8. 〈玉輪公〉の三男の長男

 紅華と緋司は、烽州へ向かった。

「え、今?何しに?」

「『神降祭祀』で〈桜貴〉の元まで辿り着くために、協力してくれたらありがたい人——集団がある。」

 緋司ははっとした。

 この時間がない中での紅華の行動力に感服した一方で。自分はあまりに楽観視していた。なんとかなる、またはなんとかならずに全滅しても仕方ないと、思っていたのではないか。

 紅華はいつだって、運良くなんとかなっているのではない。可能な限りの手を打って自らの手で道を切り開いているのだ。それを今になって実感した。皆を巻き込んでおきながら楽観していた自分が恥ずかしい。

 しかし、思いがけず紅華と旅ができることになり、素直に嬉しかった緋司はポジティブだった。だからいつまでも紅華に追いつけないのだ、もっと考えるんだと自分を奮い立たせた。

 そうだ、五日後に紅華と居ることがゴールではない。五日後に目的を達成して、その後みんなで帰ろう。そして紅華がまた旅立つというなら、今度こそ一緒に行くのだ。来年以降は自分が、梅ノ香領にいる紅華に土産話を持って帰っているかもしれない。

 とにかく急ぎ、烽州へ行く必要があったが、赫州から烽州への越境は過酷だ。

 梅ノ香領が最前線と言われる所以は、〈仇鬼〉のこの国最大の生息地に接しているからだが、烽州はその向こう側にある。つまりは、そこを超えなければ烽州へは行けない。そこを通らないように大迂回する道もあるが、それではあまりに時間がない。

 梅並木のもとまで来ると、紅華はポケットからガラス製の小さな玉を取り出し、力任せに踏みつけた。しばらく粉々のガラス球を見ていると、聞いたことのある声が「空から」聞こえた。

「お困りですか?♪」

 シュトレンは空でサーフィンをするようにくるりと回って舞い降りた。

 黒いロングコートがマントのようにはためいて、ゆっくりと落ち着いた。

「烽州へ連れて行ってほしい。なるべく速く。」

「なるほどなるほど?」

 何がなるほどなのかはわからないが、シュトレンは意外そうに首を傾げた。

「しかし、〈魔術師〉を移動手段にするだけとは。もっと役に立ちますよ、私は?」

 どこまで事情を把握しているのかわからないが、案に「一緒に戦ってもいい」と言っているのだろうか。〈魔術師〉の集団が味方になってくっれれば、〈桜貴〉に対抗するのに、心強いことこの上ない。

 下心があるとするなら、〈桜貴〉は〈魔術師〉を厳しく取り締まっている。その取り締まりの元が崩れれば、〈魔術師〉にもメリットがあるのかもしれない。

 しかし紅華はきっぱりと断った。

「いや、他にはいらない。」

「そうですか?では、すぐに参りましょう。」

 シュトレンはあたりを見回し、畳まれた大きめの段ボールを拾ってきて組み立てた。

「即席ですから乗り心地は諦めて下さいね。それでは乗ってください。」

 何を遊んでいるのかと戸惑いながら、小さい頃の乗り物ごっこのように、段ボールに大人三人が中座して乗り込んだ。シュトレンは淵に腰かけた状態で「行きますよ」と言うと、淵を持った手の上を杖でポンポンと叩いた。すると———

 段ボールの乗り物は空高く舞い上がり、ものすごいスピードで飛んだ。

 緋司は咄嗟に、振り落とされまいと必死に段ボールの淵を掴んだが、段ボールはびくともしない。底も抜けるような不安はなく、鉄のように微動だにしない。

 徐々に慣れてきて、下を覗き込むと生い茂る木々が広がっていた。〈仇鬼〉は見えない。恐ろしい場所には見えなかった。緋司は段ボールの側面に背中を預けて周囲を見た。目線の高さを雲が通り過ぎていく。

 美しい鳥とすれ違った。自分も鳥になったような、そんな気になって風が心地よかった。

 紅華とシュトレンは飛行最中も会話していた。

「この場合、〈魔法〉を使っているのはどの部分になるのですか?」

「全体に簡易な『形状記憶』の指示を出した状態で、触れている場所だけ『位置指定』によって移動させています。全体に『位置指定』を指示するより効率が良いですし、間違って段ボールが分解バラバラになるというようなことはありません。トランプタワーを持ち上げることはできないですが、接点が接着剤などで固定されていれば頂点を持ち上げるだけで全体が持ち上がる、そんなイメージです。」

「物を持ち上げるだかでかなりの技術が必要と理解していますが。『位置指定』をかけている場所は『形状記憶』と二重でかけているのですか?」

「指示が重複するので、二重ではかけません。」

「一原子単位のすみ分けができるのですか?」

「全体に『形状記憶』をかけた後で一部『位置指定』に変更することで、どちらも指示されていない部分は存在しえません。最初から別の指示を出そうとすると、抜け漏れは出るでしょうね。」

「なるほど。どれくらいの物まで指示を出せるのですか?大きさは?乗っている物は影響しますか?」

「難しいですね。例えば、同じ大きさに見えるポリ袋と金属の箱では、『形状記憶』をかけるだけなら、体積的や密度的にポリ袋の方が簡単でしょう。しかし今のように違う物を乗せるとなると、抵抗する力が必要になる分、元の物質の強固さが無視できなくなります。柔らかいものをより強固にする方が『密度』が必要になる分、大変かもしれません。段ボールはそういった意味では割と手頃ですね。どこまでの物に対応できるかはその〈魔術師〉の力量になるので。」

「あなたなら、バスくらいなら余裕ですか?」

「そこまでは。異種素材が組み合わさったものはより難解ですね。」

 シュトレンは愉快そうに笑った。ずいぶん最初の媚びるようなキャラと印象が違った。

 緋司には何が何だか意味が分からなかったが、シュトレンは会話が成り立っていることに感激しているようだった。

「魔法の制限をよく理解しておられるようですね。なおのこと、〈神器〉なのが勿体無い人だ。」

 段ボールの船は一瞬で烽州にたどり着いた。

 着陸は静かだった。

「お帰りの際もお呼びください。」

 立ち去ろうとしたシュトレンを紅華が引き留めた。

「前〈鶯目〉がOMICへ〈仇鬼〉を渡した証拠を、〈桜貴〉が押さえている可能性はありますか。」

「あり得ません。」

  即座にシュトレンは言い切った。

「接触と言っても、〈仇鬼〉を何度か譲っていただき、こちらがお手伝いすることがあっただけです。」

「記録はどうか。〈仇鬼〉がどの生息地から、誰から得たサンプルかは、記録されているのではないか。」

「…なるほど。確かにそれらは記録にあります。研究材料として有益な情報ですから。しかしだからこそ、情報の欠片も外に出ていないことを保証しましょう。そしてご存じの通り、〈神器〉の力と〈魔力〉は反発します。『全知全能』といわれる〈五光〉の一人、〈孟春〉でさえ、その記録の中身は把握できないと自負があります。」

「そう。ありがとう。」

 さして安心するでもなく、喜ぶ様子もなく、紅華は礼を言っただけだった。


 今度こそシュトレンと別れ、たどり着いた烽州を歩き出した。

 赫州とは様子が全く違った。

 建物はみっちりと詰められるだけ詰め込んだ、という様子で、色とりどりの垂れ幕や看板が目立つ。あちらこちらから笑い声または怒号が飛び交っている。よく言えば「豪快」、悪く言えば「雑」、そんな雰囲気だった。

 緋司は辺りを見回しながら紅華について行った。

 紅華は歩きながら、ここでやっと緋司に考えを聞かせた。

 〈玉輪公〉は『軍』だ。

 『神降祭祀』は〈皇〉と〈五光〉が一堂に会す。行われる場所は例年通り赫州、そして〈玉輪公〉の部隊が全体の警備に当たるはずだ。

 〈桜貴〉に会うのが難しいのと同様。

 〈玉輪公〉は簡単には会えないだろう。

 〈玉輪公〉本人に会う必要はなく、その場の指揮を受け持つ一人と交渉ができればいいと思っていた。現状、引退を考えていると噂の〈玉輪公〉なら、指揮権は誰かに渡している可能性もある。なんなら、次期後継者に任せる部分もあるかもしれない。

 シュトレンのおかげで帰りも同程度の速さで帰れるとして、『神降祭祀』まで向かう道のりを考えると二日前には梅ノ香領へ戻っておきたい。となると、ここでの時間は長く見積もって三日もない。

 そう話しながら着いたのは、ヴィンテージな雰囲気の建物だった。扉には文字が書かれているが、見たことのない文字だった。

 カランカラン、とおもちゃのような鈴の音と共に中に入ると、大きな声が響き渡った。

「あれ!しばらく会えへんのちゃうんかい!元気そうやんか〜はい、ここ座りここ!あれ、後ろの子誰?彼氏か?わ、かっこええやん。まぁまぁここ座ってはよはよ。」

 圧倒された。

 早口で捲し立てられる異国の言葉が処理できないまま、紅華の隣のカウンター席に腰を下ろした。

「事情が変わったんだ。ミックスジュース頂戴。緋司は?」

「…え?あ、同じもので?」

 「おっけーおっけー」と言いながら、笑顔で迎え入れてくれたふくよかな体型の女性はなにやら作業を始めた。その間も、口は止まらない。

「いやーほんまびっくりしたわ。しばらくどころかもう来られへんかも言うてた紅華ちゃんがボーイフレンド連れてくるんやもん。おばちゃん嬉しくて腰抜かすかと思ったわ。兄ちゃんのお名前は?紅華ちゃんのどこが好きなん?」

 かなり反応が遅れたが、イントネーションは異なるが同じ言語であることに気がつき、緋司はかろうじて言葉を捻り出した。

「緋司、です。あの、紅華の弟です…」

「ひぃちゃんな。あ弟なん、似てへんなぁ。でも姉弟そろって美人さんなんはええねぇ〜。」

 似てないのか。

 その言葉が地味に突き刺さった。

「賑やかだな。『神降祭祀』の準備か?」

「『神降祭祀』どころちゃうで。そんなん忘れとったわ。ちゃうちゃう、前言うてたやん、〈玉輪公〉が変わるって。ほんでやっと候補の子の対決があるらしいんよ。言うてももうちょっと先なんやけどな。候補の子のお顔が公開されたから盛り上がっとるんよ。見る?」

 言うや否や、こちらの回答を待たずになにやら引き出しをあさり出した。ミックスジュースというのはいつ出てくるんだろう?

 机の上に出された新聞の一面には、二人の証明写真が大々的に掲載されていた。

「ほらこれ、見て。こっちが今の〈玉輪公〉の長男の長男。イケメンやろ。ひぃちゃんと同じくらいイケメンやけど全然系統ちゃうな。ひぃちゃんは可愛い感じするけどこの人はもっとハンサムな感じやな。この人はなぁ、なかなか強いんよ。もう何回も〈仇鬼〉討伐出てるし、おばちゃんも見たことあるもん。あほんでこっちが〈玉輪公〉の、三男の、長男、やったっけ?ややこしいな。猫みたいにおめめぱっちりで可愛い子やと思わん?まだ幼いのになぁ、これが意外やってんなぁ。ほら見て、すごい細ない?病弱で別荘地で療養してるって話やったんやけど、それもこの写真のここ、見てここ。左腕ないんちゃうかって話。けどやとしたらなんで候補に上がるんやろ、ってので大盛り上がりなんよ。」

 話の大半は右から左へと通り過ぎてしまった。

 写真を見ると、年齢的にも差があるように見える二人だった。長男の長男と言われる方の人は若いが、兄の長束よりは年上だろうか。〈和合の一族〉には無い「鋭さ」がある人物だった。次の〈玉輪公〉と言われても納得の軍人ぽさがある。

 一方でもう一人は、緋司よりも年下かもしれない。少し釣り目だが、ぱっちりとした瞳と少し笑った口元が可愛らしい印象を与える人物だった。そして確かに、大きめの羽織の上からでもわかる華奢ぶりと、左右非対称なシルエットだった。この人が〈玉輪公〉候補?

「『神降祭祀』にも、その二人は出られるのかな?」

「えぇ?出るんちゃうかな、たぶん。知らんけど。」

 『神降祭祀』への興味が極端に薄かった。ここでは有益な情報は得られないのではないだろうか。

 だいぶ遅れて出てきたミックスジュースは贅沢な味がした。飲みながらも紅華は一言二言話し、向こうからは倍以上の答えが返ってきていたが、それ以上の情報は得られなかった。

 その後も他の店に行って店主に話を聞いたり、他人の会話に耳を傾けたりしたが得られる情報はなく、公開訓練場に足を運んでみたものの誰もいなかった。

 翌日も同じだった。

 そしてその翌日も同じだった。

 一瞬、群衆の中に〈玉輪公〉直下の軍人の姿を見ることがあったが、とても声をかけられる雰囲気ではなかった。

 日は頂点を通り過ぎた。もう時間が無い。

 緋司は落胆を隠せなかった。何を期待していたのだろうか。

 〈玉輪公〉の軍に協力してもらう約束を取り付けて英雄のように称えられる姿か。

 そうでなくても目的を達成して、堂々と〈桜貴〉の元へ向かう気持ちだった。

 毎年たくさんのお土産といえる情報や物を持って帰ってくる紅華を見ていて、旅は何かが得られるものと、努力は報われるものと美化した想像をしていた。

 このまま何も得られず帰るのか?

 むしろ〈玉輪公〉とその後継者の噂ばかりを聞いて、不安は増幅した。本当にこの軍が守る『神降祭祀』に突入しようとしているのか?その日にしたのは間違いだったのでは?

 〈ビャオルフ〉を使うのか?確かに彼らの種は強い、しかし人を傷つけることになるんじゃないのか。〈桜貴〉以外の誰かを傷つけることなんて想定していなかった。いや、少し考えれば当然のことなのだ、どうやって〈桜貴〉の元までたどり着くつもりだった?つくづく、自分の考えの至らなさが嫌になる。

 紅華はこの三日間、時々空を見上げては何かを探していたが、普段と変わらない様子だった。

 それがさらに、期待していたのは自分だけだと突き付けられるようで辛かった。

 いよいよ手ぶらで帰ることを覚悟したその時、初めて向こうから話しかけられた。

「あなた方。」

 細身の若い男が、足を開き後ろ手を組んで立っていた。軍服は着ていなかったが、軍人のような力強い佇まいだ。

「赫州から飛んできた事情を聞いてもいいと、瑤一様が申しております。」

 誰だ。


「こんにちは。突然お呼びして申し訳ない。」

 連れてこられたのは料亭だった。二階の個室にて待っていたのは、先ほど写真で見た〈玉輪公〉の三男の息子と言われるその人だった。

 写真通り、笑顔が可愛らしい少年だった。目が細まった分、より幼く見える。ゆったりとした羽織が逆に、線の細さを強調していた。そしてわかりにくいが、やはり左腕が無い。

「お座りください。あんな風に越州されたのは初めて見ましたので、興味本位で見ていました。あ、安心してください。輪州ではそこまで厳しく〈魔法〉を取り締まっていません。」

 またもにっこりと笑う。緊張を和らげる笑みだった。

「よほどの事情があるのかと思いまして。どちらの方ですか?」

 緋司は姿勢を正した。

 思考が追い付いていなかったが、これは唐突に訪れた、待ちに待ったチャンスだ。 

「赫州梅ノ香領〈和合の一族〉は、梅木代緋司と申します。」

「同じく紅華と申します。」

「あぁ、それが紅髪ですか。すみません、初めて見たものですから。お二人とも綺麗な髪色ですね。」

 調子が狂う御仁だった。年が下ということもあるが、改まって丁寧に話すこちらが滑稽に思えてしまう。しかしあくまでこちらはお願いする側なのだ。緋司はもう一度気合を入れなおした。

「〈玉輪公〉率いる軍の方に、お願いしたいことがあって参りました。」

 そこでふと、いやちょっと待てと脳内で警報が鳴った。これ、言って大丈夫なのか?『神降祭祀』を襲いに行きますと宣言して、もし賛同が得られなかったら最悪、今捕まるのでは?

 しかし口籠っている時間が無い。

 ままよと勢いに任せた。

「我々一族の中心を担う人物が、〈桜貴〉によって処刑されました。表向きには『仇鬼取締法違反』と言われておりますが、実情は今の〈桜貴〉が、『偽物』だということを知って口封じされたものと思われます。我々は『神降祭祀』で、〈桜貴〉を〈桜貴〉の座から引き摺り下ろしたい。会場の警備にあたる〈玉輪公〉一派にご協力いただき、侵入ルートを確保していただきたいのです。」

 言い切った。緋司はやり切った気持ちでいっぱいだった。

 なるべく簡潔にわかりやすく言ったつもりだ。交渉の基本は会話。紅華に教わったことで、むしろこれからの問答が重要だ。なんでも答えるつもりだった。

「〈桜貴〉が偽物…それは〈桜貴〉の血を継いでいないということですか?確実ですか?」

「えっと、」

 緋司は紅華を見た。

 何故このあたりの詳細を聞いていなかったか悔やまれる。そういえば紅華はどうやってこのことを知ったのか?

「〈桜貴〉の血を継いでいますが、〈神器〉ではありません。確証はありますが、なぜわかったのかは言えません。」

「〈桜貴〉を失墜させて、どうするんですか?」

 またも、緋司は言い淀んだ。

 どうするか?〈失墜〉させたその後?

「『神降祭祀』を狙うのは、そこに〈皇〉がいるからですよね?〈桜貴〉の失墜には〈皇〉の認可が必須だからでしょう?偽物とは言え、〈皇〉はわかった上で認めているでしょう。でなければ堂々と〈五光〉として『神降祭祀』に出られないでしょうし。よほど国に害を与えるほど甚大な不正をした証拠か、正当な〈桜貴〉連れてくるくらいしないと、〈四光〉になるのを〈皇〉は認めないのではないですか?今のところ、大きな事件は〈和合の一族〉の長が処刑されただけでしょう。それが不正であると証明するのは厳しそうですし。なんせ〈桜貴〉自身が『法』のようなものですからね。それで一族が全滅して〈仇鬼〉が赫州に跋扈するようなことになれば、〈桜貴〉の責任も問われるでしょうが。」

 『だけ』。母が殺されたことを、それ『だけ』と言われた。

 ショックを隠しきれなかったものの、しかし瑤一の主張はすべて筋が通っているように聞こえた。というか、緋司はそこまで考えが及んでいなかった。瑤一の頭の回転の速さについて行くのが精いっぱいだった。『神降祭祀』の日であることにそこまでの意味があったのか。紅華はどこまで考えている?

 〈桜貴〉を失墜させた後。

 瑤一は小首をかしげて答えを待ったが、固まって答えられない緋司に一言、「おもんな。」と言った。

 聞き間違えかと思った。先ほどまでとは雰囲気が一転、元々釣り目の大きな目が鋭く緋司を見つめている。同じ地面に座っているのに、見降ろされているようだった。

「勢いって感じやな。いいんちゃう?けど僕は巻き込まれたないわ。いや、僕はさ、自分にメリット無いと思うから断っとるんちゃうで。そりゃタダでは受けへんけど、僕は『正義』があるなら味方したげたい。君らに『正義』がないとは言わんけど、今の状態やったら自己満足の復讐やろ。その後の赫州とか梅ノ香領のこととかも考えてへんのやろ?僕考えてないやつ嫌いやねん。その場しのぎじゃ『正義』言わへんで。誰のための行動で何を目指してるんか、説明できひん行動は『正義』ちゃうと僕は思ってる。赫州の惨状はまぁ、やりたい放題やなとは思ってたし、なんかあるなら協力してあげてもいいと思っとるんはほんまや。だから声かけたんやしな。でももちょっと考えて出直した方がいいんちゃう?呼びつけといてごめんやで、もう行っていいよ。あ、〈和合の一族〉攻めてくるらしいでってちくったりはせんから安心して。なんで知ってんねんって突っ込まれるん僕も面倒やし。」

「二人で話してもいいだろうか。」

 紅華の申し出に、瑤一は「えーよ。」と答え、緋司は部屋の外へ出された。コース料理の待機場所のようなところで、道で声をかけてきた男もいたため聞き耳も立てられなかった。その男も、緋司に興味を示しているようではなったが。

 何も言い返せなかった。

 考えているつもりだった。

 しかしどこまでも考えが及んでいなかった。

 年は関係ないとわかっていても、ずいぶんと年下の子に言い負かされたことが悔しい。言い方はきつかったが、やはり内容は正しいことを言っている気がする。これが次期〈五光〉になるかもしれない人物との視野の広さの差なのだろうか。

 紅華はまだ残っている。なんの交渉をするんだ。

 〈和合の一族〉は焚きつけてしまった以上、『神降祭祀』での侵攻はもう止められない。やめると言えば違う暴動が梅ノ香領で起こりかねない。

 彼は『正義』にこだわっているようだった。それはもちろん、こちら側にあると思っている。

 しかし確かに「その場しのぎ」であることを否めない。

 〈和合の一族〉が立ち直るために必要なことと言えば、納得してもらえただろうか。しかしこれで本当に今まで通りに戻れるかは…

 〈皇〉に〈桜貴〉の失墜を認めさせる手段を、紅華は持っているのか?

 今になって初めて、「紅華はまだ何かを隠している」と思い至った。『神降祭祀』の日を狙う理由を教えてくれてはいなかった。緋司が聞かなかったからかもしれないが。

 今も瑤一は、緋司では考えが及ばないところまでも少ない情報から察して、より広く深く先のことを紅華と話しているのだろう。自分とはできない会話を。

 紅華を遠く感じた。

 長束の言葉を思い出した———「紅華を、ちゃんと連れて帰ってくれ。」

 長束は何を知っている?紅華は何を考えている?自分は何を知らないんだ。


 しばらくして、部屋から紅華が出てきた。

「行こう。」

 いざ紅華を目の前にすると、自分の不甲斐なさを差し置いて、何の話をしていたのかと聞けなかった。何も言い返せない情けない自分の姿を一刻も早く忘れてほしいという気持ちが勝った。

「紅華、『神降祭祀』の日に行くの。」

「うん、それは変わらない。協力が得られるかは微妙だけど。やることはやった、帰ろう。」

 緋司は何もした気にならなかったが。

 交渉の結果は中途半端な感じらしい。それでも行くというのだから、紅華はやはり〈桜貴〉か〈皇〉に対抗し得るなにかを持っているのかもしれない。それこそ、瑤一が指摘した「不正の証拠」か?

 帰りのシュトレンは微妙な空気を察してか何も聞くことはなく、梅ノ香領に送り届けると「今後とも御贔屓に。」と去っていった。

 『神降祭祀』は三日後だ。

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