第八話
「いらっしゃい」
落ち着いたアルトの声。
出迎えてくれたのは、マスターのアキさんだった。
さっと店内を見回すも、またしても私の他に客の姿はない。大丈夫なんだろうか、この店。経営的な意味で。
というか、お客どころかいばらの姿もない。
……。
やっぱり、という気持ちが半分。もう半分は──なんだろう。
もしかして私、ちょっとガッカリしてる?
いやいやまさか。
私はお支払いとお詫びに来ただけだ。あの女子高生に会うためじゃない。だから、別に落ち込む理由もない。
私はアキさんに近づいて、カウンター越しに声を掛けた。
「あの、昨日……というか今日なんですけど、すみませんでした。寝かせてもらった上に、食材まで使ってしまって」
「気にしなくていいよ。むしろ、あの子にちゃんとした朝食を食わせてくれて、お礼を言いたいくらい」
「いえ、そんな」
そんなに大したものを作ったわけじゃないし。
「それで、昨日のコーヒーとサンドイッチと、あと朝の食材費。お支払させてください。おいくらですか?」
「いいよ。どうせいばらに無理やり連れて来られたんでしょ」
「いえ、でも頂いてしまったわけですし。それに、なんといいますか……美味しかったので」
アキさんが目を瞬いた。口元がふっと緩む。
淡いリップの色気に、思わずドキッとした。ほんとに美人だな、この人……。
「わかったよ。でも、朝食分は無し。お店としてじゃないからね」
アキさんはさらさらと伝票にコーヒーとホットサンドの代金を書き付け、ちらと私の顔を見た。
「それで?」
「それで、といいますと」
「今日のご注文は?」
アキさんが完璧な営業スマイルを浮かべた。
うっと言葉に詰まる。
どうしよう。ここで「今日は清算だけで」と言って帰宅できるほど、私の面の皮は厚くない。
それに……これは本音だけど。
(一服したい……!)
誰もいない家に帰る前に、ひと息入れたい。
美味しいコーヒーを飲んで、座り心地の良い椅子に腰掛けて、緊張とストレスで凝り固まった心と身体をとき解したい。
頑張って働いたんだから、ちょっとくらい自分を甘やかして休んだっていいはずだ。
私はハンドバッグをカウンターに載せた。
「じゃあ、カフェインレスコーヒー、ひとつ。ホットで。それから、パ──」
パスタの日替わり、と言いかけて、昨日の光景がフラッシュバックした。
「パ──パフェを、ひとつで」
†
でん、とカウンターに置かれた季節のパフェ。お値段1,380円。
「た、頼んじゃった……」
えへへ、パフェだぁ。わーいわーい。
生クリームの暴力に、私の中の女児が小躍りしている。
現在、夜の二十一時。夕食の代わりにパフェ。
これを罪と言わずして何と言おう。
「……ま、まあ、まだ火曜日だから(?)ね!」
我ながらまったく意味不明な理屈をでっちあげながら、柄の長いスプーンに手を伸ばし──止める。
まずは写真を撮らねば。
いそいそとスマホを構えて、パフェの全景をレンズに収める。
「あれ、入らないな。もっと離れたほうがいいかな」
「お姉さん、普段SNSなにやってる人?」
「んー、ふつうにイソスタとゼックス……」
ん?
直後。
音もなく、フレーム内に寝ぼけ眼の美少女が写り込んできた。
「わあっ、いばら⁉︎」
「やっほー。ばんわ、お姉さん」
驚きのあまり、指が動いてしまった。カシャリ。手の中のスマホがシャッター音を鳴らす。
制服姿のいばらが、ひらひらと萌え袖に隠れた手を振った。
「な、なんでいるの⁉︎」
「言ったじゃん。夜はいつもここにいるって」
「さっきはいなかったけど」
「それは、アレ」
店内の一角を指差す。ソファ席に毛布が積まれている。あれに包まっていて、気づかなかったのか。猫じゃあるまいし。
「昨日みたいにすれば一人でも寝られるかな、って思ったけど。やっぱり無理だった」
「……じゃあなんで、もっと早く声掛けてくれなかったの」
「や、うっきうきでパフェ待ってるお姉さん、なんか見てて面白くて」
「う、うきうきなんてしてないよ」
「してたよ?」
「してません」
「してた。ていうか、やっぱりパフェ食べたかったんじゃん」
んぐ。
「それは……今日はたまたま、そういう気分だっただけで」
「ふぅん」
ふぅぅんへえええ、みたいな意地悪な笑みを浮かべて、いばらが私の隣に腰掛ける。
なんだその顔。ちょっとむかつく。
カウンターへ置いた腕を枕に、こてんと顔を傾ける。
「来てくれたんだね」
「別に、いばらのためじゃないよ」
「ツンデレだぁ」
「昨日のお代を払いに来ただけです」
「真面目だねえ、お姉さん」
ざらっと、心の柔らかい場所を逆撫でされた気がした。
「……いいでしょう、別に」
「悪いなんて言ってないよ。それより、さ」
顔を起こして、ぐっと近づいてくる。
「さっき、わたしの顔、撮っちゃった?」
顔?
そういえば、弾みでシャッターボタンを押してしまったような。
カメラロールを確かめる。最後に撮影した一枚には、多少ピントがズレているものの、はっきりいばらの顔が写っていた。
「消そうか?」
「ううん、いいよ」でも、SNSとかに上げちゃダメだからね」
「上げないよっ」
私をなんだと思ってるんだ。
改めて、パフェだけの写真を撮った。スプーンを手に取る。
どこから攻めよう。やっぱり、柿か。それとも大粒の巨峰か。クリームか。
私は、甘味の化身にスプーンの先を差し入れた。
うわっ、おいしい。柿、めっちゃ甘い。
栗、うまっ。
……。
…………。
「……あの、いばら」
「なーに、お姉さん」
「じっと見られると、食べづらいんだけど」
「お姉さん、口に生クリームついてる」
「え、嘘っ」
「嘘」
ふぃへへ、といばらが笑った。なんだこいつ。
「アキちゃん、私もパフェ食べたい」
「残念、さっきので材料切れ」
「えー」
口を尖らせる。その先が、ふいに私を向いた。
「ぇあ」
と、餌を待つ雛鳥みたいに口を開ける。
「……な、なに?」
「ひと口ちょうらい」
「あなた、昨日も食べてたじゃない」
「アキちゃんのパフェって、毎日食べても飽きないんだよねこれが。困った困った」
全然困ってない風に言う。
「太るよ」
「若いからだいじょーぶ」
若さを過信しすぎている。カロリーを無礼るな、と言いたい。人生の先達として。
「……ひと口だけだからね」
「やった。わたし、葡萄のとこがいい」
「我儘言わない」
でも葡萄の辺りを掬って、ついでにチョコの欠片も載せてしまう。
どうにも、私はこの子に甘い。顔が良いせいだろうか。
かわいいっていうのは、ある種の暴力だ。つい、手を貸してあげたくなる。
こぼさないよう、慎重にスプーンを運ぶ。控えめな桜色の唇に、間接照明の光が反射していた。
「ん」
髪をかき上げて、先端を咥える仕草が妙に艶かしい。
高校生のくせに。まだ、子供のくせに。
「うまうま」
「……よかったね」
「ありがと、お姉さん」
やっぱり、全然困ってない。
どちらかというと、むしろ私が困っていた。
可愛いから。
やたら顔が良い上に距離感が近くて、甘え方が上手くて、なんだか良い匂いがして。
変な子なのに、可愛いから、困る。
通りすがりの私に、添い寝を頼んでくるような子なのに。面倒ごとに関わりたくなんてないのに。
だけど、この子のことが気になっている。
私は少しだけ乱暴に、パフェグラスにスプーンを突き入れた。
温い室温に、生クリームの先が溶けている。
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