9. 神降祭祀

 『神降祭祀』の前日には、〈和合の一族〉は中央領の端、もっとも山に近い宿屋に入っていた。

 その山に、〈ビャオルフ〉を連れてきていた。


 烽州から帰った日、皆はその間に〈ビャオルフ〉の装具を準備していた。嚙まないように口枷を、爪が突き刺さらないように靴下のようなかぶせ物をつけさせる。これでは〈ビャオルフ〉があまりに嫌がって足を振って取ってしまうため、布ではなく硬い革製に、上半身を覆うような形状にして背中で留めた。機動力は落ちるが仕方ない。革をかき集めて縫い合わせる作業で時間が消えたといっても過言ではなかった。

 紅華は烽州へ行く前に指示を出していたのだ。その日に向けた準備を。

 人を傷つけることがない方が、〈和合の一族〉としても安心して全力で侵攻できる。

 紅華から指示を受け、皆に伝えたのは八だった。そこまで信頼されているのだろうか。またも紅華の先見の明に気後れし、自分より年下の子に負けたような気になり、緋司は落ち込んでばかりだった。

 これではいけないと、緋司は紅華に髪を隠すことを提案した。

 〈和合の一族〉の〈鶯目〉の処刑はなかなか大きなニュースとして赫州に広まっているはずだ。その渦中の〈和合の一族〉が中央領まで来ていることがバレると、先に捕まってしまう虞がある。〈桜貴〉の軍だけではなく、一般の警察や宿で働く人にも、通報される可能性がある以上隠しておいた方がいい。紅華は賛同してくれた。

 よって皆、一様に髪を隠すために布で覆い、首元で落ちないように結んでいた。


 前日に泊ったのは、総勢二十人ほどの団体で貸し切りになる民宿だった。

 フードを被った怪しい集団ではあったが、そこを切り盛りする主人は快く貸し切りにして泊めてくれた。「貸し切り」であることに油断したのかもしれない。

 少しフードを脱いでくつろぎかけたところを、主人に見られた。

 咄嗟に、口止めをしなければと思った。『口止め』。どこかで聞いた言葉だ。

 しかし、自分の目的を果たすためにこの人を傷つけるのか?

「安心してください。〈和合の一族〉の方とお見受けしたうえでお泊めしています。」

 すでにバレている。より緊張が高まったのを察して、主人は困ったように頭をかいた。

 静まり返った部屋の中で、紅華は既にフードを脱いでお茶を飲んでいた。

「どうして我々に協力してくださるのですか。」

「協力しているつもりはないが、私が捕まって困る人間もいない。妻と娘はもう死んだ。〈仇鬼〉に殺されて。〈桜貴〉は、助けてくれなかった。そこから南下した〈仇鬼〉は〈和合の一族〉に退治されたと聞いています…〈桜貴〉は最後までここへ来なかった。被害を確認もせず、援助もない。〈桜貴〉がやられてくれたら、喜ぶ人間は少なくないと思っています。」

 主人には礼を言った。

 自分たちを応援してくれる民衆は、少なくないのかもしれない。それは素直に励みになった。

 やはり『正義』はこちらにある。

「明日は『神降祭祀』だ。赫州中央領の弥生邸の近くにある、赫璃光院という建物で行われる。一周ぐるりと囲った塀の中にいくつか建物があるが、目指すのは正面の本堂だけだ。外を囲う塀の門と、本堂の扉を超えるだけでいい。どこから本堂へ向かうかは明日話そう。では。」

 集団は静かに奮起していた。

 誰も今やっている行動が正しいこと、そして目的は達成されるのだと信じて疑わなかった。

 緋司は、集団と同じ気持ちに落ちつきつつも、碧一に論破された記憶と現実の差異に違和感を持っていた。集団心理。疑いを持たない。信じる心が強い。それを悪いと思ったことはなかった。むしろそれはとても居心地の良いものだ。しかし今は、それがとても危ないことなのではと理解できる。危機察知能力や、未来を想像する力の欠如に直結しているのではないか。

 あの時紅華が言っていたことが、今はわかる。

「紅華。」

「どうした?不安なのか?」

「紅華は?」

「大丈夫だ、みんな無事に帰れる。」

 その確信を持った言い方が、今となっては一層不安になる。

 僕たちは〈和合の一族〉だ。それ以上に姉弟だ。

 だからどれだけ遠くにいても、繋がりが消えることはないと確信を持っている。

 だが何故確信が持てる?逆に言えば、〈和合の一族〉でなかったら、姉弟でなければ、簡単に切れてしまうような繋がりなのか?姉弟と言う関係は、それを強固なものにできるほど価値のあるものなのか?

「どうした?緋司」

 もう緋司と紅華しかいなかった。

 もどかしかった。いたたまれない気持ちだった。

 ふわふわとした桃色の髪に触れた。

 紅華は何も言わない。

 紅華の背中にゆっくりともたれかかる。背中に頬が触れて、ゆっくりと落ち着いた鼓動が聞こえる。

 懐かしい。安心する。いつの間にか、大きな背中ではなくなっていた。自分が成長したからだ。細くて柔らかい、女性の背中だ。

 紅華を足の間に抱え込むように座った。肩に額を乗せた。腕を回して力いっぱい抱きしめたかったが、動かせなかった。いけないことのようで。雛雲も、紅華に抱き着いていたのに。

 苦しかった。突き上げるような感情の正体がわからない。しかし、幸せな気持ちが大きいと思う。帰ってこない紅華を待ち続けるのと比べたら、傍に居てくれるだけで幸せであることを再確認できた。

 やはり、明日は無事に帰ることをなによりも優先しよう。

 どこまでも、紅華に頼りすぎだ。帰ったら自分がもっと頑張ろうと思う。

 紅華は何も言わず、ポンポンと緋司の頭を撫でた。

 


 朝。誘うように紅華の目の前を鳥が通り過ぎた。

 紅華が鳥を追って行くと、建物の柱の後ろに人影があった。

「瑤一様から。『十五時に〈皇〉の移送と共に配置換え。正面から行け。』」

 あの時の青年の声だ。

 しかし正面からか。最長距離であり、下手をすれば最も人目につく。

「これがもし罠であれば、我々は全滅ですね。」

 人影は鼻で笑った。

「ご自由に。しかし瑤一様は約束を守りました。それはお忘れなきよう。」

 柱の裏から小さな鳥が飛び去った。

 

 その時はすぐにやってきた。

 〈和合の一族〉一行は、正面から突入した。

 入口の警備はいなかった。いるにはいたが、絶妙に遠い位置でなにやら揉めていた。

 慌てて駆け付けようとする集団の真ん中を、〈ビャオルフ〉が駆け抜けた。人の足で間に合うわけがなかった。

 一気に本堂の扉の前まで来たその時、両サイドから鋭い爪が襲い掛かってきた。〈ビャオルフ〉が反応して掴みかかろうとするが、それをするりと躱した———大きな鳥だった。

 幾羽の大きな鳥が空を覆いつくしており、至る所から襲い掛かってきた。もう周囲に人の姿は見えない。〈玉輪公〉の〈神器〉は他人を鳥に変えることなのか?

 〈和合の一族は〉中心に集まり、それを守るように〈ビャオルフ〉が囲う。いつもと逆の構図だ。一体を連携して狙い打つ体制ではないため、たがいにうまく『共鳴』できていなくてもさほど問題にならなかった。たまに〈ビャオルフ〉同士がぶつかることがあるが、本能のままに目の前の鳥に飛びつく。

 指示以上に、〈ビャオルフ〉の動きは俊敏で豪快だった。嬉々として、上空を舞う大きな鳥を狩ることを遊んでいるようにも感じる。相性は、最高だったかもしれない。

 しかし〈和合の一族〉は動けなかった。圧倒的な数と隙の無さに、〈ビャオルフ〉の体力がいつまでもつか。最後の一歩が、届かない———

 本堂の扉が静かに開いた。

 中から出てきた素朴な人が一言。

「〈皇〉が中へと。」

 〈和合の一族〉は本堂の中へと入った。〈ビャオルフ〉は許されなかった。

 中は天井が低く、入っても動き回ることは難しいだろう。

 薄暗く、点在した鏡面の柱が外の風景を反射していた。

 中心に鎮座するのは〈五光〉だろうが、しかしそこには四人しかいない。皆、背を向けて半身でこちらを見ていた。その先、奥の模様の書かれたすだれで隔たれた台上には〈皇〉が居るのだろう。

 周囲には当然、〈五光〉を守るそれぞれの部下がびっしりと整列している。

 静かだった。

 圧巻の雰囲気が充満していた。

 動揺している者などいなかった。ここに入れたところで、〈桜貴〉に手が届かなかったことは明らかだった。今になって、どれだけ無謀なことをしていたのかわかった。気づくのが遅すぎたが。

「〈和合の一族〉、今は〈五光〉と区別されているが、元は同じ〈神器〉だ。聞いてやると。」

 先ほどの人物が〈皇〉の代弁者として話した。

 緋司が一歩踏み出して口を開こうとしたそれより先に、紅華が前へ出た。

「〈皇〉にご挨拶申し上げます。」

 紅華は〈和合の一族〉の先頭に立ち、片膝をついて首を垂れた。

「現〈桜貴〉の罪を断罪し、正当な〈桜姫〉をお認めいただきたく参りました。」

 場がざわついた。〈和合の一族〉も動揺した。

 どういうことだ?我々は〈桜貴〉を失墜させるために…

 緋司は思い出していた。瑤一は言っていた、〈桜貴〉の失墜を認めさせるには甚大な被害に対する不正の証拠を示すか、または———

「私、〈桜姫〉の帰還をお認めいただきたく。」

 〈桜貴〉は、紅華を睨んで細かく震えていた。

 三人の〈五光〉は静かに紅華を見つめていた。ある者は楽しそうに、ある者は早く終われと言わんばかりに、ある者は値踏みするように。

「現〈桜貴〉は、私の母である〈桜姫〉を正当な〈桜姫〉として据えることなく側に置き、殺害しました。そして母から私を託された〈和合の一族〉の〈鶯目〉であった、梅木代旭はそのことを知って、この男に殺害されました。〈仇鬼〉の討伐を疎かにするどころか、〈神器〉を二人も殺害した〈桜貴〉への罰を求めます。」

「勝手なことを言うな!!!!!!!」

 怒号が飛んだ。〈桜貴〉が立ち上がっている。紅華のことを真っ直ぐ指差してさらに叫ぶ。

「これは全て、お前を取り戻すためだった!!自分の子を取り返そうとして何が悪い!!!」

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