7. 失われた〈鶯目〉

 緋司はゆっくりと目を開けた。

 体が重く、節々が痛くて寝返りが辛い。

 先日の出来事が断片的に脳裏にフラッシュバックする。


 母を助けられず、姉は意識がなく、とにかく必死に家へ向かった道のりのことは記憶に薄い。ただ二回夜を迎えて、やっとのことたどり着いた家の状態は地獄だった。

 混乱状態だった。

 泣き叫ぶ者、放心している者、右往左往する者、頭を抱える者、膝を抱えて座り込む者、大の字でうつ伏せで寝てピクリとも動かない者、壁に頭を打ち続ける者…

 一族でない者は狂乱状態の〈和合の一族〉を必死に止めようとしていた。

 皆泣いていた。〈鶯目〉を失ったことが、誰に言われるでもなくわかるのだ。

 〈和合の一族〉が学ぶべき歴史の一つに、〈鶯目〉を失った事例がある。詳細な記録は残されていないためこの件から学べることは少ないのだが、しかし「絶大な被害を受けた」ことだけはわかっている。紅華は「〈鶯目〉の引継ぎをしないと」と言っていた。この状況を、想定していたのだろうか———緋司は右に左に飛ぶ物から紅華を守りながら布団の上に寝かせた。そして一瞬の安堵の後、暗く空虚ななにかに思考が蝕まれていくのを感じた。


 〈和合の一族〉は〈鶯目〉を失った。


 あれからどれくらい意識を失っていたのだろう。

 

 ピュロロロロロロロロロロロ


 集合の笛の音が聞こえる。

 腕が痛い。爪をたてた跡がある。乾燥した唇を舐めると血の味がした。

 自分の周りに物の破片が散らかっている。帰ってきた後、自分も暴れて意識を失ったのだろうか。

 そしてやはり想うのは〈鶯目〉の喪失で、枯れていた涙がまた溢れ出した。

「緋司。」

 反応ができない。頭が回らない。

「緋司。」

 脇の下から抱え起こされた。呼んでいたのは長束だった。

 とはいっても、長束もふらふらだった。顔色が悪い。互いに支えながら、笛の音が鳴る大広間へ向かった。

 笛を鳴らしていたのは紅華だった。

 先日、緋司は紅華が取り乱す姿を見て、それにひどく動揺した。しかし今は不自然なほどいつも通りの様子だった。それが、恐ろしかった。

 紅華はしばらく笛を鳴らした後、集まった人を見回して広間を出て行った。そして、一人、二人と引き摺って広間へ放り込む。動けない人を集めて何をするつもりなのか。

「次の〈鶯目〉を決める。」

 紅華は静かにそう言った。

「慣例通りなら、継承式で正式に引き継ぎを行うところだが。一旦新しい〈鶯目〉を据えて、我々としても領民としても、落ち着いてから就任式という形で行うのがいいと思う。次の〈鶯目〉には、長男の兄さんか烈公が適当かと思うが、他に候補はいるだろうか。」

 誰も、なにも言わない。

 当の本人、長束も聞いているのかいないのか、焦点の合わない目で前方を見つめて微動だにしない。

 ただ静かに、時間が流れた。

 次に紅華が口を開こうとした時。

「どうして、そんなに、平気でいられるんだ…」

 一人が、ひとりごとのように呟いた。

「自分は、〈鶯目〉だった旭さんとは、かなり遠い血縁で…正直、直接お話ししたことも、数えるほどしかない。なのに…〈鶯目〉を失うことが、こんなことになるなんて…」

 大きく息をのんだ後、そのまま膝に頭を埋めて固まってしまった。

 ヒク、ヒクとしゃくりあげる声が伝播する。

「皆が、不安に思っている。」

 紅華は優しく語りかける。

「私も、〈鶯目〉を失って、母を失って、どうしていいかわからない。大切なものを無くした気持ちを、他のなにで埋めればいいのかわからない。正直、この先どうなるのか、どうしたらいいのか、わからない。」

 あぁ、自分と一緒だ。

 紅華の言葉だけが、耳の奥に響いた。

「でもな、皆———」

 

 私たちは誰だ

 我々は何だ

 神に選ばれた〈和合の一族〉だ

 〈仇鬼〉を倒す力を与えられた一族だ

 最前線で戦う 国随一の戦士だ

 守っているのは領民だけじゃない 州だけじゃない 国そのものだ

 我々は守らなければならない

 〈仇鬼〉たちから皆を守らなければならない

 思い出せ 悲惨な現場を

 また守れずに泣かせるのか

 目の前で大切な人を〈仇鬼〉に喰われるのを見るのは誰だ

 大切な人を失うのは誰だ

 皆に同じ気持ちを味合わせてはいけない

 〈仇鬼〉がくる

 奴等は待ってはくれない

 今すぐ戦闘に備えろ


「さぁ、行って。〈鶯目〉は、一旦長束に。」

 しばらく動きはなかったが、ポツリポツリと立ち上がり、徐々に動き出した。

 しかし、広間にはまだ動けない者がそれなりに残っていた。一貫して、若い者が動けていなかった。

 突如、大の字で仰向けに倒れていた者が唸り声をあげた。雛雲だった。

「ううううこ、紅華あぁあ。」

 雛雲は泣いていた。目はパンパンで服も乱れて酷い状態だった。

 つい先日、あの美しく着飾って大人になった面影はどこにも見当たらない。

「悲しいぃ。苦しいぃ。〈鶯目〉が、いなくなっちゃった。旭さんが、いなくなっちゃった。わかるの、もう本当に、いなくなってしまったって。心臓に、穴が開いてしまったみたいに、空虚なの。でも握りつぶされるみたいに苦しいの。もう取り出してしまいたい。どうにかしたいのに、どうしていいか、わからない。」

 その嘆きに、近くにいた数人が呼応するように唸り、泣いた。

 紅華は雛雲の涙をぬぐい、覆いかぶさるようにして抱きしめたが、雛雲は呆然と天井を見つめて微動だにしなかった。

 紅華は起き上がると、長束の元に寄って優しく肩を叩いた。

「兄さん。」

「いっそ紅華が、〈鶯目〉の方が…」

「私にはできない。それは兄さんもよくわかってるだろ。」

 項垂れた長束の頬に手を添えて持ち上げ、目を合わせる。

「兄さん、頼んだよ。」

「待て、紅華…」

「緋司。」

 紅華は力の入らない緋司の体を、下から抱え上げるようにしっかりと抱きしめた。

「緋司。守ってくれてありがとう。」

 緋司は戸惑った。

 守った?自分が、紅華を?

「兄さんは〈鶯目〉を担うことで精一杯だ。緋司、ここにいる子を頼んだぞ。」

 体を離し、目を合わせて「できるな」と念押しされた。緋司はよくわからないままに、ゆっくり頷いた。

「紅華、何するつもりだ。」

 立ち上がった紅華の手をとり、長束が引き留めた。

「頼む、お前は、もう行かないでくれ…」

「すぐに戻る。」

 そして、紅華は一週間ほど姿を消した。

 同時に八も消えたことは、ほとんどの者が気づいていなかった。


 長束にとっても、〈和合の一族〉にとっても、苦しい一週間だった。

 この一週間で〈仇鬼〉が出現したのは二回。そのたった二回で、六人亡くなった。

 正直、そこまで凶暴な〈仇鬼〉ではなかった。いつもなら怪我人も出さないはずだ。なのに、〈鶯目〉が機能していない状態で初めての〈仇鬼〉に戸惑っているうちに、あっという間に二人やられた。そしてその〈仇鬼〉に手こずったせいで、同時に二体相手にしなければならない時間があった。二体倒すまでに四人やられた。

 その六人のうち、二人は完全に〈仇鬼〉にやられたとは言えない様子だったそうだ。長束は直接見ていないが、〈ビャオルフ〉の制御が効かなかったようだと聞いた。改めて、というより初めて、〈ビャオルフ〉が〈仇鬼〉に匹敵する凶暴な獣であることを実感した。その件があり、〈ビャオルフ〉に恐怖を感じ、連携がうまくいかなくなった者が続出している。

 以前は、皆が何を考えているのか手に取るように分かった。誰がフォローに入ってくれ、自分は誰のサポートにつくべきなのか、自分の行動に悩むことがなかった。〈鶯目〉がいなくなってすべてがわからなくなった。「わからない」ことが普通の人の当然だ、しかしそれがこんなに不安なことだとは、想像が及んでいなかったのだと思い知った。

「雛雲は亡くなった。」

 紅華は表情を変えなかった。

「他には?」

 と、全員の名前を聞いて、「そうか」とつぶやいただけだった。

 長束は、いなくなった紅華を問い詰める気持ちは微塵もなかった。紅華は一週間前、領民にも銃を配布していた。そのおかげで、〈和合の一族〉が助けられた瞬間は数えきれない。紅華は、できること以上のことをしてくれていた。

 やるべきこともできていないのは自分だ。〈鶯目〉になったものの、それが今までと何が違うのかわからない。皆の消失感も解消されない。〈鶯目〉を失った時がピークではなかった。〈和合の一族〉が徐々に崩れていくのを感じる。どこで止まるのか、この瓦解はいつか止まってくれるのか。

 母の死を、母の死として悲しむ余裕さえまだなかった。

 何故殺されたのかと疑問を持つ余裕も。

「いつか元に戻る。」

 状況を聞いた紅華は、断定的に言った。

 長束も、いつかは収まるだろうとわかっている。〈和合の一族〉の過去には〈鶯目〉を失った事例がある。詳細はわからないが、そこから持ち直して少し前までの〈和合の一族〉の姿があったのだ。ならば今回も、どうにかはなるはずだ。未だに動けないほど乱れている者もいる一方で、立ち直ったとは言わないが戦える者もいた。

 頭ではそうわかっていても、気持ちがついて行かない。

 『いつか』がいつかわからないことが、不安で仕方ない。

 弱音を吐く長束に、紅華は淡々としていた。

「今できることだけを考えて、できることをするだけでいい。兄さんは、本当は自分がやるべきことをわかってる。それに自信が持てないだけだ。やれること以上のことを、やるべきなんじゃないかと、気負っているだけだ。」

 紅華は口にはしなかったが、もっと言いたいことがあるのはわかった。

 あの時、母が連れていかれるとき、完全に奪われる前ならば、できることがあっただろうと。その時に動いておくべきだったと。それを紅華が口にしないのは、紅華がすべて自分の責任だと思っているからだ。紅華は昔から何も、人のせいにしない。

 どうしてそこまで冷静でいられるのかという問いに、紅華は苦笑した。

「冷静である必要はない。仲間の死を想ってそれが糧になるなら、何時間でも何日でも想い続けるのがいい。泣いて立ち直れるなら、泣き続ければいい。私は、そうじゃない。泣いても、怒っても、一日伏せっても、今より良い状態に持っていけない。むしろ体力を消耗して、やれたはずのことができなくなる。その時間があるなら、今できることをやって、この先いつ何をすべきか考える。」

 普通それができないのだと、紅華は今後も、理解できても共感はできないのだろう。昔から変わらず、そういう妹だった。誰よりも世間とつながっていようとしながら、誰よりも浮世離れした、偉大で手の届かない、憎たらしくも美しい妹。

 紅華は帰って来て早々長束の元に来たのではなく、少し前に戻ってきて領地の様子を見てきたのだろう。こうして長束から話してはいるが、現状も大体は内容は把握しているようだった。

 そして紅華は、目の前で過去の〈鶯目〉損失の記録をさらいながら、一族を立て直すためにどれくらい時間がかかるか、体制としてどういった方向にもっていくべきか、そういったことを長束に意見した。その中で、紅華の〈和合の一族〉の〈鶯目〉についての仮説は初耳だった。

 ———〈鶯目〉とは何か。

 〈和合の一族〉の中心的存在であり、『共鳴』の結節点のようなものだと。指示系統の頂点であるから、〈鶯目〉がいなくなるのは脳がなくなるのと同じ。特別な〈鶯目〉だが、〈和合の一族〉なら誰でもなれる。継承式が終われば、次の〈鶯目〉を中心に変わらず機能する。

 継承式は形だけではなく、本当に〈鶯目〉の何かを引き継いでいるのだと思う、と紅華は言った。今は、それが継承される前に失われてしまった。しかし過去に立ち直った事例がある以上、〈鶯目〉足り得る何かは、作り直せるはずだ。

 さらに、〈和合の一族〉の中でも混乱具合に差があったのは、一概に年齢によるものではないかもしれない。〈鶯目〉を旭しか経験していない者が、よりひどく混乱しているのではないか。長束は思い返してみて、確かに境はそこかもしれないと思った。最悪の状態ではない長束も、二度ほど前〈鶯目〉と『共鳴』したことがある。

 だから、長束が早く〈鶯目〉になるように、そして若人が早く立ち直るためにも、無理にでも『共鳴』する頻度は多い方がいい、かもしれない。〈紅春式〉のように〈仇鬼〉に関係なくとも『共鳴』することは、意味があるかもしれない。

 普段の紅華なら、根拠のない仮設段階のことは口にしない。なにかきっかけをと、気を遣ってくれているのが身に染みた。事実、意味があるかはわからないが、今できることがある、それだけで活力が沸いた。妹に、助けられたばかりだ。

 紅華は長束の目に少し光が宿ったを確認して、「若い子達には気を付けて」と言った。今は精神的に危ない状態だから、何をしでかすかわからない。動きには目を光らせておいた方がいいと。まるで自分は幾度の修羅場を乗り越えてきた大人のような忠告をした。

「大丈夫だ。兄さんなら。」

 その根拠のない激励に、紅華はまたどこかに行こうとしていることを悟った。


 幼い長束が、物心がついてやんちゃになってきた頃。

 村に傷だらけの女が現れたのは、そんな折だったか。

 長束はその女の美しい力強さに、芯にある不動のなにかに魅了された。

 その女は、子を身籠っていた。女はしばらくの後無事に女の子を産んだが、長束の知らぬ間に姿を消した。女の子は、長束の妹になった。妹は日に日に、その女性に似ていた。

 外での自由を許されている妹を疎ましく思わなかったといえば噓になる。

 しかしそれ以上に、やはり彼女に似た妹は圧倒的な魅力を持ち、強く、美しく、眩しかった。

 妹は〈和合の一族〉でなくとも、一番〈和合の一族〉のことを考えている。

 

 紅華は一週間の成果を、詳しくは語らなかった。どこに行ったのか、誰と話したのか、何を見たのか。

「多分、時間がない。私はここに長居できない。」

 長束には止められなかった。どうしてそんなことを言うのかわからなかったが、母が処刑されてことと無関係ではないのだろう。

 紅華もそれ以上は何も言わなかった。

 しばらくして、外で言い争う声が聞こえた。その時もやはり紅華の行動は早く、長束を置いて外に飛び出した。

 外に出ると、二つの集団が向かい合っていた。

 どちらも〈和合の一族〉だった。調和を根底に据えた一族が、対立。

 長束は目の前の状況に動揺した。片方は若年層の集団で、〈ビャオルフ〉に乗って今にも飛び出しそうな雰囲気だった。それを大人達が止めている。

「どうしたんだ。」

「こいつら、〈桜貴〉のところへ…」

 やはり、紅華の言うことはすべて正しい。



 数分前、緋司は部屋の外で寝ころんで長束と紅華の話に耳を澄ませながら、〈鶯目〉がいなくなってまだ一週間と少ししか経っていないと思い至り、大きく息をついた。

 紅華はこれから何をするつもりなのか。何を知って、「ここに長居できない」と言ったのか。

 とにかく、紅華がどこかへ行ってしまうことだけはわかった。緋司は力を振り絞って立ち上がり、広間へと向かった。同じく部屋の外で聞き耳を立てている八と目が合ったが、すぐに視線を反らした。

 これまで感じたことがない苛立ちだった。

 〈鶯目〉がいなくなったことの影響が表れているのだろうか。

 しかし八への苛立ちは、同時に自分への苛立ちだった。

 一週間、紅華と八は行動を共にしていたのだろう。どうして自分ではなかったのか。当然と言えば当然か、自分は、母の処刑を目の前にして何もできなかった。紅華は守ってくれたと緋司に礼を言ったが、あれも〈桜貴〉の兵に助けてもらった後に〈ビャオルフ〉に運ばれただけだ。その後は皆と同じように、悲しみに沈んで狂っただけだ。なにも、自分の意思じゃない。

 今回も、緋司を連れて行ってはくれないだろう。緋司には長束と〈和合の一族〉を支えることを優先させるだろう。それが「正しい」のだろう。

 しかし、緋司はもう、紅華と離れたくなかった。

 どうしたらここに残ってくれるか。ここでなくてもいい、どうしたら〈和合の一族〉と一緒に居てくれるか考え、広間で声を上げたのだった。


「落ち着け!」

「一旦止まれ!」

 大人たちは口々に叫ぶが、若年層の集団は〈ビャオルフ〉と共にじりじりと前へ進む。皆表情が別人のようで、『共鳴』の状態が悪い方向に働いているように思えた。

「想定より早かった。」

 紅華は長束に囁いた。

「遅かれ早かれ、矛先が〈桜貴〉に向くのは必然だと思っていた。一週間前、その矛先を〈仇鬼〉に向けようとしたけど、若い子には刺さらなかったからなおさら。でも…」

 口々に叫んでいた。

「〈鶯目〉を奪われた。」

「私たちの〈鶯目〉が、〈桜貴〉に奪われた!!」

「〈桜貴〉に復讐を。」

「〈桜貴〉を殺さないと。」

 紅華が苦々し気に呟くのが聞こえた。

「誰だ、焚きつけたのは…」

 今は〈鶯目〉がいない。この集団心理の発端が、誰にあるかもわからない。一度火がついてしまったこの動きを止めるすべがなかった。

 大人たちも「落ち着け」と言うしかなく、さらに若者たちの気持ちがわからないでもなかった。というより、思い出さされた。理不尽に奪われた事実を。

 このままでは勢いに充てられて、便乗する者が何人出るだろう。

 長束は中ほどに立つ弟の姿を見て叫んだ。

「緋司!どうするつもりだ。」

「弥生邸に行く。〈桜貴〉に復讐する。そうしないともう、みんな進めないよ。」

 視線はまっすぐに紅華へ向いていた。

 集団は一歩、二歩と足を踏み出す。

 長束はまたも、見ていることしかできなかった。集団の『共鳴』に充てられそうになるのを感じた。皆憎いのだ、大切な〈鶯目〉をわけもわからないまま奪い去った〈桜貴〉のことが。

 少しの隙で、彼らは走り出してしまうだろう———


 止まれ


 その一喝で、〈ビャオルフ〉を含め全員の動きが止まった。

 誰も動けなかった。金縛りにあたように、何も動かせなかった。時が止まったような空間で、紅華の声だけだ静かに、頭の中に響いた。


 〈鶯目〉の死が辛いのはわかる

 偉大な〈鶯目〉だった 優しい〈鶯目〉だった

 しかし 何故殺されたのか 考えろ


 この地は貧しい

 〈仇鬼〉に荒らされるたび 皆で何度も復活させてきた

 でも限界だった

 何度も何度も何度も 進言したにもかかわらず〈桜貴〉からの援助はなかった

 〈鶯目〉はその現状を変えるために戦っていた 我らのために


 何故殺されたのか

 〈桜貴〉が『偽物』だと知ったからだ

  

 その一言に、荒れ狂う集団も、必死に止めようとした者たちも、一様に息をのんだ。

 〈桜貴〉が偽物?何故?どういうことだ?いつから?

 しかし、ならばすべて納得がいく。

 〈鶯目〉は偽の罪を着せられ、口封じに殺されたのだ!

 我々は偽物の命に従ってこの地を命がけで守っていただけでなく、偽物に救援を無視され続け、〈鶯目〉を奪われた———湧き上がる怒りがすべてだ。

 紅華は静かに言い放った。


 この州を守っているのは誰だ?〈桜貴〉か?

 違う 〈和合の一族〉だ

 〈桜貴〉は我々をないがしろにした

 今の〈桜貴〉は〈桜貴〉にふさわしくない

 〈桜貴〉の座から引きずり降ろそう

 

 固まった体から力が抜けた。自由になった身に力が漲る。

 皆の目には生気が宿っていた。復讐を目標に据えることで立ち直ることができたことを、どう捉えるべきだろうか。長束は素直には喜べなかったが、しかし良かったと思う気持ちはあった。

「でも今じゃない。今行っても〈桜貴〉に会うことすらできないだろう。」

 もう俯く者はいない。力強く立ち、まっすぐに紅華を見る。

「決行は『神降祭祀』だ。」

 皆一瞬怯んだが、意を決して大きく頷いた。

 『神降祭祀』は五日後に行われる、年に一度の〈皇〉との挨拶の日だ。〈五光〉と〈皇〉が一か所に集結する日だった。

 例年、赫州の弥生邸近くの赫璃光院で行われており、確かにその日であれば〈桜貴〉は弥生邸から出てくる。人の出入りが多いため、チャンスもあるかもしれない。そう安易な考えで納得したのだった。

 緋司は、前に立つ紅華に魅入っていた。紅華が傍にいてくれる。皆を先導してくれる。それだけで、今の行動には意味があったと思った。この先〈桜貴〉とどうなるにしろ。緋司にとってはそれだけでよかった。

「紅華…」

「大丈夫。みんなここに、無事に返す。」

 長束は、その「みんな」に紅華は含まれているのか?とは聞けなかった。


 集団の興奮はしばらく続いたが、ろくに寝れておらず限界だったのだろう。一人、また一人と糸が切れたように倒れこんで広間へと運ばれた。

 その後は、表立って反対する大人はいなかった。〈和合の一族〉である故に、対立や反発することに慣れていないのもある。それでも皆が協力的なのは、内心、〈桜貴〉を見返してやりたい気持ちは同じだからだろう。しかし〈仇鬼〉はやってくる。領民を放っては置けない。それがわかっていて弥生邸への侵攻に便乗する大人はいなかった。

 後で〈桜貴〉が〈和合の一族〉にどういった処罰を下すのかは、今は考えたくなかった。

「ごめん、兄さん。」

 緋司は素直に長束に謝った。〈鶯目〉の役割を果たそうとしているところに水を差すことになってしまったのだ。謝って済む問題ではないのだが、しかし長束は「いや…」と歯切れの悪い反応だった。

「?どうしたの。」

「…紅華を〈桜貴〉の元へ連れて行かない方がいい。紅華と居たいなら…」

 何を言っているのかわからなかった。紅華と居たいから共に行けるようにしたのに、紅華と居たいなら連れて行かない方がいいとは。傍にいなかったら、また知らないうちにどこかに行ってしまうではないか。

「すまん、わからない。忘れてくれ。ただ…紅華を、ちゃんと連れて帰ってくれ。」

 言われずともそうするつもりだった。大切な家族を、これ以上失いたくない。

 しかし、紅華に緋司のことを頼むのはわかるが、緋司が紅華のことを頼まれるとは思っていなかった。長束がなにを危惧しているか、緋司にはわからなかった。

 慌ただしく運ばれる様を呆然と見ていると、突如腕を引っ張られた。

「緋司、行くぞ。」

「え、紅華?何…」

「烽州に行く。」

「烽州!?」

 突如腕を引かれ、ろくな準備をせずに二人は飛び出した。

 緋司にとって二度目の領地外への旅は、州を超えることになった。

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