整えるためには、紙とペンを介した手仕事が私には必要だったのだ。アナログなスケジュール帳を開く瞬間、そこには「私が私のために書き残した約束」が明確な形で存在している。その存在は、私に安心と充実感をもたらす。
「紗和のアナログなスケジュール管理術」は、今後も私の日常を支え続けるだろう。毎朝のルーティンとして手帳を開き、ペンを走らせるたびに、私は自分で選び取った時間とタスクを、より丁寧に味わうようになる。結果として、予定に振り回されるのではなく、自分が予定を「使いこなしている」という実感を得られる。それはこの情報過多な時代において、私が安心して前に進むための、ひとつの大切な「術」になっているのだ。
紗和のアナログなスケジュール管理術 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92
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