3. 前夜の晩餐

 紅華はシュトレンからもらったガラス球は、〈和合の一族〉の〈鶯目〉である母が持つべきだと差し出した。しかし、母は受け取らなかった。

「紅華が持ってて。しょっちゅう危険なところに行くんだし、一番、時を選べると思うから。それに、私はよくわからないし。」

 長束も、皆もうなずいた。紅華も、万が一〈魔術師〉の関連が疑われたときに自分が持っていた方が都合がいいかもしれないと思い至り、素直に受け取った。

 〈和合の一族〉は、疑いを持つことや嘘をつくことに慣れていない。『共鳴』する力によって思考や感情が統一化される日々は、一族に調和・平和をもたらしている。それが当然の状態で、反発すること無い居心地の良い環境に、不満を持つ者はいない。

 その中で、紅華は異質な存在だった。とにかく『外』を知りたがった。

「とはいえ、あと一年だねぇ。早いなぁ。」

 うっとりと感傷に浸る旭に、紅華は「あぁ、」と曖昧に答えた。

 紅華にとっては「あと一年しかない」だ。これまで自由に梅ノ香領の外に出るのを許してもらっていたが、それも〈紅春式〉までという約束だった。

 〈紅春式〉は梅ノ香領で年に一回開催される、二十歳を祝う式典だ。梅ノ香領の二十歳を迎えた住人は全員参加するが、〈和合の一族〉にとっては特別な意味を持つ。これを経て、〈ビャオルフ〉に乗って〈仇鬼〉を狩ることを認められる。

 正しくは〈仇鬼〉退治の『義務』が生じるのだ。〈仇鬼〉が最も多く生息するといわれている地に接したこの梅ノ香領で、赫州への〈仇鬼〉の侵入を防ぐこと。それが赫州を治める〈桜貴〉から与えられた責務であり、〈神器〉としての役割だ。

 ———〈桜貴〉。我国の五つの州を統治する〈五光〉の一人である。

 かの人もまた〈神器〉である。しかし他の〈五光〉とは違い、〈仇鬼〉との前線に出たと聞いたことがない。また、財政難の梅ノ香領からは幾度も援助申請を出しているが応答がない。紅華はこの現状を何とかしたかった。

 しかし、紅華は今年十九歳。自由に動けるタイムリミットが迫っていた。

 明日は今年の〈紅春式〉。紅華はそのために、一度帰ってきたのだ。


「紅華ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」

 廊下に響き渡る声。振り返った紅華に飛び込むツインテール。

「すっっっっっごい会いたかったよぉ。元気してた?怪我無い?お腹すいてる?」

「ふふ。ただいま、雛ちゃん。」

「聞いたよぉ。帰ってきて早々かっこよすぎぃ。」

 雛雲は紅華とのハグを堪能しながら、背中越しに見える緋司に勝ち誇った笑みを向けた。

 

 家に帰ってきた一行は、そのままぞろぞろと広間へ向かった。しばらくしているうちに、二百人ほどが広間に集まった。

 「食事は全員一緒に」が日常の〈和合の一族〉では、広間に全員の食事が用意される。その食事を準備するのも、住み込みで働く者の仕事だ。とはいえ、一族の者も〈仇鬼〉の対処がなければ一緒に準備をするし、「全員」には住み込みの者も含まれる。この家に住む者は皆家族だ。

 紅華は、丁寧に教えてもらいながら膳を運ぶ八を見つけてほほ笑んだ。

 〈紅春式〉の前日であることもあり、お祝いムードが漂っている。盛り上がりの一部では、紅華の土産話に耳を傾けていた。

 紅華は行った場所、見たものを話しながら質問に答える。皆外に出たいとは思わずとも、梅ノ香領の外の話に興味は尽きない。〈仇鬼〉を恐れて人の出入りが少ない分、情報もなかなか入ってこないのだ。

 今回、皆の興味を一番引いたのは、隣の烽州の話だった。

「近々、〈玉輪公〉が代替わりすると思う。」

「今の〈玉輪公〉といえば、最高齢の〈五光〉か?」

「そう。今年八十五歳だったかな。まだまだ元気だけど、さすがに後継者を決めるって。」

「たしかすごく子沢山な人じゃなかったか?後継者を選ぶのも大変そうだな。」

「いやそれが、もう二人にまで絞られているそうだ。」

「誰だ?長男と次男か?」

「孫だって。長男の長男と、三男の長男らしい。」

「ややこし…」

「どうしてその二人なんだ?子供の代も高齢だろうし孫の代を選ぶのはまだわかるけど。」

「それに三男の子が候補に挙がるのも不思議だな。相当優秀なのか?」

「詳しいことはわからないけど。あそこは『軍』だから、絶対的な実力主義で次の〈玉輪公〉を決めるそうだ。」

「最後の二人はどうやって決めるんだ?」

「模擬戦のようなイベントがあるらしい。それで勝った方が〈玉輪公〉という慣習があると聞いた。」

 皆は模擬戦がどのようなものなのか想像して盛り上がった。〈和合の一族〉であれば、『共鳴』してしまう以上、別れて戦うということがまずできない。仲間同士の戦闘など、たとえそれが模擬であっても想像できないためこういった話題は新鮮だった。

 ようやく解放された紅華へ、緋司はお茶を手渡し、隣へ座った。

「緋司は、どうだ?しっかり学んでいるか?」

「先生みたいなこと言わないでよ…頑張ってるよ。」

 緋司は紅華がいない間に学んだ内容、梅ノ香領であったことを話した。紅華は話してばかりだから、聞かせるのは自分の役割だと思っていた。紅華はうんうんと楽しそうに相槌を打つ。

「頑張ってるな。」

 頭を撫でられ、不満そうな顔を見せるものの、内心喜んでしまっている。「子ども扱いして」とは怒れなかった。

 とはいえ、紅華に少しも追いつけている気がしなかった。紅華が外に出ることを許されている理由の一つは、「もうこの梅ノ香領で学ぶことはない」と皆を納得させるほど優秀だったことだ。普通、二十歳までに〈和合の一族〉が学ぶ内容は十二歳で終了。書庫の本は、歴史書、専門書、領地の財務管理書等含めすべて読破。そして、誰も立ち入らない〈仇鬼〉の生息地に梅並木を越えて入り、無事に戻ってきている。そもそも何故そんなところに入ったのか、緋司はその時の詳細を知らないが。

 とにかく、紅華に認められたいという原動力で日々精進しているのが事実だった。とはいえ、帰ってくる度に、話を聞く度に、別れている期間に得ているものが違いすぎて遠い人のように感じてしまう。姉だというのに、身近には感じられない。

 あと一年というのは紅華へのタイムリミットではあったが、緋司にとっても同じであった。まだ一度も、「自分も連れて行ってくれ」と言えていない。紅華にはもちろん、家族にも言えていない。

 今は意欲的に学ぼうとしている姿勢を見せることしかできなかった。

「紅華、おーみっくって何?」

「あ、私もそれ聞きたいー。そこの人が今日助けてくれたんでしょ?」

 雛雲が紅華を挟んで緋司の反対側に座った。「紅華ちゃん、これいる?」とデザートに棒アイスを手渡す。「紅華のこと好きすぎだろ。なんで僕にはないの。」とは、紅華の前だから言わなかった。雛雲は従姉ではあるが、両親を亡くしているため姉弟同然に育った。その分、妹のように紅華を可愛がっているし、緋司に対しては弟のように遠慮がない。

「OMICは、Ogre Magic Innovation corpsの略称で、直訳は『鬼の魔法の革命団』。〈魔術師〉の集団だよ。」

「魔術師って本当にいるの?魔法使えるの?」

「僕今日見たよ。ちょっと杖振っただけで火を消してた。」

 疑わしそうな目で見る雛雲だったが、そうそうと頷く紅華を見て信じたようだ。緋司は、自分の自信の無さは雛雲の態度のせいもあると思っている。

「〈魔法〉と呼んでいるものがどういうものか知っているか?」

 緋司と雛雲が見合わせて、同時に首を振った。質問の意図がわからない。正直、〈魔法〉や〈魔術師〉は噂程度に耳にする未知の存在で、ほとんど何も知らなかった。

「〈魔術師〉と名乗っている者たちが使う〈魔法〉の起源は、〈仇鬼〉の力だ。」

「「え!?」」

「〈仇鬼〉は、個体差はあるが不思議な力を使うだろう。火の玉だったり、水を操ったり。そういった力の仕組みを解明して、人間が使えるように開発しているのが〈魔術師〉で、OMICだ。〈魔法〉と呼んではいるが、所謂フィクションの世界観で言われる『魔法』ほどまだ進んでいないらしい。『〈魔法〉足り得る力にしたい』という思想でそう呼んでいるんだと。だから、〈魔術師〉は研究材料として〈仇鬼〉を欲してる。」

 へぇ、と聞き入っている緋司と雛雲に、「でも気を付けて」と紅華は声色を改めた。

「この国には『仇鬼取締法』という法律がある。明確に〈魔術師〉との関り自体を禁じているわけじゃないけど、OMICがやっていることは完全にこの法律に違反している。関わっていたら、私たちも違反しているとみなされるかもしれない。」

「『仇鬼取締法』って…んー確か『〈仇鬼〉を知ろうとしてはいけない』、みたいな内容だっけ?」

「ざっくりは、そういうこと。元々は〈仇鬼〉から人を守るための法律だったが、今は〈仇鬼〉の力発展を阻止したい意図が強いと思う。我国は〈魔術師〉の存在を認めていない。」

「〈魔法〉が発展してた方がいいんじゃないの?」

「どうしてそう思う?」

「え、だって、便利だし…全員が使える力なら、〈仇鬼〉に怯えず暮らせるようになると思うから。」

 突然の質問に、緋司はたじろぎながらとっさに応えた。時々あるのだ、紅華は緋司を試すように意見を求める。

 紅華がにっこりと笑った。緋司はそれが嬉しくてたまらなかった。

「私もそう思うよ。発展させるべき力だと思う。そうしない理由は、一つは悪用を防ぐ仕組み作りが難しすぎるからだ。〈魔法〉は自然の理とは違う法則に従っている。何もないところから火が出るし、物を自由に動かせるし、空も歩ける。」

「空も歩けるの!?」

「ふふ、例えばね。問題は、何が可能で、何が不可能なのかがわからないことだ。」

 言いたいことはわかった。よくわからない力というのは、恐怖と崇拝のどちらも生む。それは、二人とも普段から実感していることでもある。

「でもそれ、〈神器〉の力も同じことでしょう?」

「そうだね…もう一つ〈魔法〉を禁じる理由が、これは私の憶測でしかないけれど———〈神器〉が〈魔術師〉に取って代わられるのを恐れているんだ。今の地位を、脅かされるように感じるのかも。」

 これには二人とも首を傾げた。取って代わられるとは、緋司が予想した通り、皆が〈仇鬼〉を倒す力を持つことだろうか。今の地位とは?こうやって普段の生活を手助けしてくれる人たちが居なくなることだろうか。しかしそれも、〈仇鬼〉退治が自分たちだけの役割でないのなら、皆が同じ立場で同じように生活を送るだけなのでは。

 梅ノ香領を守るのも、〈和合の一族〉だけで完璧にとはいかない。いつでも全力で駆け付けているが、〈仇鬼〉による被害はゼロではない。物や家を壊されるだけならマシな方で、人が襲われることを完全に防ぐことはできない。皆を守らなければいけないという責務は皆が重く受け止めており、それがなくなるとなると解放される想いしかないが。

「あ、〈神器〉は〈魔法〉使えないよ。」

「えぇ!?なんでぇ!」

「反発する力だから、かな。」

「おうおうおうおう、難しい話してるなあ!」

 大きな声と共に、かなり泥酔したお爺ちゃんがふらふらと近づき、緋司と紅華の間にどっしりと腰を降ろした。紅華の肩を組みながら、盛大に酒を煽る。

「とうじぃ、飲みすぎ。」

 冬至は〈和合の一族〉の最年長だ。今は戦闘に出ることはほとんどなく、相談役として領地内を放浪している。

「みんな、〈玉輪公〉の後継者で盛り上がっているがなぁ、うちも次の〈鶯目〉を決めるのにひと悶着盛り上がるか?ん?」

「次の〈鶯目〉は兄さんでしょ。」

 〈和合の一族〉を率いる、『共鳴』の中心的存在の〈鶯目〉。今は紅華や緋司の母である旭がその役割を担っていた。〈鶯目〉は家系で決まっているわけではない。しかし引継ぎがスムーズにいきそうなのは長束だった。普段の『共鳴』の中で、なんとなくわかるのだ。こういった決め事に、〈和合の一族〉に議論は必要ない。

「悩むことがないなぁ。平和だなぁ。明日はめでたいしなぁ。おめでとう雛雲ぉ。」

「とうじぃ、気が早いって。」

 明日はいよいよ〈紅春式〉。そして雛雲は今年、〈和合の一族〉では唯一の二十歳の代だ。

 気が早いと言いつつも嬉しいのだろう、冬至と雛雲はキャッキャッとはしゃいでいた。

「あの、」

 真っ白な髪の少年、八がおそるおそる声をかけて、大きく頭を下げた。

「今日は、ありがとうございました。」

「え、あ、どういたしまして。」

「そんなに動いて、怪我は大丈夫か?」

「はい、大きな怪我はなかったので。」

 受け答えがしっかりできる子だ。良い教育を受けているのだろう、ますます不思議な子だ。

 無理に聞くつもりはなかったが、どこから来た子なのかは気になった。落ち着いたら、故郷の話でもしてみたい。

「あの、明日って…?」

「〈紅春式〉っていう、二十歳のお祝いの式があるんだ。屋台とか出るし、お祭りみたいで楽しいから行ってみて。」

「わぁ、お祭り…」

 少し話した後、八はまた律儀に手伝いに戻った。

 その間、紅華は何か考えているようだった。緋司は紅華のその様子だけは見逃さない。

「どうしたの、紅華。」

「いや…緋司は、もう〈ビャオルフ〉に乗って戦えるよな。」

「うんまぁ、そうだね。」

「生まれた時から〈神器〉であることには変わりないだろう。なんのための式なんだと思ってな。」

 確かに、〈紅春式〉を終えたから戦えるようになるわけではない。言ってしまえば何も変わらないのだが、一種のけじめというか、子供から大人の仲間入りをするタイミングと認識していたが。

 由来は知らないが、事実〈神器〉主催の式典として神聖なものではある。この式典自体に何か大きな意味があり、神の力が宿っていると言われても不思議はない。〈和合の一族〉として参加しなければならないものと受け入れていた。

 紅華が何を考えているのか正確にはわからないが、緋司は悩んだ末に、慰めるつもりで言った。

「〈紅春式〉が終われば、紅華も〈ビャオルフ〉と仲良くなるかもよ。」

 紅華の唯一の欠点と言ってもいい。

 紅華は、〈ビャオルフ〉と『共鳴』できなかった。

 とはいっても、完全に扱えないわけではない。今日のように追い詰められた状態では扱えることが多いのだが、しかし〈ビャオルフ〉の動きはいつもどこかぎこちなかった。〈ビャオルフ〉が紅華を嫌がる原因はわからない。ただ〈和合の一族〉として、困ったことであるのも事実だった。母が紅華の放浪を許しているのも、なにかのきっかけになればと思っているのかもしれない。

 紅華はやはり何か考えながら、「そうかもな。」と広間に集まる一族の様子を眺めていた。

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