4. 紅春式

 夜中。既に日付は変わっている時刻。

 母の部屋から溢れるうすら灯に緋司はそっと近づき、中の声が聞こえる窓辺に背を預けて座り込んだ。

「短銃二十丁、弾五百発。皆に持たせて。」

「どこで手に入れてきたんだか。」

 カチャカチャと金属音と共に、紅華と母の声が聞こえる。

 旭は紅華が手渡した銃を眺めた。

「金属の匂いを、〈ビャオルフ〉たちが嫌がらないかな。」

「領民にでもいい。〈仇鬼〉に有効な方法は多ければ多いほどいい。」

 紅華は帰ってきたら必ず、母と二人だけの時間を作る。特に夜は、いつだって母との時間だった。

 緋司は、それが羨ましい。

 二人の話は難しい内容も多かった。ただ、いつも以上に無機質で落ち着いた紅華の声を聞くのが好きだった。

「母さん、〈仇鬼〉の扱いには気を付けて。本来なら遺体は〈桜貴〉に回収されるはずでしょう。それがされないのは〈桜貴〉の不手際でしかないけれど、だからといって無断であげてもいいわけじゃない。」

「そうね、いつかはバレるかもしれないし、もうバレてるかもね。」

 母は落ち着いた声で応えた。後悔など微塵も感じさせない、開き直っているのとも違う。ただ、自分が行っていることに疑いはない。規則を守る余裕がないほどに、梅ノ香領は困窮している。

 紅華もそれがわかっているから、責めるような口調ではない。ただ事実を述べているだけだ。今回は金銭を受け取らなかったが、それは火消しの手伝いという名目だがあったからだ。これまでは何度か金銭的なやり取りもあったのだろうと予想する。

「〈桜貴〉の関心を引かないと。」

 バレてるのなら、その上で関心を持たれていない方が問題だ。

 どうにかして〈仇鬼〉による被害状況を理解させる必要があるが、そもそも遺体回収にも来ないなんて、関心がないからとしか考えられない。しかしこちらから催促する方法はなく、援助申請がどのように処理されているのかも不明だ。ここまで応答がないと、受理されているのかさえ怪しい。

 〈桜貴〉からの命の元で、〈和合の一族〉はこの梅ノ香領で赫州への〈仇鬼〉侵入を阻止するために戦っている。ここまで放置されるなら、我らも戦うことを放棄すればいいと簡単に言うことはできない。ここには人がいる。そして赫州にはたくさんの人がいる。

「〈桜貴〉が代替わりしたら、変わるかしら。」

「母さん、今、変えなきゃ。」

「無理しないで。本当、心配しかないわ…ごめんね、紅華。」

「何が。母さんが謝ることなんて何もないでしょう。」

「そうかな。」

 紅華は旭を見ていなかった。ただ両足を投げ出して壁にもたれ、足先を眺めている。

 いつも何か考えている。人以上に、常にさまざまなことに思案を巡らせている。いつの間にかとても頼もしい存在となっていたが、母親としては心配が勝った。

 先を見据える紅華に反して、旭の意識は時を逆行していた。


 知識に飢えた優秀な娘は、外に出たがった。知識も物資も、この領地のためにたくさんのものを得て帰ってきてくれる娘に、制限時間付きの自由しか与えてあげられないのがもどかしい。その自由も、この娘が自分で得たようなものだ。

 一番大きなきっかけは、梅並木を越えた事件だったと思う。知らせを聞いた時には本当に肝が冷えた。その時は歯止めがきかず感情に任せて、どうしてそんな危ないことをしたのかと責めたが、紅華は淡々と「〈仇鬼〉がどこに住んでいるのか知りたかった」と言った。そして近くまで接近している〈仇鬼〉数匹の位置を知らせたことで、実際に何件かの被害を最小に抑えられたのだった。紅華は目的は達成でいていないと考えていたようだったが、その件で皆が一目置いたのは間違いない。

 紅華は幼いころから頭のキレる賢い子だった。物覚えが良いだけでなく、「〈桜貴〉は〈仇鬼〉を集めてどうしているの」「〈ビャオルフ〉以外の動物とは『共鳴』できないの」とさまざまなことに疑問を持った。

 しかし、理性的すぎるがゆえに、人の気持ちがわからない子だった。例えば、「勉強した方が役に立つのにどうしてそれをせずに遊んでいるの?その球遊びは何の役に立つの?」と本気で疑問に思う子だった。それに類することを直接言って、年上の子を泣かせたこともある。感情を表に出さない上、起伏のない話し方をするため、威圧感がありすぎるのも原因だった。

 しかし、決して独りで平気な子ではない。特に〈和合の一族〉という『共感』が当然の環境で苦しんでいるのを知っていた。

「紅華、正しくあることは素晴らしいことだけど、正しいことだけが幸せとは限らないんだよ。」

 遊ぶのも楽しい。栄養のない物も美味しい。そういった無駄なところにある幸せを知ってほしかったし、逆にいくら正しくても、自分を否定されることは悲しくて辛いのだとわかってほしかった。

「共感する必要はないの。ただ、そういう考え方や価値観もあるのだと理解する努力はしなさい。」

 そうでなければ、独りぼっちになってしまう。

 紅華がそのとき返事をしなかったが、ある時から人が変わったように他人と積極的に関わるようになり、たくさん笑うようになった。もしかしたら、それが『共鳴』の為のコツだと思ったのかもしれない。その変貌を嬉しいと感じる一方で、無理をして自分を殺してしまっているのではないかと心配した。だから、旭の前では昔のように無愛想な娘を見て安心するのだった。

 紅華は毎度、旭に問う。今では旭よりたくさんのことを知っているだろうに、それでも自分が持つ問いを旭に投げかける。

「どうしたら〈魔術師〉は世間に認められるだろうか」

「どうしたら〈仇鬼〉を絶滅させられるだろうか」

「どうしたら〈桜貴〉を動かせるだろうか」

 娘の問い方に、同じように「どうして戦わないの」と起伏のない口調で問うた人を思い出す。とはいっても、旭はその人のことをほとんど知らない。


 紅華は独り言のように続ける。

 気づけば話は移り変わっていた。

「〈紅春式〉はいつも、儀式的なものに感じる。一族だけでなく、領民を巻き込むような大きな『共鳴』の儀式みたいに。昔はそんな役割もあったのかな。実際、領民はただそこに居るだけだけど。これが本当に『共鳴』だったら、そこに入れない者はどんな扱いを受けたんだろう。調和は同時に、なじめない者の排他でもある。」

 外で聞く緋司には、紅華が何を言いたいのかわからない。

「〈和合の一族〉は疑いを持たない。信じる心が強い。それは美しくて素晴らしいことだけど、私にはとても恐ろしいことに感じる。」



 翌日、朝からとても賑やかだった。至る所で提灯が揺れ、屋台やイベントでお祭り騒ぎだ。

「紅華!早く起きて!!」

「ん…」

 緋司が紅華の部屋に入ると、服が脱ぎ捨てられていた。格好にはとことん無頓着だった。〈ビャオルフ〉に乗れないことが唯一の弱点だと思っていたが、無防備でだらしがないところも弱点なのかもしれない。しかしそれが親しみやすいところでもあり、緋司が世話をやけるところであるからそのままでいてほしい。

 この日、〈和合の一族〉は一日体制で〈仇鬼〉対策の警備に当たる。だからこそ、領民はいつも以上に安心して楽しむことができる。

 夕方までは賑やかな調子が続いたが、日が落ちると雰囲気は一転した。

 店は閉まり、静かで冷たい空気の中、高い笛の音が鳴り響いた。

 領内の二十歳を迎えた男女らが美しく着飾り、提灯の赤い光に照らされて護送されるように領内を練り歩く。その行列の先頭は、成人した〈和合の一族〉である雛雲だ。紅色に鶯色で花紋様が刻まれた古の和装に身を包み、長い髪は無数の髪飾りで結い上げられている。きらきらと揺れ動く髪飾りの間から覗く目は、目じりに引かれた鶯色のラインが際立っていた。

 一行を迎えるように、そして見送るように領民が道を作っている。わずかに俯き、左の胸に手を当てる。成人を迎えた子を見送りながら、目にうっすら涙を浮かべる姿も見える。一行は歩きながら、時々脇に知り合いを見つけては手を振って答えている。

 雛雲も、紅華と緋司に気が付いて嬉しそうに小さく手を振った。つられて隣にいた八も手を振る。同じ年くらいの子もいないではなかったが、八は紅華と緋司について回っていた。存外人見知りなのかもしれない。緋司にとっては、初めての年下の子との関りで戸惑うこともあったが、弟ができたようで嬉しかった。

 緋司は雛雲を見て、素直に美しいと思った。

 領内をおおよそ一巡した後、南北に長い領地の真ん中あたりにある大きな広場にたどり着いた。

 そこは提灯と松明で囲まれており、中心には大きな杯が置かれている。中には酒が入っており、たくさんの梅の花びらが浮かんでいる。二十歳を迎えた男女が杯を囲む。一行についてきた領民は、提灯と松明の外側からその様子を見守っている。

 しばらくすると、〈和合の一族〉が広場に入った。旭を先頭に、こちらも〈紅春式〉用の正装だった。袖の広がった紅色の羽織がはためくと、提灯の光によってできた影が鳥のように見えた。

 〈和合の一族〉は二十歳の男女らを囲んで円を作ると、額の前で手を組んで祈りを捧げた。ずっと、どこからか笛の音が響いていた。それに合わせて『共鳴』すると、杯の中の酒の水面に波紋が広がる。

 変化する波紋の動きに合わせて、梅の花びらが規則的に、踊るように舞った。時折、ちゃぷんと音と共に飛沫と花弁が飛び跳ねた。

 終盤には、旭が小さな杯で酒を掬い、代表して雛雲に手渡した。

 雛雲がそれを口に含み、〈紅春式〉は無事に終了した。

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