二十歳のバースデートリップ

類家つばめ

1月20日~1月21日

 小学生の頃、自分の誕生日のことを調べる宿題を出されたことがある。そのときの記憶が正しければ、俺の誕生時間は1月20日の9:35らしい。


 20回目のこの時間を迎えた俺は今、東京から遠く離れた沖縄・那覇空港に降り立った。


 到着ロビーから外に出ると、冷え切った心を慰めるように、暖かい南風が包み込む。

 本来ならば2年前、高校の卒業旅行でクラスメイトとこの地を訪ねる筈だった。だけど、俺は出発3日前にインフルエンザにかかってしまい、高いキャンセル料を払って旅行を欠席した。


「近いうちに、またどこかへ出かけようぜ」


 友人たちはそう慰めてくれたけど、顔を合わすどころか連絡する余裕すらなくなり、今の会社で慌ただしい日々を送っている。


 この2年間はまともに遠出もできないくらい忙しかったので、自分の誕生日に出かけるというのは伏せた上で、平日に連休を取らせてもらった。

 上司には嫌な顔をされたが、年度内に最低限の有休を取らないと法律違反になるという社内での達しもあり、渋々了承してもらった。


 一泊二日で石垣島も巡る強行スケジュールだけど、一人旅ならどうってことない。約5時間の乗り継ぎの合間に、行ける範囲で沖縄本島を楽しもう。




 ゆいレールに乗車し、まずは首里城へと向かう。時間が限られてるので有料エリアは入らず、守礼門をはじめ玉陵などの公園内周辺を散策する。

 その後、牧志にあるソーキそばのお店で昼食を食べ、国際通りのお土産屋を物色した。


 いろいろ見て回って少し疲れたので、雪塩ソフトを購入してベンチで休息を取る。すると、はしゃいで歩く制服姿の学生が通りがかった。どうやら修学旅行生の男女カップルのようだ。


「ソフトクリーム美味そう!私も食べたい!」


 女子高生のほうが手を繋いでそんな話をしながら、二人は俺の前を通り過ぎていった。


 その瞬間、一人で自由気ままに回って満喫していたはずなのに、心は寂しさを紛らせなかったことを自覚した。


 俺はまともな青春を過ごしてこなかった、イケメンでも何でもない平凡な人間だ。あのカップルのように、誰かのために尽くせるようなこともできず、自分の代わりはいくらでもいると思っている。

 誕生日を祝ってくれる人も徐々に減り、去年は誰からも声をかけてもらえなかった。両親ですら「忙しくて忘れていた」と言われる始末だ。



 もはや、俺がこの世界で生きる意味などあるのだろうか。



 視線を落とすと、一匹の野良猫がこちらを見ている。目が合うと、野良猫はのそのそとどこかへ消えていった。


 できることなら、俺も猫に生まれたかった。


 程よい塩気だったソフトクリームはいつしか味が薄くなり、形が崩れてきている。飛行機の時間も差し迫まっていたので、急いで食べて空港へ戻った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 那覇空港を飛び立ち、1時間足らずのフライトで新石垣空港に降り立つ。今朝の羽田空港から預けていた荷物を受け取って街中のホテルに移動し、チェックインしたのち再び外に出た。

 時刻は18時過ぎ。都内だと既に真っ暗な時間でも、ここでは空が綺麗な夕焼け色に染まっている。


 二十歳ということは、今日からお酒が飲める。酒は嫌なことを忘れさせてくれる、と職場の先輩が言っていたし、思う存分食って飲んでストレスを発散させたい。


 そんな気持ちで事前に予約していた沖縄料理の居酒屋の暖簾をくぐると、若い店員さんがすんなりと案内してくれた。


「こちらの席へどうぞ」


 平日にも関わらず、店内は殆どの席が埋まっている。カウンタータイプの席に通されると、隣には若い女性が座っていた。


「隣、失礼します」


 軽く会釈して着席し、とりあえずオリオンビールを1杯注文する。


「人生初のお酒は、沖縄で呑んだオリオンビールなんです!」なんて答えられたら、この上なくカッコいいだろう。


 そんな浮かれ気分で一品料理のメニューを眺めていると、先ほど挨拶した隣の女性が視界に入った。

 どうやら連れの友人や恋人はおらず、一人でお酒を嗜んでいるようだ。俺とそれほど歳は変わらないように見えるが、既に何杯か呑んでいるのか、白い肌がほんのり赤くなっている。



 現地の子には見えないし、彼女も一人旅をしているのだろうか。



 とにかくお腹いっぱいになるまで食べるつもりでいたけど、妙な緊張感で自制心が働いてしまう。声をかけてみたいけど、普段女性と関わる機会がない俺に初対面で話せるスキルなんてないし、どうしたものか・・・・・・

 

 そう悩み続けているうちに、お通しとともにオリオンビールがやってきた。それに合わせて、海鮮サラダとゴーヤチャンプルーの二品だけ追加で頼む。


 これが記念すべき、人生初ビールだ。まずはひと口。


 に、苦い・・・・・・

 ビールって、こんな味だったのか?


 うっかりジョッキで頼んでしまったので、まだまだ沢山残っている。すべて飲み切れるか不安になりながらチビチビ飲んでいると、


「あの、大丈夫ですか?」


 気になっていた隣の女性に声をかけられた。顔色を伺ってくる垂れ目の瞳に、思わず胸が高鳴る。だけど、下手に心配させまいと俺は強がった。


「だ、大丈夫です!気遣ってくださり、ありがとうございます」

「少しの量ですぐに気持ち悪くなる人もいますし、ホント無理しないでくださいね」


 あまりに彼女が俺のことを気にかけてくるので、ジョッキをテーブルに置いて素直に答える。


「実は俺、ビールどころかお酒を飲むのが今日初めてで・・・・・・なんだか不思議な味ですね」


 すると、女性はクスッと笑って返答する。


「私も最初は同じこと思いました。でも、すぐに酔う体質でなければ次第に慣れますよ。『ビールは喉越しを楽しむものだ』と言う人もいますけど、一気飲みは危ないですよね」

「確かに。水みたいによく飲めるな、っていつも思います。会社の花見なんて、桜そっちのけでひたすら酒飲む人たちばかりですし」

「ですよね!わかります!結局潰れて面倒見なきゃいけないのは私たちのほうですし、大人ならちゃんと節度を持って欲しいですよね」


 彼女も大きく相槌を打つ。共通の考えで一気に親しくなった気がして、俺も自然と表情が綻んだ。


「自己紹介遅れました。俺、雅也まさやといいます。貴方は?」

結衣ゆいです。よろしくお願いします」

「結衣さんはお酒強いんですか?」


 結衣は遠慮気味に軽く首を振る。


「そんなことないですよ。いろいろ飲めることには飲めますけど、間にソフトドリンク挟まないとすぐ酔っ払っちゃうんです」


 そう言った矢先、彼女の席にウーロン茶が運ばれてきた。今日からアルコールが飲めるからと見栄を張らず、後で俺もコーラあたりを注文しよう。


「俺、お酒飲めるようになったら泡盛とか日本酒とか飲みたい、とずっと思ってたんです。どんな味なんですか?」

「泡盛は度数高いので、慣れないうちはやめたほうがいいですよ。でも、日本酒は割と好きです。母方の実家が新潟の米農家で、酒造にもお米を卸しているんです。甘口なのでスッキリ飲みやすくて、そこが一番のオススメですよ」

「えっ、凄い!どんなものか気になります!」

「もし嫌でなければ、雅也さんにも飲んでもらいたいです」


 彼女はスマホ画面を開き、銘柄が書かれた写真を見せてくれる。早速、俺も教えてもらった内容をメモを打ち込んで保存した。初めての日本酒は、これを取り寄せてみようか。


 銘柄を紹介してもらった後、結衣は思い出したかのように問いかけてきた。


「そういえば、雅也さんは今日お酒飲むのが初めてなんですよね。最近、二十歳になったのですか?」


 ぎくり。俺が沖縄に来た核心を突かれた気がする。でも、わざわざ嘘をついても仕方ないし、正直に答えよう。


「実は、今日二十歳になったばかりなんです」


 すると、彼女は驚きとともに満面の笑みを浮かべた。


「えーっ、そうなんだ!おめでとうございます!!」


 ありがとうございます、と一礼し、飲みかけのジョッキとウーロン茶のグラスで乾杯を交わす。まさか、こんなところで初対面の人に祝ってもらえるとは思わなかった。


「今日お誕生日なのに、お一人なんですか?」

「はい。俺、東京に住んでいるんですが、周りに祝ってもらえる人がいなくて・・・・・・一人で寂しく過ごすよりは、ずっと行きたかった沖縄に遊びに行きたいと思って、遥々旅に出たんです」

「そうだったんですね。でも、一人でも誕生日にお出かけするの最高だと思いますよ。一年間頑張って生きてきた自分への、特別な労いみたいじゃないですか」


 確かにそうかも、と彼女の言葉で我に返る。卒業旅行のリベンジのつもりで沖縄を旅先に選んだけど、誕生日でもなければこの先来る機会がなかっただろう。

 自分の生まれた日に憧れていた地で過ごせることが、俺にとって最高のご褒美かもしれない。


「ありがとうございます。結衣さんは、誕生日に特別なことされるんですか?」

「私は6月生まれですけど、普通にケーキ買って家で食べるくらいですね。でも、雅也さんのお話聞いたら、今年は日帰りで温泉もいいなって気になりました」

「今日はご旅行ですか?」

「はい。夏と秋は暑さや台風が嫌ですし、春先は何かと忙しいので、いつも閑散期を選んで一人旅しているんです」

「凄いですね!女性が一人でお出かけするのって、なかなか勇気いりそうですよね」


 結衣のグラスの氷がカランと鳴る。


「はい。雅也さんの言う通り、最初は勇気がいりました。だけど、慌ただしく毎日を過ごしていると、誰にも干渉されず一人でいたくなるときがあるんです。1年半くらい前に、初めて一人で伊勢神宮と鳥羽へ行ったんです。そこで素敵な景色を目の当たりにしたら、不思議と嫌なこととか忘れられました」

「心の洗濯、ってやつですか?」


 結衣と目線が合い、彼女はゆっくり頷いた。


「はい。『忙しい』という漢字って『心を亡くす』って書くじゃないですか。文字通り、何もかも嫌になって投げやりになっていた自分の心が、自然と浄化された気がしたんです。その時、自分ひとりじゃ生きていけないし、ご飯を作ったり乗り物を運転する人がいないと、こうして旅にも出られないって気づかされました。確かに今やっている仕事は大変だけど、それが誰かの支えになっているかもしれないと思うと、一人旅が終わるときには『明日からまた頑張ろう』と力が湧いてくるんです」


 俺も何度か一人で出かけているけど、そういう気持ちになったことがあっただろうか。数年しか歳が違わないのに、彼女のほうが何倍も大人だと感心させられてしまう。


「そうだったんですね。俺も見習いたいです」

「いえいえ、あくまで個人的な見解なので当てになりませんよ。ただ楽しければそれで十分、という人もいるでしょうし」

「先生、と呼んでいいですか?」

「そんな!恥ずかしいです」


 酔いが回ってきたのか、普段苦手な冗談交じりの会話になる。結衣は照れを見せつつも、笑顔で楽しく話してくれた。


 彼女と話をしながらお酒を嗜んでいると、三線が何台も展示されている正面のステージに二人の男性が登場した。


「あっ、いよいよ始まるみたいですよ!」


 この居酒屋では19時と21時の1日2回、三線の生歌ライブが開催される。ガイドブックでも取り上げられるほどの有名店らしいので、俺もわざわざ予約をしてきた。


「一緒に盛り上がりましょう!」


 結衣に連れられて、一緒にその場で立ち上がる。


 心を和ませるタンタ、タンタ♪という柔らかい音色を響かせ、沖縄民謡や涙そうそう、島人ぬ宝といった聞き馴染みのある曲も演奏される。俺ら以外の大半のお客さんも立ち上がって手拍子を打ったり、手をゆらゆらさせて一緒に踊っていた。

 店員さんも合いの手を打ったり、俺たちの席の近くでエイサーを披露したりと、店内が一体となってライブを盛り上げてくれる。


 俺たちも歌い手の男性に応えるように、全力で声を出してライブを満喫した。



『いきますよ!せーの!』


 イーヤーサッサ!


『皆さん大きな声で!』


 はい、シーサー!


『オジーと一緒に!』


 あっり、乾杯!



 バースデーソングを歌ってもらった訳じゃないのに、結衣を含めてこの島の人達に祝ってもらっているようで、とても幸せな気分になれた。


 今日この日に、沖縄に来てよかった。


 心残りがあるとすれば、ライブの余韻に浸っていたために、結衣の連絡先を聞き損ねたことだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 1月21日、20歳と1日の朝を迎えた。


 ホテルをチェックアウトし、すぐ近くのバスターミナルへと向かう。今日は石垣島内を巡ってから東京へと帰る予定で、定期観光バスツアーを予約していた。


 最初に唐人墓へ立ち寄った後、街のはずれにある川平湾でグラスボートに乗船する。船底からコバルトブルーの海底を覗き込むと、珊瑚礁や熱帯魚、ウミガメの泳ぐ姿まで観察でき、シュノーケリングできなくても南国特有の大自然を体感できた。


 その後、ヤマバレ牧場で昼食をとり、米原ヤシ林、玉取崎展望台といった石垣島の有名観光地を巡る。

 この綺麗な海と景色を大切な人と見れたら、という気持ちが一瞬芽生えるも、天気が良いだけでもありがたい、と邪念を振り払った。


 楽しい時間もあっという間で13:45に新石垣空港へ到着し、バスツアーに別れを告げた。



 帰りの羽田便まで、あと2時間近くある。カフェでお茶なりお土産を買うなりして、ゆっくり時間を潰そうか。

 そんなことを考えながらターミナル内をうろついていると、


「雅也さん?」


 聞き覚えのある澄んだ声に呼び止められる。振り返ると、そこには昨夜一緒に三線ライブを楽しんだ結衣の姿があった。


「えっ、結衣さん!?」

「よかった!雅也さんに会えたら、これを渡したかったんです」


 向こうも再会を喜び、荷物の中から紙に包まれた箱を渡してくる。


「ありがとうございます。何でしょうか?」

「開けてみてください」


 結衣に言われるがまま、その場で包装をそっと開ける。箱に入っていたのは、淡い水色と深い蒼がバランスよく混ざった、美しい琉球グラスだった。


「うわぁ、綺麗ですね!」

「今日、竹富島から戻ってきた後、ユーグレナモールを通ったときに見つけたんです。とても素敵なデザインですし、雅也さんの誕生日プレゼントに良さそうだと思って買ったのですが・・・・・・」


 会える保証がなかったにも関わらず、俺のためにわざわざ買ってくれたのか。今までもらってきた誕生日プレゼントの中で、過去一嬉しいかもしれない。晩酌するのにも良さそうだけど、使うのが勿体ないくらいだ。


「ありがとうございます!大切にしますね!」


 心を込めてお礼を伝えると、彼女は安堵して満面の笑みをこぼす。それと同時に、館内アナウンスが流れ始めた。


『中部国際空港行き580便は、まもなく保安検査場の締め切り時刻となります。中部空港へご出発のお客様で、まだ保安検査がお済みでないお客様は・・・・・・』


「私、もう行かないと!それじゃ、失礼しますね」


 そうだ。結衣は名古屋で仕事をしていると昨夜話してて、関東圏の人ではなかった。せっかく再会できてプレゼントまでくれたのに、このままお別れしたらもう二度と会えなくなるかもしれない。


「あの、結衣さん!!」


 俺は勇気を振り絞って呼び止める。立ち去ろうとした彼女は足を止め、髪をふわりと揺らしながらこちらを振り返った。


「もしよかったら、連絡先交換しませんか?今度は結衣さんの誕生日のときに、俺のほうからお返しさせてください!」


 すると、彼女はゆっくり微笑む。


「いいですよ。楽しみにしてますね」


 あまりの嬉しさに胸が爆発しそうになったけど、身体で表現するのをぐっとこらえた。

 連絡先の交換を終えると、結衣は軽く手を振って保安検査場へ小走りで向かう。時間がない中で足を止めさせたことを申し訳なく思いつつも、彼女の姿が見えなくなるまで見届けた。


 その後、まだ時間がある俺は展望デッキへと上がり、結衣が乗った飛行機を見送ることにした。程なくしてターミナルを離れたトリトンブルーの機体は、力強く滑走路を蹴って青空へと吸い込まれていった。



 今まで自己中心的にしか行動してこなかったけど、これからは結衣のように他人に寄り添い、誰にも思いやりを持てる人になろう。

 その努力をし続ければ、いつか自分を必要とする人と出会えるかもしれない。


 来年も同じ気持ちでこの日を迎えられるよう、俺は懸命に生きていく。


 その決心をこの地に誓い、明日から始まる日常へと帰った。


(了)

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