5. 突き付けられた罪状
「紅華、もう行くの?」
「うん。」
〈紅春式〉の翌日、すでに紅華は荷物をまとめていた。まだ空は薄暗い。
なにをどう調達しているのか、いつも出るときは身軽だった。
「最後の一年だから。意味のあるものにしたい。まだまだ、行きたいところがあるんだ。」
昨日のお祭り騒ぎの余韻で、爆睡している者が多かった。
見送りに出たのは、旭、長束、緋司、そして冬至と八だ。雛雲は声をかけたが、起きる様子がなかった。目覚めて紅華が居なかったら、怒られるのは緋司だろう…それを考えると憂鬱だったが、今はそれどころではなかった。
また何も言えずに見送るしかないのか。
もう自分の方が背が高くなった。毎日ちゃんと鍛えている。必要最低限の教育は学んだ。勉学の成績は良好だ。書庫の本は…財形関係以外は、読んだ。自分は紅華の足を引っ張るだろうか。いや、男手というだけで役に立てることもあるはずだ。
緋司がそう自分を鼓舞しているうちに、母と長束と軽くあいさつし、冬至に盛大に頭をかき乱されている。
「また!」
そう言った八の頭を撫で、そして緋司の頭を撫でた。
「じゃあ、また来年。」
紅華が背を向けて歩き出した。
ここを逃すともう、チャンスはない。
「待って紅華!」
緋司は駆け寄り、紅華を強く抱きしめた。心臓が飛び出そうだ。「どうした?」といつも通り落ち着いた声色に、大きく一呼吸ついた。
断られるのが怖い。全ての努力が無意味だったような、自分はまだまだ未熟だと突きつけられるような気がして。
その自信のなさが、極小の声に現れた。
「僕も連れて行って、紅華…」
覚悟を決めて伝えたというのに、想定以上に情けない言い方になってしまった。恥ずかしくて顔が見れない。返事がないことも、不安を駆り立てる。断られたら、今度はなんて説得すればいいだろうか。正直こんなに早く発つと思っていなかったため、全然案が無い。
紅華が背中を叩いた。離れろという意味ではなかったのだが、咄嗟により一層強く抱きしめた。
「母さん達に言ってないんだろ?」
頷くこともできなかった。反対されるのが目に見えている上、説得できてもその後に紅華に断られるのが怖かったのだ。しかしやはり順番を間違えたか。
紅華がいない間、一緒に連れて行ってもらえるよう必死に頑張ったつもりだった。できることは全部やった、と思っていたが、一番重要なところを後回しにしていたのかもしれないと一気に後悔の念が押し寄せた。なにも言われていないのに、もう目が潤んでいる気がする。
紅華が笑った気がした。
「まっすぐ南に向かってる。説得できたら、〈ビャオルフ〉を呼んで追いついておいで。」
勢いよく身体を離した。
紅華は真面目な表情だったが、緋司だからわかるほど微かに笑っていた。いつもと変わらなさ過ぎて、自分の耳を疑った。これは、OKってことでOK?
「早くしないと置いていくからな。」
OKだ!嬉しさのあまりもう一度抱きしめかけたが、今度は恥ずかしさが勝った。大きく頷いて、「一旦、行ってらっしゃい。」と見送った。
紅華はぶらぶらと歩きながら、「残り一年」という事実を重く受け止めていた。母には「変えなきゃ」と主張したものの、あと一年で何ができるだろうか。梅ノ香領の現状をこのままにしておけない。なんとか、よき方向に変えたかった。そのために視野を広げてきたつもりだ。
緋司の言動には驚いたが、予想外のものではなかった。むしろ自分から外に行きたいと言ってくれたことは、紅華にとっては喜ばしい。将来的に外を知っている者は一人でも多い方が良いと思っていたし、どうしても考え方が一貫しがちな〈和合の一族〉の中で、緋司が味方であれば心強い。
ゆっくり歩いているつもりだったが、いつまでも緋司の姿は見えなかった。道に迷ったか?
あたりがうす暗くなってきた頃、紅華は道沿いにあった民宿の二階の窓から外を見て、緋司を待っていた。
遠くに影が見えた。〈ビャオルフ〉はやはり速い。
自分も自由に乗れたら旅がかなり楽になるんだろうな。それにしてもずいぶん時間がかかった、説得に苦労しただろうかと呆けて見ていたものの、徐々に近づく緋司の表情から胸騒ぎがした。
「緋司!」
緋司は声に反応し、紅華を見つけると叫んだ。
「母さんが連れて行かれた!」
「…は?なに?」
「〈桜貴〉直属の兵が来て、母さんの罪状を…」
「罪状?なんの?」
「『仇鬼取締法違反』だって…詳しいことはわからない…何も言われてない…」
「…くそっ!!」
紅華は急いで民宿を出た。
〈ビャオルフ〉は二人乗せて速くは走れない。
「緋司、一匹呼べ。」
「…でも、」
「早く。」
緋司は〈ビャオルフ〉に乗ったまま、ピュィ、と指笛を鳴らした。
既に走る紅華に並走する。
「皆の様子は?」
「母さんが『静かに待つように』指示したから落ち着いてるけど、混乱はしてる。」
「そいつら本当に〈桜貴〉直属だったのか。」
「うん、確かに左胸のあたりに桜の紋があった。」
紅華は考える。
〈桜貴〉。
胸騒ぎがする。いつもは言葉にはしないことが、思わず口から溢れた。
「何の用だ、今まで散々放置しておいて。なぜ辺鄙な梅ノ香領まで〈桜貴〉直下の軍が出てくるんだ。罪状だと?救援は無視しておいて!」
緋司は、紅華が怒っているのを初めてみた。〈和合の一族〉も、調和と平和の一族とはいえ多少不機嫌になることは当然ある。自我がないわけではない。それでも負の感情の高ぶりは小さく、長引くこともないのが特徴だ。
今の紅華は、今まで見せたことがない怒りの表情をしていた。しかも相当怒っている。
緋司が呼んだ〈ビャオルフ〉が二人に近づいた。しかしやはり、紅華に近づくのを嫌がっている。
紅華が手を伸ばすと、〈ビャオルフ〉は噛みつく素振りを見せた。本気ではないだろうが、脅す意味はあるのだろう。
緋司も『共鳴』してなだめようとするが、なかなかうまくいかない。そもそも、普通はなだめる必要なんてないため、こういう時に落ち着かせる良い方法がなかった。何故そこまで紅華だけが拒否されるのか、わからない。
五分ほど押し問答が続いた後、紅華がしびれを切らした。
〈鶯目〉が連れていかれた
片手を〈ビャオルフ〉に向かって伸ばしたまま、紅華は語りかける。ひどく落ち着いた声だが、圧倒される雰囲気があった。
〈ビャオルフ〉がわずかに身を引いたが、紅華はそれを許さず一歩前へ出た。
もう会えなくなるかもしれない
今すぐ、私を乗せて走れ
ピタリと動きを止めた〈ビャオルフ〉に、紅華は伸ばした手で首元の毛を掴んで飛び乗った。
少し暴れたが無理やり押さえつけ、〈ビャオルフ〉はすぐにトップスピードに乗った。狂ったように頭を振り乱しながら駆ける。
緋司はその後ろを追いかけた。
紅華の「会えなくなるかも」という言葉に引っかかった。正直そこまで深刻な状況とは思っていなかった。紅華を呼びに来たのは、こんなことは初めてで皆が不安だったし、追いつくと約束していたからまずは知らせないとと思っただけで。
家から〈桜貴〉のいる中央領とは反対方向へ来てしまっていた。
家まで戻った時には空は黒く、すでに〈紅春式〉を終えて提灯が片付けられた領内は真っ暗だった。
家の外に人影が見えた。
「兄さん!」
紅華が飛び降りた。紅華が乗っていた〈ビャオルフ〉はひどく疲れており、すぐに紅華かから距離をとった。しばらくして追いついた緋司は二匹を労い、帰してやった。
紅華が長束に手渡された紙には、確かに『仇鬼取締法違反』とあった。しかしそれ以上の情報はそこからは読み取れない。どの行動がそれに障ったのかわからない。
「紅華、落ち着け。今は連絡を待つしか———」
「いや、やっぱりおかしい。」
おかしい?長束と緋司は顔を見合わせた。紅華がここまで焦っているのは何故だ。
確かに、この罪状にはなんら心当たりがない。母に宛てられたものだが、そもそも〈仇鬼〉に対する母の対処は〈和合の一族〉としての対処と同義だ。つまり全て皆に筒抜けなのだ。その中で違反に当たることと言われれば…〈魔術師〉に〈仇鬼〉の遺体を譲渡していることか?それならば母だけ連れていかれたというのは確かに「おかしい」のかもしれないが、代表として連れていくなら〈鶯目〉だろう。
しかし紅華が気にしていたのは別の点だった。
「この違反なら、連行より先にすぐにでも家宅捜索されるはずだ。なにより証拠を抑える必要があるし、それを隠す猶予を与えることはまずない。それに何より、〈桜貴〉直下の軍がわざわざ出てくることがおかしい……母さんのところに行く。」
「待て、紅華。」
「母さんが『静かに待つように』って…」
「状況がよくわからない。でも、たぶん何かおかしい。母さんが心配だ。」
「紅華!今からは危なすぎる。せめて日が登ってからに。」
何かがすぐに起きるわけじゃない。母が連れて行かれた時はどうしたものかと混乱したが、待つように指令もあったし、音沙汰があるまで待つしかないと、今は皆落ち着いた所だった。
紅華は悩んだ末に頷いた。
「じゃあ、明るくなったらすぐに出る。」
「紅華。」
緋司が呼びかけると、中から「おいで。」と声が聞こえた。
扉を開けると、部屋にはいくつかの銃と弾薬が並べられており、紅華はそれらに囲まれて座っていた。数冊の本を開きながら、何やら紙に書き込んでいる。
「何してるの。」
「〈桜貴〉の弥生邸までの道を整理してる。あとは弥生邸の中の構造を。私も中まで入ったことはないから。緋司、銃の使い方はわかるか?」
「…なにしてるの、紅華…」
顔を上げた紅華はいつも通り淡々としており、躊躇いも恐怖も迷いもなかった。対して緋司は、自分の顔が引き攣るのがわかった。紅華なら止められても飛び出していくと思ったが、素直に日の出を待つなんてらしくないと思ったのだ。
紅華は準備の時間を作っただけだった。戦闘の準備を。
「紅華、僕が大げさだったのかもしれない。母さんは無理やり連れていかれたわけじゃないよ。まだなにが罪に問われているのかわからないんだし。紅華は母さんを、迎えに行くだけだよね?罪状の詳細を聞いて、誤解を解いて、とか、わからないけどそういうことをしに行くんだよね?こんな大量の武器何に使うの。こんなの持ってたら、それだけで誤解を…」
紅華は真っ直ぐに緋司を見つめた。
今は特別、何を考えているかわからなかった。いや、受け入れられないだけなのかもしれない。力尽くで母を取り返そうとしているなんて。
「〈桜貴〉を敵に回して反乱でも起こすするつもり…?〈五光〉だよ?」
〈桜貴〉を敵に回したら、〈和合の一族〉はどうなる。
緋司には何もわからなかった。想像が及ばなかった。未来を想像するには、知らないことが多すぎる。
紅華は「うん、どうなるかわからない。」と目を伏せた。
「でも母さんを、〈和合の一族〉にとって〈鶯目〉を失うこと以上に悪い状況なんてあるか?」
母を失う…〈鶯目〉を失う…『共鳴』の中心を失う…全身から血の気が引いた。
『今』が既に危ないということにようやく思い至った。今〈仇鬼〉が現れたら、〈和合の一族〉は太刀打ちできないのではないか?〈ビャオルフ〉一体と『共鳴』はできても、皆の動きがわからなければ集団としての戦闘はできない。
「そもそも母さんだけに向けられた罪なのか、一族代表としてなのか分からない。だけど最悪の場合を想定して、一旦返してもらって〈鶯目〉の引継ぎをしないと。」
紅華は、連れていかれたのが母でなくても、〈鶯目〉であれば同じことをするのだろうと思った。あくまで〈鶯目〉として、「一旦返してもらって」と物のように言うのを冷たいと思ったが、しかし紅華の言っていることは正しい。
「でも、〈桜貴〉に反発したら…皆罰せられるんじゃ…反逆なんて最悪、死刑に…」
「そしたらみんなで逃げてもいい。この場所でないと生きていけないわけじゃない。」
『逃げる』。そんな後ろ向きな単語が、紅華の口から出ると思っていなかった。
緋司は紅華を見て、正しことによって物事は良い方向に上手くいくと学んだ。それは正しければすべてが上手くいくと、過大解釈している節があった。
一方で紅華は理解している、世の中は正しいことばかりではないことを。多くの理不尽が当然の顔をして蔓延っていることを。
だから、正しいことを貫ける環境が整うまで身を引く重要性を説いているのだ。
「緋司、世の中は広いんだよ。緋司が思ってるよりずっと。」
紅華と緋司は仮眠をとりつつ、夜通し話しながら準備をした。
紅華も最初から戦争を仕掛けに行くつもりはなかった。話し合いで解決できればそれが一番良い。罪状が誤解であったという結果が一番いい。でも何があるかわからないから、準備はできることは全部しておいた方がいい。
それを聞いて、緋司はようやく落ち着きを取り戻したのだった。むしろ「紅華はやはりすごい」と、こういったイレギュラーな場合の準備方法を学ぶ気持ちで一晩を過ごした。
あっという間に空は明るくなり始めた。もうすぐ出発だと、緋司はわずかな緊張と興奮を抱えていた。
迎えに言ったら、母さんは喜ぶだろうか。それとも大人しくしてなさいと、笑って叱られるだろうか。
ピンポーーーーン
聞きなれない音が鳴った。
家の呼び鈴?大勢が暮らすこの家で、出入りもあまりに自由なためこの音を聞くことがまずない。
玄関に立っていたのは、印象に残らない優しい雰囲気のある男だった。
左胸に、桜の紋。
「早朝に失礼します。こちら、梅木代旭の処刑が、本日正午に執行される通知になります。」
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