2. 〈仇鬼〉と〈魔術師〉

 紅華は〈ビャオルフ〉に乗って、炎の壁を強引に突き抜けた。

 不自然なほどピタリと制止したタイミングに合わせて、紅華は勢いに乗って高く跳躍し、「上」から膨張する火球の円の中心に躍り出た。あっという間に〈仇鬼〉の隣に立ち、頬の傷口に銃口を捩じ込むと、脳に向かって一発の弾を放った。

 パーーンッ、と音が響き渡った。

 周囲に漂う火球はみるみる萎んで見えなくなった。

 炎の中心で、〈仇鬼〉の手が銃を握る紅華の手首を掴んでいた。その手からゆっくり力が抜けていき、〈仇鬼〉は仰向けに倒れた。

 すかさず二匹の〈ビャオルフ〉が〈仇鬼〉に噛みつき、首と上半身と下半身に引きちぎった。これで、『生きていたとしても』自由には動けまい。

 しかしそれを眺めている時間はなかった。

 炎が広がっている。木から木へ、そして小屋や田畑に燃え移っていく。「水を」の掛け声もなく、皆が一斉に消火に取り掛かった。

 だが既に、火は急速に拡大し、なかなか鎮火しない。梅並木の枝に小さな火種が燃え移る———

「お困りですか?♪」

 一斉に振り返った。

 彼女は既にそこにいた。

 その場にそぐわない楽し気な調子で、コツコツとヒールの音を響かせてさらに近づく。どこから現れた?

 真っ黒な短髪に、真っ黒な薄手のロングコート。かなり高身長に見えたが、足元には太いヒールのあるブーツが見えていた。真っ黒な服装と真っ白な肌、そしてハスキーな声と媚びるような話し方が対照的な、異質な雰囲気を持つ女性だった。

 その女性は軽く見回し、旭を見つけるとそちらへ歩み寄った。一瞬、紅華を見て止まったのは気のせいだろうか。

「赫州梅ノ香領、〈和合の一族〉の〈鶯目〉である旭様でお間違いないですか?」

 笑顔で小首をかしげる女性に対し、旭は瞬き少なく表情もないままゆっくりと頷いた。

「私、OMICのシュトレンと申します。おそらく急ぎのかと存じますので単刀直入に申し上げますと、私にこの火災の鎮火を依頼されますか?本来先に報酬等の交渉をすべきなのですが…」

「これまでにも、何度かあなた方にお世話になっております。あれでこと足りますか?」

 旭はまっすぐと地面に落ちている〈仇鬼〉を指さした。三つに分裂した体はピクリとも動かない。

 女性はにっこり笑った。

「えぇ、もちろん。毎度ありです!皆様、離れていてくださいね。」

 言うや否やロングコートを払いのけ、右脚の太もも側面にベルトで固定していた三十センチほどの棒を取り出した。表面に凹凸があり、わずかに沿ったいびつな形の棒だ。

 その棒の先端を炎へ向けて小さく振り、左手の指を一つパチンッと鳴らすと———一部の炎が消えた。次の火元へ向かって歩きながら、同じように見事な手際で鎮火していく。

 紅華は表皮が燃えていた木に触れた。わずかに湿っている。再燃防止は抜かりないらしい。複雑な気持ちで作業を眺める紅華の元に緋司が駆け寄った。

「紅華!」

 慌てた様子で紅華の手を取った。〈仇鬼〉に捕まれた手首がわずかに青く変色している。爪が掠ったのか、出血は少ないが切り傷もできていた。

「緋司、大丈夫。」

 紅華は自分より少し背が高い緋司の頭をポンポンと撫でた。

 安堵で力が抜け、緋司は紅華の肩に頭を乗せた。帰ってきて早々、無謀なやり方に心臓が止まるかと思った。

「ただいま。」

 あぁ、また胸が苦しい。

 紅華が帰ってきた。それだけで何故か、泣きそうになる。

 紅華は緋司の背中をさすりながら笑った。

「なんだ、泣いてるのか?」

「…泣いてないよ…」

「紅華ちゃんお帰り!」

「おかえりぃ、待ってたよ。」

「遅いじゃないか紅華ちゃん。」

「みんな、ただいま。」

 皆の目には生気が戻っていた。先ほどまでの、どこまでも統一された整然とした機械的な動きではなくなっている。

 歩み寄る人の中には、にっこり嬉しそうに微笑む母と、少し怒りをにじませる長束の姿も見える。

「おかえり、紅華。」

「…おかえり。」

 紅華は母を抱きしめた。そのまま長束に笑顔を向けて応えた。

「ただいま、母さん、兄さん。」


 人と〈ビャオルフ〉の応急手当が行われる中、紅華は少し離れた場所に立ちすくむ子供のもとに歩み寄った。緋司の口から「あ」と声が漏れた。紅華のことで頭がいっぱいで、忘れていたのだ。

「大丈夫?怪我は?」

 紅華は返事を待つことなく、袖でその子の顔を拭き、張り付いた髪を払った。腕を持ち上げ、服をまくり、後ろを向かせて背中側も確認する。膝と掌には転倒による擦り傷、右肩にはわずかに火傷の跡があるが、それ以上の大きな怪我はなかった。

「大丈夫だな。どこから来た?」

 その子はまっすぐに紅華を見たが、何も答えなかった。

 怯えた様子はない。ただ戸惑っているようだ。答えられない訳があるのだろうか。

「名前は?」

「…八。」

「八。帰るところはあるか?」

 八は小刻みに首を振った。つい先程まで〈仇鬼〉に襲われていた子である。平気そうに見えても、相当なストレスがかかっているのかもしれない。両親が〈仇鬼〉に殺されるところを見た、などは昨今よく聞く話だ。

「好きなだけうちにいたらいい。一人や二人増えても変わらない。でも、子供とはいえ働いてもらうぞ。」

 紅華の落ち着いた優しい声色に、八はようやく少し笑ったのだった。

 しかしすぐに、紅華の後ろを見て肩を振るわせた。緋司と、それに連れ添った一匹の〈ビャオルフ〉がこちらへ向かっていた。

「紅華。どこかまで送ってあげるの?」

 八は〈ビャオルフ〉から隠れるように、紅華の背中に張り付いた。

 〈ビャオルフ〉のことを初めて見たような反応だ。やはり、この辺りの子ではない。

「〈和合の一族〉は、聞いたことがあるか?〈神器〉の一つだ。私も緋司も、あそこにいる髪が紅い人は皆〈神器〉で、〈和合の一族〉だ。」

 言葉を切ると、八はコクコクと頷いた。

 紅華も頷き、さらに続ける。

「この生き物は〈ビャオルフ〉と言って、私達と一緒に〈仇鬼〉と戦ってくれる子達だ。私達は互いに『共鳴』して、思考を共有する。人も〈ビャオルフ〉も全員で一心同体、そういう〈神器〉だ。だから私達が『共鳴』している限り、〈ビャオルフ〉は人を襲わない。わかったか?理解すれば怖くないだろ。」

 八は…固まってしまった。

 緋司は八の気持ちがよくわかって呆れた。丁寧に説明された上でまだ怖いとも言えず、しかし嘘をついて怖くないとも言えず、といったところだろう。『理解すれば怖くない』なんて、そんな風に割り切れる人を紅華以外に知らなかった。

 緋司は紅華の隣にしゃがみ、〈ビャオルフ〉をゆっくりと近づけた。

「さっき見たでしょ、皆んなの神業連携プレーを。大丈夫、僕がいるから。」

 八はまだ怯えていたが、微笑む二人の顔を見てゆっくりと口を開いた。

「さっき、鬼がなんか、変だった…どうしてこけたの?」

 緋司には質問の意味がわからなかったが、紅華は驚いた。

 この子はよく見ている。

 加えて、その様子に他の特別な要因があると思い至っている。賢い子だ。

「『共鳴』というからには、〈ビャオルフ〉自体にも〈神器〉の血が流れてるんじゃないかと言われてる。その体液に含まれる〈神器〉の力が、〈仇鬼〉にとって毒の効果があるという仮説がある。人には影響がないそうだが。〈神器〉の力についてはわからないことが多いから、仮説でしかないけれど。」

「そうなんだ…」

 答えたのは緋司だった。

 八と紅華は緋司を見て、そして顔を見合わせ、くすくすと笑った。

 八はゆっくりと手を伸ばし、〈ビャオルフ〉の胸の辺りを触った。

「…ふわふわぁ。」


 その様子を遠目で微笑ましく見守る旭と長束の元へ、シュトレンは軽やかな足取りで歩み寄った。

「失礼します。鎮火完了です♪」

 炎が消えて見てみれば、辺りは焦げが目立つところはあるものの、大きな被害はなさそうだった。彼女がいなければ、こうはいかなかっただろう。この領地の恩人と言っても過言ではなかった。

「助けていただいて、本当にどうもありがとうございました。」

「わぁ、本当に別人のようですね。〈神器〉の能力は人間離れしている…あ、失礼しました。」

「いえいえ、驚かれるのが普通です。横暴な態度に見えたらごめんなさい。」

「とんでもないです!それでその…」

 シュトレンは真っ直ぐに〈仇鬼〉を指差した。

「あれ、貰っちゃっていいですか?」

「えぇ。持ってっちゃってください。」

「待ってください。」

 静止をかけたのは紅華だった。

 緋司は〈ビャオルフ〉の後ろに八を乗せて、先に家に向かったようだ。

「本当にいいの?」

「うん。だってお金ないもの。」

「母さん、堂々と言うことじゃないって…」

 眉を寄せる長束に、旭はわざとらしく肩をすくめてみせた。

 事実、この梅ノ香領は長年の財政難に苦しんでいる。赫州の中でも断トツの〈仇鬼〉出現頻度のせいで、破壊に修復が追いついていない状態だ。そんな現状で、お金の代わりにあの屍一体で良いと言われれば、むしろ処理費用もかからないため喜んで引き取ってもらいたかった。

 紅華は少し間をおいて、真っ直ぐにシュトレンを見た。

「これまで通り、あくまでボランティアで助けていただき、あなたが勝手に持って行った。そういうことにしてください。きちんとした交渉であれば、差額を差し引いてもこちらが支払っていただくはずです、」

 その後紅華が口にした金額に、その場にいた全員が驚愕した。

 〈和合の一族〉は、「え、そんなに貰えるの?」と。そしてシュトレンは、『〈魔術師〉にとっての〈仇鬼〉の価値』を若い彼女が把握していることに。紅華が提示した金額は的確であり、ギリギリ受け入れられる額だった。年端もいかない女子が、と言うだけでなく、この土地に囚われる〈和合の一族〉はこの額を提示できないと思っていたが。

「あなた達との関与は、私たちも『仇鬼取締法』に問われる可能性があります。私達はお互い、何もお願いしていない、『会話』をしていない。そちらもその体を忘れないでください。」

 紅華の真意は、『法律違反と疑われないよう、そちらも関わらなかったことにしてくれ』という点だったのだが、シュトレンは『本当は払うべきお金を払わなくても、見逃してやる』点だと捉えた。事実、〈魔術師〉の間でこの土地は良い狩場だと、統治者の〈和合の一族〉がなにも要求してこないのを良いことにカモにしていたのは事実で、後ろめたさがあった。

「誤解しないでくださいな!なにも騙し取ろうとしたわけではないですよ?頂けるなら頂きたいなってお話で!あれは、あなた方にとっては何の価値もないものでしょう?是非とも良好な関係を築きたいと思っているのが本心です。」

「いや、だから関係を気付かれては困るんだ…」

 シュトレンはウンウンと何か呟きながら悩んだ後、ロングコートの内ポケットからメモを取り出した。

「何かあったら呼んでください。〈仇鬼〉以外のことでも構いません。内容によっては私ではない者が来るかもしれませんが。」

 手渡されたメモには連絡先と思われる数字が書かれていた。しかし、紅華は受け取らなかった。

「ここには連絡手段がありません。」

 シュトレンはポカンと口を開けたが、しかしすぐに、なるほどと思い至る。

 文明的な物を好んで破壊する〈仇鬼〉は一定数いる。だからこの国の都心部は最初に崩れたし、基地局も格好の的だろう。そうでなくともお金に困り果てているこの土地が、それらの環境を整える力がないといわれると納得する。

 シュトレンはまた頭を悩ませた。「関係をなかったことに」という要望だけなのだから、さっさと立ち去ればよいのだが、しかしシュトレンは義理を通したかった。性格上、もらった親切は同じだけ返したいと考えているし、価値ある物をタダで持ち去ったずるい奴とも思われたく無かった。

 そしてなにより、〈魔術師〉への印象は可能な限り良くしておきたかった。ただの暴力団や詐欺師ではないのだと、世間に、そして『目の前のこの人』にわかってもらう必要がある。それはOMICのミッションの一つでもあった。

 シュトレンはまた内ポケットを探り、今度は小さな丸い玉を取り出した。

「これは開発中の物なので、三ケ月ほどしかもちませんが。私を呼びたいときに割ってください。」

 紅華は強引に押し付けられたその球を覗き込んだ。それはガラス玉だった。薄く青みのあるガラスの内部に、錆鉄色のヒビが無数に入っている。目を凝らすと、三次元的に広がった規則性がある模様にも見えた。

 覗き込んだ旭と長束は、顔を見合わせて首を傾げている。素人目には、ただのガラス玉だった。

「〈神器〉が割っても発動するのですか?」

 シュトレンは内心、驚愕した。この人、どこまで知っている?

 この一言で読み取れること———

 ガラス球の中の模様が魔方陣とわかっている。魔方陣を見たことがある?

 陣の発動条件を知っている。〈神器〉は〈魔法〉を使えないことを知っている。

 深読みしすぎかもしれないが、〈魔術師〉に会ったことがあるのだろうか。『仇鬼取締法』に厳しく準拠しようとしている割に、それに大胆に違反している〈魔術師〉の事情に詳しいとはどういうことだろう。

 戸惑いながらもそれを表に出すまいと答えた。

「えぇ、これは使用者は関係ありません。というより、使用者という概念がない物です。割れるのを私が関知するだけ。〈魔法〉に詳しいのですか?」

「私は、知らずにいるのを良しとする『仇鬼取締法』には反対です。OMICの活動は人にとって役立つものだと思っています。でも、それが法律であるうちは破るわけにはいきません。」

 紅華のいうことは正しすぎるくらい正しかった。

 案に法律違反をしていると咎められてはいるのだが、「『仇鬼取締法』に反対」という一言が聞けたのは収穫だ。

 少し浮かれたところを、次の一言でまた落とされた。

「あえて呼ぶことはないと思いますが、またボランティアで助けていただけるなら、次からはもっと早く助けて下さい。」

 シュトレンは、首の後ろの毛が逆立つような心地がした。タイミングを見計らって登場したのがバレている。

 正直、「無茶を言うな」と言いたかった。シュトレンは武闘派ではない、断トツ頭脳派だ。そうでなくても、人が使う〈魔法〉の技術はまだ、〈仇鬼〉を退治できるほどに進んでいない。というより、〈魔法〉の起源である〈仇鬼〉の力に追いつけてさえいないのだ。紅華はその事情も分かった上で、『〈仇鬼〉分は働け』と言っているのか?

 つくづく痛いところを突かれる。今後も楽できないな、と一種の覚悟を決めて、シュトレンは華麗に手を広げ、右手を胸元に寄せながら丁寧にお辞儀した。

「肝に銘じます。あれを一刻も早く持ち帰らなければいけないので、今日はこれで。」

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