第3話
ベランダの灰皿は、昨日降った雨が、水溜りを作り、一切の動きをやめていた。
最近といえば、彼が家事をこなし、私が仕事で帰ることが、定番となっていた。
今日は私が休みのため、残暑厳しい日差しの中、二人で昼間から煙草を貪っていた。
彼は、私が休みの日でも、食事を忙しなく作ってくれていた。一人暮らしの長かった彼は、一種の趣味として、料理を続けていた。
得意料理は、ボロネーゼ。赤ワインと、トマト缶を、合い挽き肉を使って煮詰めて作る、時間と手間をかけた逸品。
「今日も美味しいよ、健介のご飯。世界で二番目に、健介の手料理が好き」
私は、嘘偽りなく素直な気持ちを言う。食事を二人で摂っている時は、彼の表情は、幾分か和らいで見える。
「詩ちゃん、ありがとうね。照れくさいよ」
と、彼は笑う。
程よい昼が終わる頃。私は一人、ベランダで煙草を吸っていた。煙草スティックを、いつものようにデバイスに差す。ブッ、とスイッチの入るバイブを触知した。
そういえば、最近焦ってばかりだったな。
スティックが蒸されるまで数十秒。まだ白々しい月を眺めながら、ふと思った。
私、最近、彼といて、幸せって思ってたっけ。
二度目のバイブ。吸い始めの合図。一口目はいつも熱い。始めは何でも、熱いものか。
部屋では、彼が、食後の洗い物を行なっている。
私は、揺れるデバイスのライトを見ては、ボンヤリと思考していた。
何が辛くて、何が幸せか。
私はキッチンに目をやる。彼はそれに気づいたのか、小さく手を振った。
なあんだ。
私はフッと笑った。
行き詰まった状況であれど、私は彼が側にいる、それだけで嬉しく思っている。家事を進んで行なったり。私の帰りを、待ってくれていたり。小さなことを大切にして、気にかけてくれることが、彼。
幸せって、案外すぐ近くに転がっているのね。
ブーッと、残り二十秒をデバイスが合図する。
私は、何度も苦しくて、崩れそうになった。
きっと、彼も同じだろう。
終わる前に、気づいてよかった。
ブーッ、ブーッ。二回バイブで、終了の合図。気づけば月は、ベランダをほんのり照らしていた。
煙草を吸い終えた私が、ベランダから部屋へ戻ろうとすると、ちょうど、彼が煙草を吸いに出てきた。
「皿洗い、ありがとうね」
と、私。彼は、ニコッと笑い、手を振った。
その横顔は少し清々しく、最近のどの顔よりもよかった。何か払拭できたような、そんな顔だった。
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