二鬼夜行

時雨澪

二鬼夜行

 とある少女が駅の出口に突っ立っている。真っ暗な空からとめどなく雨が降ってきて、少女の帰り道を阻んでいた。

 少女は空を見上げた。まるで、自分が傘を持たずに家を出た事に悔やんでいるようだった。屋根の下、少女は雨が降り止むのを待っている。しかし、雨が止む気配はない。ザーザーと強い雨が地面を打ち付ける音が響く。

 改札を出てすぐの広いスペースには少女がぽつんと立っているだけだ。制服が着崩されていない所は彼女の真面目さの現れだろう。

 彼女の後ろではシャッターが閉まりきっている。残念なことに終電はとっくに出発した。もう駅には誰も残っていない。駅の照明は今日の役目を終えてすべて消されてしまった。一日中稼働している自動販売機と少し離れたところから届く街灯の白い光が、きっと少女を暗闇の恐怖から救ってくれているのだろう。

「はあ」

 少女はため息を漏らした。人間は天気という自然現象に打ち勝つことはできない。少女はヒビだらけのスマホを取り出して電源をつける。しかし、どれだけボタンを押してもスマホは起動しない。どうやらスマホも充電切れで今日の役目を終えたらしい。

 少女はその場に座り込んだ。生温い風が流れた。

「もう帰らなくていいかな」

 少女は呟いた。どうせこの雨の中を濡れながら帰ったところで、制服はびしょ濡れになって最悪明日は風を引いて家から出られなくなるだろう。それならまあ、帰らないほうが良い。

 雨は人の心をどんどん落ち込ませる。いや、心が落ち込むから雨が降るのだろうか。いや、どちらでも良い。少女の心はどんどん落ち込んでいた。

 楽しいときでも辛いときでも、時間の流れは平等だ。例え雨が止むのを待っているときでも。結構な時間をこの駅で過ごしたと思うが、いくら少女が待っていても雨が降り止む様子はない。なんなら、雨は時間が経つにつれて強くなっているようにも見える。

「ねえ君、ちょっといい?」

 少女は声のする方を向いた。そこには水色の服にゴツゴツとした紺色のベストを身に着けた男の人が立っていた。警察だった。透明なビニールのレインコートを身に着けている。中年で、少し髭を生やした警官だった。

「何ですか」

 少女は露骨に嫌そうな顔をした。

「パトロールです。こんな時間にこんな場所で何をしているのかと」

 警官は腕を組む。なんだか威圧しているように見える。

「見て分かりませんか? 雨宿りです」

 少女は駅の外を指さした。雨は降り続いている。

「この時間に?」

「『この時間』と言われても……私のスマホは充電切れなので今が何時か知りません」

 少女は警官に真っ暗なスマホを見せつけた。

「夜中の一時ですよ」

 警官は腕時計をこちらに見せた。

「そうですか。ありがとうございます」

 少女は残念そうな顔をした。

「で、ここで何してるんですか」

 警官はまた同じ質問をする。

「だから雨宿りです」

 少女の声色は少し苛立っていた。

「終電から一時間経っているんですよ」

「はい、だから一時間ここで待っていました」

 警官もまた苛立っているようだった。ため息をつくと、警官は口を開いた。

「女の子一人でこんな遅い時間にこんな所いたら危ないんだよ。君もわかるでしょ? ほら、早く家に帰りなさい。何されるか――」

「じゃああなたのそのレインコートをください」

 少女は説教のような警官の鬱陶しい話が終わる前に口を開いた。

「いや、これは俺のだ」

 警官は少女の提案をきっぱり跳ね飛ばす。

 それを聞いて、今度は少女がため息をついた。

「あの、見たら分かりませんか。私には傘もレインコートも無いんですよ。無いからここで雨宿りしている訳で。あったらさっさと家に帰っています。そんなに私の事が気になるならレインコートを貸すとか、あなたのパトカーで家に送り届けるとかしてくれても良いんですよ」

 警官の視線が泳ぐ。

「すまないがこれは警察の備品だから貸すことはできない。パトカーも……おそらく無理だろう」

 警察の萎れていく姿に、少女の苛立ちはどんどん増してくる。

「じゃああなたは私に濡れて帰れと言うんですね。それで風邪でも引いたらどうするんですか。あなたが責任を取ってくれるんですよね。それに――」

「こっちが悪かった。雨が上がったら帰れよ」

 警官は少女の話を切り上げると、足早に去っていった。そこにレインコートはない。ただ鬱陶しいイメージだけ残して消えていった。

 少女は警官の去った方向をずっと眺めている。

「何なのよアイツ」

 話している時でさえ苛ついていたのに、時間が経つと更にイライラするようになった。

 高圧的な態度。長い話し。自分本位の考え方。確かにあれは人を苛つかせる才能がある。

「どうして人間って……」

 少女の独り言が駅構内に響いた。少女はそれ以上言わない。

 人間はワガママだ。他人の事は二の次である。とても醜い。

「はあ」

 またため息をついた。

 少女はおもむろに立ち上がると、自販機の前に立った。

 紺色のスカートのポケットを探り、中から銀色の硬貨が二枚取り出す。彼女はそれを勢いよく機械に入れた。カランコロンと一枚、硬貨が反応せずに返ってくる。舌打ちは雨にかき消された。少女は決して屈まず、ポケットからもう一枚穴の空いた硬貨を取り出して、今度は少しゆっくりめに投入した。

 ゴロゴロ……。

「……!」

 自販機のボタンを押そうとした瞬間、どこかで雷が鳴った。最悪だと思っていた天気は更に悪くなった。

 少女は青ざめていた。まさに、雷に怯えている。目を見開いて、ゴロゴロと何処かから音が鳴る度に辺りを見渡し、空が一瞬光る度に体をビクッと跳ねさせた。少女は雷が苦手だった。

 普段は友達の腕にしがみつけたとしても、今日は頼れる物すら無い。

 また稲光だ。

「……っ!」

 空が光って間髪入れずに大きな音が鳴った。何かが爆発したのかと勘違いするほどの大きな音だ。近くに落ちたのだろう。

 さらにもう一度雷光が空を覆う。

 パンッ!

 何かが弾ける音ともに周りが暗闇に覆われた。

「嘘!?」

 街灯の明かりは消えた。自動販売機の電源も落ちた。停電したらしい。

 頼るもののない少女は、なんとかその場で耐えるしかなかった。

「もう、どうして……」

 人だけじゃなく、世界も少女に理不尽を与えるようだ。

 幸いにも、電気はすぐに復旧した。再び、微かな光が少女を照らす。

「ああ、もう」

 少女は天井を見上げて拳を振り上げた。少し涙目になっている。しかし、この恐怖と苛立ちをぶつける相手も解消する相手もここにはいない。振り上げた拳はだらんと力が抜けたように下ろされた。そのまま自販機にもたれかかる。背中からポチッと音がする。彼女はハッとした。そういえばお金を入れていたままだと。しかし、少女がいくら待っても機械は何も吐き出そうとしない。どうやらお金は飲み込まれたようだ。返却口に落ちた一枚の硬貨が街灯に照らされていた。

 雨はより一層酷くなる。バケツをひっくり返したような雨だ。とてもこの中を歩こうとは思わない。「雨が上がったら帰れ」と言われても、この調子だといつ雨が上がるのかわからない。

 少女はその場に座り込むと、荷物がパンパンに入った大きなカバンに手をいれる。そして、中から一冊の本を取り出した。『数学II・B』と書いてある。気分転換だ。それとも、少女はようやく時間を有効活用する気になったか。

 ペラペラとページをめくっていく。いつ使うのかわからない公式や暗号めいた計算がずらっと並んでいる。図形が何かの顔に見えてきた。なんなら式も顔に見えてきた。

 少女は最初こそ真剣な顔をしていたのに、ものの十数分で読むのをやめてしまった。

「暗い」

 飽きたのではなく、暗すぎて読めなかった。まあ時間潰しにはなっただろう。

「おい、さっきの雷マジでヤバかったな」

「そうっすね。超鳴ってたっすね」

 遠くから男の声が二つ聞こえる。ガツガツとした足音。あまり良いとは言えない口調。それは下品な笑い声とともに少しずつ近づいてくる。

 しかし、少女には関係無い。だって彼女はただ雨宿りをしているだけだから。

 やがて、男たちは駅の前を通る。

「ん、なんだコイツ。お前知ってるか」

「いや、知らないっすね」

 男たちは確実に少女の方を見ている。少女は下を向くのが精一杯だった。

「おい、お前」

 二人組のうち、年下らしき男が声をかけてきた。体は細く、声が少し高い。

「きっと自分じゃない……」

 少女は小さな声で呟いた。

 すると、もう一人の男がこちらに歩いてくる。ガタイが良く、歩幅が大きい。少女のすぐ近くまで来ると、少女の目線に合わせるかのようにしゃがむ。

「てめぇ、無視すんなよ」

「……!」

 ドスの効いた声に、少女は思わず顔を上げた。あまりの近さに震えて縮こまっている。

「な、なんですか」

 少女は震える声で聞いた。

「それはこっちのセリフだよ。俺達の溜まり場に座り込んだ挙げ句無視するとはな。何様のつもりだ、ああ?」

 男の表情はとても怖い。眉間に大量のシワが寄って。いかにも怒っているというのが伝わる。

「そ、そんなの知らない……」

「知らない? じゃあここで何してたんだよ」

 細い男が安全圏から聞いてくる。

「雨宿り……です」

「はあ、からかってんのか? お前もう終電から結構経ってるんだよ。今更雨宿りってそんな言い訳が通用すると思うなよ」

 ドスの効いた声がまた響く。

「本当です。傘を持っていなくて……」

「スマホ使えよ! 持ってるんだろ!」

 細い男がからかうように言う。

 少女はどうしようもなく、涙を浮かべてさらに縮こまる事しかできない。

「もう良い。金だせ。それで許してやる」

 許すも何も、何に対しての許しかわからない。けれど、それで許されるのならと、少女はポケットを探った。しかし、そこにお金は無い。ふと気づいて、少女は真後ろの自販機に手を伸ばした。返却口から硬貨を一枚取りだす。そして、それを恐る恐る男に渡した。

「あの、これしか無くて……」

 大きい男はしばらく何も話さなかった。それが何故かはわからない。ただ、硬貨をずっと見つめている。

 静寂はどれほど続いただろう。やがて低い声が耳をつんざくような大きさで響いた。

「てめえ……それはただのお釣りだろうがよ! てめえの金でも無い癖に何許してもらおうとしてるんだよ。やっぱり俺らのことからかって遊んでるだろ! もういい、一回痛い目に合わないとわからないようだな」

 大きい男がそう言うと、細い男がどこからか金属バットを持ってきて大男に手渡した。

「これで一発頭をかち割ってやる。恨むなら自分を恨め。これは罰だからな」

 そう言って男は何度かバットの素振りをする。手慣れている。きっとこれが初めてでは無いのだろう。なんという連中だ。

 こんなもので殴られたら人間は酷い怪我になるだろう。しかし、少女は恐怖で一歩も動けなくなっていた。

 男は少女の頭に狙いを定める

「歯食いしばれ!」

 男はバットを振りかぶった。

「どうして私……何もできないんだろう……」

 少女は殴られる直前、そう呟いた。

 ああ、この子には素質がある。

 消していた気配を元に戻すと、少女の前に手を出してバットを掴んだ。勢いのついたバットはやっぱりちょっと痛い。

 少女を見ると、目をぎゅっと閉じて衝撃に備えている。

「なんだてめえ。女か。いつから居たんだ」

 低い声が私に問いかけられる。私はバットを掴んだまま言った。

「ちょっとあの女の子に用があって……ずっと隣に居たんだけどな。気づかなかった?」

 そう答えたが、男は歯を食いしばったまま何も喋らない。

「先輩? どうしたんすか? 猫耳に二本の尻尾とか、こんなのふざけたコスプレ女じゃないっすか! 髪も白いし! こんなの先輩の敵じゃないっすよ。早くやっちゃってくださいよ!」

 大男の後ろから細い男が声をかける。

 コスプレ女? 失礼な。

「おい、女。バットを離せ」

 男はバッドを何度も引っ張る。そんな力じゃ私の握力を超えることはできないんだけど。それに、そのドスのさらに効いた声はなんだろう。まさか私を脅しているのかな。人間如きが?

「嫌だね。離したらこの子が殴られちゃうでしょ」

「それはもちろん」

 大きい男はニヤリと笑った。

「ふん。いい度胸だね。そっちこそこのバットを離さないと取り返しのつかないことになるよ」

「俺はイライラしているんだ。そんな言葉で俺の意思を曲げられると思うなよ。許せるのは今のうちだぞ」

 許す? はあ、本当に人間は物分かりの悪い生き物だ。

「人間って馬鹿だよね」

「はあ?」

 バットを掴んでいる手と反対の手で、困惑する大男の手首を掴んだ。

「相手を間違えると獲物に成り下がっちゃうよ」

「何をする気だ」

「呪い殺される苦しみ、味わうと良いよ」

「おまえ――」

 すこしそれっぽい事をしてあげると、男は空気の抜けた風船のようにふにゃふにゃと地面に崩れ落ちる。目は見開き、口は開いたままだ。苦しそうな声一つ出なかったな。あっという間だから無理もないか。

「うわあああああああ」

 細い男は眼の前の光景を見て、叫びながら何処かへ走っていった。チッ、アイツも目撃者だから一緒に消そうとしたんだけどな。まあいいや。

 あっけない。いや、人間の最後はこんなものか。

「あ、ああ……」

 少女は声にならない声を出す。

「大丈夫?」

 私は少女と同じ目線に屈む。

「うん……助けてくれたの?」

「そんな所かな」

 バットを放り投げ、少女の頭を優しく撫でる。この子には優しくしてあげないといけない。

「……あなたは? 猫耳に二本の長い尻尾……猫又?」

 お、どうやらこの子には知識があるみたい。

「へえ、知っているんだ。じゃあ自己紹介はいらないね。予想通り私は猫又。猫の妖怪だよ。といっても猫耳と尻尾以外は人間だけどね」

「いきなりでてきたけど、どこに居たの」

「ずっとキミを観察するために隠れてたんだよ」

 テクノロジーの進んだ現代社会において、妖怪が人間に感知されないようにするには気配を消すしか無い。そうやって妖怪も時代に適応してきた。

「そうなんだ……本物?」

 少女は恐る恐るきいてきた。この子も私の事をコスプレだと疑ってるの?

「この男が証明になるんじゃないかな」

 私はもう動かなくなった大男を指さした。傷一つ無いのに、苦しそうな顔をしている。私が妖怪の力で呪い殺したから。

「ああ……」

「それに丑三つ時って知ってる?妖怪くらい出てきてもおかしくないでしょ」

「そうなの?」

 もう、科学とデジタルに毒された現代人間共め。

「そんなに疑うの? じゃあ……尻尾触る?」

 本当は嫌だけど。これくらいしか本物だという証明方法がない。

 少女は躊躇なく私の尻尾を引っ張った。

「にゃっ?! どうして引っ張るの! 痛いよ!」

「本物なんだ……」

 この子、一部の妖怪よりサイコパスかもしれない。

「もう……びっくりした。まあいいや、本題に入るよ」

「本題?」

 私が何故ずっと近くでこの子の事を観察していたのか。それが本題だ。

「キミ、弱ってるでしょ」

「え?」

 少女はきょとんとしている。

「そんなとぼけなくてもいいよ。私近くであなたのことを観察していたんだから。それくらいわかるよ」

「本当に……?」

「うん。あの暴力的な男がやってくるまで、私はずっと気配を消してあなたの近くにいたの。それでわかったことがある」

 私はそう前置きして、一つずつ確認をしていく。

「まずキミは理不尽な人間という存在が嫌い」

 警察に対するあの嫌そうな顔と声そして話し方は、他人と関わりを持ちたくない意識が漏れ出たものだろう。

「次にキミは理不尽な世界が嫌い」

 きっとこの子は雷よりも多くの不条理を目の当たりにしている。どうしようもない社会のシステムや自然の摂理に、不幸な思いをさせられたのだろう。

「最後にキミは何もできない自分自身が嫌い」

 死を目の当たりにして、最後に恨むのは自分だとは。すべての嫌悪は彼女自身から流れ出ている。

「どうかな?」

 私は少女に答え合わせをお願いする。

 しばらく、間が空いた。

「……合ってる」

 少女は消え入りそうな声で言った。少し辛い過去を思い出させてしまっただろうか。私が少女の背中を擦ってやると、顔を伏せ肩を震わせる。雨が降らないはずの屋根の下に、水滴がポタポタと零れて床を濡らした。私は何も言わず静かに横に座っていた。

 何分か経つと、ようやく少女は落ち着いたのか口を開いた。

「私、大事な友達がいるの」

 少女の語りはこの言葉から始まった。

「でもね、今日友達をやめちゃった」

「どうして」

 私の問いに少女はまぶたを伏せ、小さく何度か頷いた。

「そう思うよね。でも私が悪いの」

 自分を卑下するような言い方だ。少女はさらに言葉を続ける

「私のパパは殺されたの。ある日、パパが家に帰ると、取引に失敗したとか言ってたかな。すごい焦ってた。顔が真っ白で、全く動こうとしないの。それで次の日、仕事に出かけたっきり、帰ってきていない。集団の詐欺だったらしいよ。それで、証拠隠滅の為にパパは殺されたんだって」

 少女は私に語りかける。絶対に目は合わせてくれない。

「人間ってそんなのばっかりなんだよ。自分の為なら平気で他人を陥れることができる。よくよく考えたらさ、クラスのみんなもそんな感じだった。先生も、家の近所に住む人も。みんな、平気で他人の不幸を笑える人ばかり!」

 人間とはそういうものだ。ただ、この子は人間の醜さに気づけた。

「でもね、友達はそうでもなかった。懐かしいな。苦しいときは一緒に悲しんでくれて、嬉しいときは一緒に楽しんでくれた。私の大事な友達。この先ずっと一緒に仲良くできるって思ってた」

「でも無理だったんだ」

「うん、猫又の言う通り。その友達、引っ越すことになってさ。もう会えなくなるらしい」

 引っ越し、きっと親の転勤とかなのだろう。そこで少し気になった。

「ちょっと失礼かもだけどさ、それって友達の連絡先とか貰えば良いんじゃないの?」

「私も猫又と同じ事を考えたよ。でもさ、友達は『もっと遠いところに行くからもう会えない』とか、『連絡先を知ってしまうと会いたくなってしまう』とかいって拒否されちゃった」

 その友達とやらは不思議な価値観の子だ。私の疑問をよそに、「でもね」と少女は話を続ける。

「でもね、最後にお別れパーティーをしようって言ってくれたの。それが今日の話。ただ、私はそれに行けなかった」

 行かなかったじゃなくて。

「行けなかった?」

「うん。ママが事故に遭ったの」

「事故……」

「そう。どうやら交差点の中でスリップしたらしいの。雨が酷かったから。そして、そこに対向車が突っ込んできたってさ」

 確かに今日は雨が止まない。

「私、結局友達のお別れパーティーには行けなかった。ママの為に病院へ向かったから。でも、ママはもう死んじゃったって。病院についた頃には遅かったみたい。そしてその頃にはお別れパーティーの時間だった。友達の連絡先なんて知らないから、『行けない』の一言も伝えられなかった」

 少女は少し間を開けて最後にこう言った。

「これで私の話はおしまい。私の周りには何も残っていない。私、何もできなかった。あの時声をかけていれば。勇気を出していれば。その思いだけがずっとあるの。私の大好きだったものは、もうこの世界には何も残っていない」

 少女の涙は枯れていた。ただ淡々と過去を悔やむ。

「じゃあさ」

 やっぱり私が求めていた人間だ。駅を出た瞬間からただならぬ雰囲気を感じ取っていたが、やっぱりあれは間違いではなかった。

「何?」

 一言だけ発した私を、少女は不思議そうに見つめる。ようやく目があった。

「この世界を壊しちゃおうよ」

「……は?」

 あれ、困惑している。あまり魅力的じゃなかったかな。

「だってこの世界には何も残っていないんでしょ?」

「大好きなものはね」

「じゃあ壊していいじゃん」

 何も間違っていない

「いや、そうじゃなくて。いきなり突拍子も無いこと言うからさ。なに? 世界を壊す? どうやって」

「百鬼夜行だよ」

「百鬼夜行……?」

 あまりピンと来ていなさそうだな。

「大量の妖怪が一斉に街を練り歩く。それが百鬼夜行。ひとつひとつの力が弱い妖怪でも、大量に集まれば近づくだけですべてを壊すことができる。ね、魅力的でしょ。だからさ、一緒につくろうよ」

「つくる?」

「そう。つくるの。いっぱい妖怪を集めるの。それでいつの日か、この世界に復讐する」

「へえ、ちょっと魅力的かもね。でもそれがどう私と関係するの」

「キミには先頭を歩いてもらう」

「先頭? 私が先頭を歩くの?なんで先頭が私じゃなきゃいけないの」

「ただの妖怪にすべてをまとめ上げる力がないからよ。認めたくないけど、妖怪より人間のほうが力が強いの。あの死んだ大男は私に不意を突かれただけだし」

 実際、もう一人は逃がしているもんね。

「ふーん……」

 少女は少し考えたあと、少しだけ笑みを浮かべこういった。

「面白そうじゃん」

「ふーん……わかった。」

「でしょ? そうと決まれば早速――」

 しかし、少女は「いやちょっと待って」と私を止める。

「百鬼夜行が近づくだけですべてを壊すことができるって、それ私も死んじゃうでしょ」

 ほう、良い所に目をつける。しかし、その答えは非常に単純だ。

「いやキミさ、自分で負の感情をそんなに溜め込んでおいて、自分のことまだ「純粋な人間」だと思っているの?」

 少女は「そういう事か」と呟くと、いきなり立ち上がった。「何からすればいいの」と聞いてくる。

「乗り気だね」

「私にはこっちしかないから。今から家に帰ったところで何も無いし」

 少女はポケットに入っていたスマホを取り出し、遠くへ投げ捨てた。綺麗な放物線を描き、コンクリートに叩きつけられる。それはバラバラといくつかのパーツに砕け散った。

「信じてくれてありがとう。じゃあついてきて」

 私も立ち上がり、少女の手を掴む。二人で歩こう。これが百鬼夜行の第一歩だ。今は二人だけど。これから増やしていけばいい。

 二人で手を繋ぎ、真っ黒な夜へと旅立つ。この世界を壊す為に。いつの間にか雨は止んでいた。静寂の街を、足音一つ立てず歩いていく。

 もう私たちの行方は誰も追えない。

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