後日談:〈皇〉1
———〈皇〉の元
「さて。聴かせろ。」
「はい。」
子供が頬杖を突いている。
〈皇〉の前に首を垂れた八は、ことの終始を語った。
〈和合の一族〉が〈鶯目〉を失った、三日後。
紅華はパチリと目を開けると数秒後には飛び起き、枕元の銃を持って外へ飛び出した。
「紅華さん!?」
焦りを含む声は、紅華には届かなかった。
紅華は何人か床にうずくまる人間を飛び越えて外に出た。
幸い、まだ家屋や土地の荒れは見られない。ただ紅華の想像通り、特徴的な紅髪は見当たらなかった。
「紅華さんっ、だめだよ急に動いちゃ。」
八が紅華に駆け寄り、上着を手渡した。
「怪我して帰ってきて、全然起きなかったんだよ。目を覚ましてよかったけど、今は休まなきゃ。それに、ここより家が大変で…」
「紅華ちゃん。」
数人の領民が紅華の元に集まった。おそるおそる、気遣わし気な様子で「大丈夫かしら」と紅華に声をかけた。
八は、不満に思った。この人たちは、母を失った紅華、〈鶯目〉を失った一族への心配、労い、同情———それを建前にして、自分の心配をしているのだ。一族がどんな状態かも知らないで。
「大丈夫だよ。でも、今まで通りにはいかないところもあると思う。誰かがすぐに、母の代わりを果たすことは難しいから。」
と、紅華は銃を手渡した。驚く領民に軽く使い方を教える。
「皆にもこういうものを渡すようにする。どうか、皆でこの土地を守れるように、助けてくれると嬉しい。」
領民の反応は、先ほどとは打って変わって頼もしかった。突如手にした重みに、強力な力に、興奮しているのかもしれない。
「そうね、こういうときこそみんなで頑張りましょう。」
「任せときな、紅華ちゃん。」
紅華は丁寧にお礼を言ってその場を離れた。八は黙って紅華について行く。
「どうして銃を?」
「ん?さっき説明した通りだ。」
「でも…あそうだ、それよりも、皆が…」
八は家に急がせようとしたが、紅華はゆっくりと歩く。
「母が、〈鶯目〉が処刑されたことは聞いたか?〈和合の一族〉は精神的な繋がりが強い分、〈鶯目〉を失った影響は大きい。過去にもそういった事例がある。」
「その時はどうなったの?」
「詳細な記録は残ってないが、おそらく…どうにもならなかったんだ。」
「どうにもならなかった?」
「とにかく記録が少ない。記録を残す余裕もないほど混乱状態だったんだと思われる。地道に、とにかく全滅しないことを優先して、状態を回復させるしかないんだと思う。」
「そんな…」
「だから、絶対に奪われちゃいけなかった。」
あの夜、すぐに追いかけなかったことを悔いているのだろうか。
それとも旭が連れていかれるその時に、その場にいなかったことを悔いているのか。
紅華が拳を握りしめたのが目に入った。
「銃を渡したのは…皆、母が罪人として処刑されたことは知っているはずだ。ただ〈魔術師〉との関りが咎められている可能性がある今、黙認していた自分たちも同罪と認識しているから、その話には触れない。その上で、この領地の人間なら、一族に微塵も同情心を持たない人間のほうが少ない。一族に命を守られている、この領地はそういう仕組みだ。〈和合の一族〉が機能しなくなって命が脅かされている今でも、大半の人間は不満を表には出さない。身の安全への不安は、一時的に武器を渡すことで補完する。わかりやすく大きな力は、「使いたい」と思う。それが誰かの助けになると確信があるならなおさら。これで一旦は、領民の不安や不満は抑えられると思う。これを爆発させないためには、一族の現状を早急に立て直したいが…」
八は驚いた。意識が戻ってまだ数分だ。母を失って傷心しているはずだ。そうでなくとも、そこまで考えているのかと。
しかしいつもより話の脈略がなく饒舌なのは、疲れているからだろうか。
「でも、結局どうして、旭さんは殺されたの?」
その言葉から、突如、家までの道のりが遠く感じた。
紅華の耳に、八の声だけが響く。
「そう、どうして殺されたのか。それがわからないんだ。」
紅華は八を見ていなかった。
「そもそも今回の件、矛盾がありすぎる。『仇鬼取締法違反』———〈魔術師〉への遺骸の譲渡のことしか考えられないが。罪状として突き付けられるには早急だ。そもそも、遺骸の譲渡だけで処刑にはならない。少なくとも必ず証拠の応酬のため家宅捜索が入る。処刑が終わった今でさえも。だが一度も来ない。しかし処刑を実行したからには証拠を既に抑えているのか?だがその証拠を公開しない理由もわからない。証拠とはなんだ?他の人間への影響を考慮して未公開とされたが、本当にそんなものがあるのか?じゃあそれじゃないのか?『仇鬼取締法違反』に該当する処刑されるほどの罪とはなんだ。」
「処刑の執行は、異例な早さだった。」
「そう、どうして異常なまでに早く執行された?正当な手順を踏んでいるとはとても思えない。しかしぎりぎり手順に則っていると主張するための、待機されていたあの伝令の存在。一連のこと、元から計画されたことに思えてならない。急ぐ理由があったのか?〈鶯目〉を引き継がせないことが目的の可能性は?しかし〈鶯目〉の損失による被害は〈桜貴〉も知っているはずだし、〈桜貴〉にとっても影響は大きいはずだ。〈仇鬼〉を完全にここで止められなくなる。しかし、そうか、他の目的があった可能性はあるのか。仇鬼取締法違反というのは建前で、他の目的があった。そうだ、これまでこの梅ノ香領の、最前線の状況になんの興味も示してこなかった〈桜貴〉が今更〈仇鬼〉の扱いに口を出してくるなんて…何故今なんだ?『今』であることに意味があるのか?〈鶯目〉潰しで〈和合の一族〉を標的にしたのか、母さん個人を狙ったのか。」
何のために。
誰のために。
殺されなければならなかったのか。
「真相を突き止めないと。」
「どうして知りたいの?」
「正直、知りたいと思わない気持ちの方がわからない。」
「みんなのため?それとも自分のため?」
「…そうだな。自分のためだ。事実を知ったところで、時間は戻らない。行われたことは、もう取り返しがつかない。でも、もし母が理不尽に命を奪われたのなら、奪った奴は罰を受けるべきだ。今、なにか理不尽なことが起こっているのなら、それは正されるべきだ。今回のことが尾を引いて、また一族の誰かが狙われる可能性も無くはない。この領地に限らず、何も知らないまま、理不尽に誰かが被害を受ける世の中であるべきじゃない。いい世の中づくりと言えば聞こえはいいが、これは全部私のためだ。私が、現状を許せないだけだ。母さんのことも、有耶無耶に終わらせる気はない。」
紅華は自分に言い聞かせている。
「世の中は正しくあるべきだ。理不尽は許されざるべきだ。」
「知って、どうするの?」
「まだわからない。でももし、もし〈桜貴〉が理不尽に母さんの命を奪ったなら、〈桜貴〉は罰せられるべきだ。それが正しい結末だ。そうなるように、できることをする。そうなるまで。」
紅華は八を見ていなかった。誰と話しているでもない、遠くを見つめ、自分自身と話している。
「何を調べるの?」
「今のところ、母さんの部屋を調べるしかないな。何か手掛かりがあればいいけど、また弥生邸に侵入するしかないかもしれない。」
「誰か、知ってそうな人はいない?」
「今回の件について?いや…」
「この領地の人でも、〈桜貴〉側の人間でもない人で、何か知ってそうな人。」
紅華は八を見た。
八はまっすぐに前を見ているだけだった。
家に帰り、紅華は住み込みの人間を見つけて銃の配布を指示した。〈鶯目〉以外からの指示に僅かに戸惑いを見せたものの、すぐに動いた。
よく観察するまでもなく、家の荒れ具合から大混乱の様相が想像できる。壁は至る所が破壊されているし、いろんなものが飛散している。〈和合の一族〉の者は座り込み、体を抱えて呆然としていた。皆が皆、虚な目をしている。
ピュロロロロロロロロロロロ
広間で集合の音を鳴らしても、人は全然現れなかった。何度も鳴らして、ポツポツと人が集まる。
二十分程鳴らし続けた後、家の中を見て周り、何人かを引き摺って広間へ押し込んだ。
「〈鶯目〉を決める。」
これだけ人が集まっているというのに、静かだった。紅華の声がよく通る。
「どうして、そんなに、平気でいられるんだ…」
近くにいた一族の一人が、ひとりごとのように小さな声で紅華に呟いた。
「自分は、〈鶯目〉だった旭さんとは、かなり遠い血縁で…正直、直接お話ししたことも、数えるほどしかない。なのに…〈鶯目〉を失うことが、こんなことになるなんて…」
わかっていたことではないのか。と、紅華は言わなかった。
一族にとっての〈鶯目〉の役割と、その損失の影響は〈和合の一族〉全員が知っていたはずだ。何故連れ去られる時に、全力で抵抗しなかったのか、とは口に出さない。
八は、この男は酷いことを言う、と思った。その男が言ったとおりだ、ろくに話したことがないその男が傷心している以上に、紅華は辛いに決まっている。自分の母親だ。紅華は傷心しているようには見えなかったが、そう見えないから傷ついていないわけではない。
紅華は集団の意識を領民へ、〈仇鬼〉へ向けた。
雛雲は泣いていた。周りの子も泣いていた。
そうやって互いが互いに共鳴しながら、この集団の意思は増長しているのだろう。とめどなく。そして誰かが母のことを『過去』のことにしても、誰かが『今』に引き戻して、この嘆きは繰り返されるのだろう。
旭の部屋からは何も見つからなかった。
紅華は自室に戻り、荷物を手に取る。元々外に出ていたので準備はできていた。
八はいつでも隣にいる。
「なにもなかったら、どうするの。」
「なにもなかったら?」
「本当に旭さんが、死に相応する罪を犯していたのなら。」
「それがわかったなら、なにもなかったとは言わない。」
「もしそうだったら、紅華は許せるの?」
「許す?」
「母親が、殺されたことを。」
紅華はまっすぐに八を見た。
「母さんが亡くなって悲しい。
母さんを奪った〈桜貴〉は憎い。
でも、私が真実を知りたいのは、殺されたのが自分の母親だったからじゃない。
母さんが処刑に相当する罪を犯していたなら、それは償うべきだったと納得すると思う。」
紅華はすぐに視線を反らした。
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