第5話 崩壊の序章

空は戦いの傷と疲労を引きずりながら、夏油と共に街を離れる準備を進めていた。妹の詩はまだ安心しきれない様子で空の袖を引っ張る。


「お兄ちゃん……どこかに行っちゃうの?」


詩の問いに、空は微笑みながら答えた。「少しだけ遠くに行くだけだよ。すぐに戻ってくる」


詩は首を振り、涙を浮かべながら言った。「また消えちゃうんじゃないの?お兄ちゃんがどんどん薄くなるの、わかるよ!」


その言葉に、空は一瞬息を飲んだ。詩には、彼の存在の消失がわかり始めていたのだ。


「そんなことないさ。俺は、ちゃんと戻るから」


空がそう言うと、詩は小さく頷いたものの、不安な表情を隠せなかった。その様子を見ていた夏油が静かに口を開いた。


「詩、心配するな。お前の兄は強い。どれだけ薄れても、お前のために戻ってくるさ」


その言葉に、詩は少しだけ安心したようだった。


街の出口に差し掛かったとき、一人の旅人が二人に声をかけた。


「もしや、あなた方が呪霊を退治しているという噂の者たちか?」


夏油が答えた。「そうだ。何か用か?」


旅人は疲れ切った表情で説明した。「近くの村が、恐ろしい呪霊に襲われているんです。あれはただの呪霊ではありません。まるで、人間のような知性を持っていて……」


「人間のような知性?」空が眉をひそめる。


「ええ、村の者たちを操るようにして、その場に縛りつけているんです。助けを求めて出たのは私だけです。どうか……村を救っていただけませんか?」


その言葉に、空は夏油の顔を見た。「行こう」


夏油は短く頷いた。「ああ、どうせ次の目的地もないんだ。この仕事を受けるか」


二人がたどり着いた村は、不気味な静けさに包まれていた。村の入り口には、生気のない目をした人々が座り込んでいる。誰も話さず、ただ同じ方向をじっと見つめている。


「……何だ、これ?」空が呟く。


「完全に呪霊に支配されているな。これは厄介だ」夏油が周囲を見渡す。


二人が村の中心に近づくと、空はある違和感を覚えた。頭の中に、まるで誰かが囁くような声が響いてくる。


「……お前の力を差し出せ」


空は立ち止まり、額に手を当てた。「何だ、この声……?」


「どうした、空?」夏油が気づく。


「誰かが……俺に何かを……」


その時、村の中央にある廃れた神社の中から、不気味な黒い影が現れた。それは、人間の形をしていたが、瞳の奥には明らかな呪いの色が宿っていた。


黒い影が静かに口を開いた。


「遠野空……お前の力が必要だ」


その声はフードの男と似ているが、どこか違う響きを持っていた。空は足を止め、目を細めた。


「お前も、俺の力を狙っているのか?」


「そうだ。その力を手に入れれば、未来も過去も思うがままだ」


呪霊はゆっくりと近づきながら続ける。「お前の存在が消える理由、それを止める方法も教えてやろう。どうだ?」


空は苦々しい表情を浮かべた。「ふざけるな……俺の力を利用しようとしているだけだろ!」


呪霊は冷たく笑った。「そう思うのは勝手だ。だが、お前がその力を失えば、守りたい者たちも守れなくなる。それでもいいのか?」


その言葉に、空の心が揺れた。


「やめろ、空!」夏油が強い口調で制止する。「そいつの言葉に耳を貸すな!」


空は拳を握りしめ、呪霊を睨みつけた。「俺は……お前なんかに従わない!」


呪霊が静かに笑いながら姿を消した瞬間、周囲の村人たちが一斉に立ち上がり、二人に向かって襲いかかってきた。


「くそっ、全員操られてるのか!」空が叫ぶ。


「手加減しろよ。こいつらはただの人間だ」夏油が冷静に指示を出す。


空は村人たちを傷つけないように動き回り、未来を見る力を駆使して攻撃を避けていく。だが、数が多く、次第に追い詰められていった。


「これじゃ、埒が明かない……!」


夏油は冷静に呪霊たちを操り、村人を押さえ込む。だが、その時、空の頭に再び呪霊の声が響いた。


「お前の未来は、無限の孤独だ」


呪霊を倒すため、二人は神社の中へ突入した。そこで待ち受けていたのは、異常に膨張した呪霊の本体だった。空は未来のビジョンを使いながら、夏油と連携して攻撃を仕掛けた。


「今だ、夏油さん!」


空の指示で、夏油の呪霊が一斉に襲いかかり、巨大な呪霊を完全に封じ込めた。


「終わったか……」空が息を切らしながら呟く。


だが、その時、呪霊の最後の力が空に向かって放たれた。空はそれを避けることができず、直撃を受けて倒れ込む。


地面に倒れた空の体が、まるで霧のように薄れていくのを夏油が目の当たりにする。


「空、おい!しっかりしろ!」


夏油が必死に呼びかけるが、空は薄れる意識の中で呟いた。


「まだ……守りたいものがあるのに……」


その言葉とともに、空の体が完全に透明になり、消え去った。


「空……!」夏油が叫ぶが、その声は虚しく夜空に消えていった。


空が意識を取り戻すと、そこは漆黒の世界だった。上下もなく、足元もない。ただ、虚無が広がっている。


「ここは……どこだ?」


空は声を上げたが、反響すら返ってこない。自分の体を見下ろすと、半透明のようになっている。自分自身が存在しているのかどうか、曖昧な感覚が彼を襲った。


その時、不意に声が響いた。


「ここは、お前が選び続けた結果の場所だ」


振り向くと、そこにはフードの男が立っていた。だが、今度は仮面もフードもない。現れたのは、空と同じ姿をしたもう一人の空だった。


「お前は……俺?」


「そうだ。俺は、お前が捨てたはずの未来だ」


もう一人の空は冷ややかに微笑んだ。


「お前は、人を救うために未来を見続けた。その代償として、今ここにいる。それが正しい選択だったのか?」


空は反論しようとしたが、言葉が出てこない。


「答えられないだろう?お前は迷いながらも進むことを選んだ。その結果、誰かを救うたびに自分を消し続けてきた。それで満足か?」


空は拳を握りしめ、うつむいた。「わからない……けど、俺にはそれしかなかったんだ!」


もう一人の空が冷たい目で問いかける。


「お前が選んだ道は、本当に正しかったのか?」


その問いに、空は顔を上げ、力強く答えた。


「正しかったかなんて、死ぬときにわかれば十分だ。今は、ただ守りたいものを守る。それだけだ!」


その言葉に、もう一人の空は少し驚いた表情を浮かべた。


「覚悟だけは一人前だな……だが、それだけで進めるほど現実は甘くない」


その時、虚無の空間に光が差し込み、空の視界に夏油の姿が映った。彼の声が虚無の中に響く。


「空、ここで終わるつもりか?お前が守りたいものは、こんなところじゃ守れないぞ!」


空はその声に反応し、手を伸ばした。「夏油さん……俺は、まだ終わりたくない!」


もう一人の空が静かに言った。


「なら、その覚悟を証明してみせろ。お前が何を選んでも、俺はここで見ている」


光が一気に強まり、虚無が崩れ去る。空は光に包まれながら、再び目を閉じた。


目を開けると、空は夏油の腕の中にいた。彼の顔には安堵の表情が浮かんでいる。


「戻ってきたか、空」


空は弱々しく微笑んだ。「……少しだけ長い夢を見てたよ」


夏油は空を支えながら立ち上がり、静かに言った。


「選び続けろ、空。どんなに間違っても、歩くのをやめた時が本当の終わりだ」


その言葉に、空はしっかりと頷いた。


空が夏油の支えを借りて立ち上がったとき、遠くから詩の声が聞こえた。


「お兄ちゃん!生きてるんだよね!?」


振り向くと、詩が涙を浮かべながら走り寄ってくる。その小さな体を抱きしめる空。彼女の温もりを感じながら、自分の存在がかろうじて現実につながっていることを実感した。


「詩、心配かけたな。でも大丈夫だ。俺はまだここにいる」


詩は空の胸に顔を埋めながら震える声で言った。「お願いだから……いなくならないで」


空は妹の髪をそっと撫でながら心に誓った。


「俺は絶対に消えない。守るべきものがある限り、俺はここに立ち続ける」


夏油が背後で静かに見守る中、一人の村人が二人に近づいてきた。


「ありがとうございました。呪霊を退治してくださり、本当に……」


その感謝の言葉に、空と夏油は短く頷いた。そして、夏油が口を開いた。


「ここでじっとしている時間はないぞ、空。次に進むべき場所があるはずだ」


空は頷き、決意を込めた瞳で夏油を見つめた。「ああ、行こう。まだやらなきゃいけないことがある」


二人が次の街へ向かうため歩き出そうとしたその時、不意に周囲の空気が変わった。遠くの地面がひび割れ、不気味な霧が立ち上る。


夏油が立ち止まり、目を細めた。「またか……」


霧の中から現れたのは、以前現れたフードの男だった。しかし、今回はその背後にさらに二人の謎の人物が立っていた。それぞれ異なる形の仮面を被り、不気味なオーラを放っている。


「遠野空……選び続ける覚悟を持つお前に、最後の警告をしに来た」


空は眉をひそめ、男を睨みつけた。「何度も言わせるな。俺はお前たちの思い通りにはならない」


フードの男は静かに笑い、仲間の一人に指示を出した。「彼に、覚悟を試す機会を与えてやれ」


仮面の一人が前に出て、手をかざす。その瞬間、空の前に幻影が広がる。それは、空がこれまで救えなかった人々の姿だった。


「お前が選んだ未来の代償を知れ」


幻影の中では、空が見捨てるしかなかった命、変えられなかった運命が次々と描き出される。それは彼の心を深く抉り、過去の痛みを蘇らせた。


「お前が救えた命もあるが、失った命の方が多い。守れなかった者たちは、お前を恨んでいるだろう」


フードの男が冷たく言い放つ。


空は拳を握りしめ、叫び声を上げた。「それでも俺は……守れるものを守り続ける!誰かを救うためなら、どんな痛みでも受け止める!」


その言葉に、幻影が一瞬揺らぐ。だが、フードの男は笑みを深めた。「では、その言葉を証明してみせろ」


仮面の男が前に出ると、巨大な呪霊を召喚した。それは異形の姿をしており、まるで空の中にある恐怖そのものを具現化したかのようだった。


「これがお前の選択の象徴だ。立ち向かってみせろ」


空は一歩前に出るが、体の震えを抑えられない。夏油が彼の肩に手を置き、静かに言った。


「お前の戦いだが、一人ではない。俺がいる」


その言葉に、空は深く頷いた。「ありがとう、夏油さん。行くぞ!」


二人は力を合わせ、呪霊に立ち向かった。空は未来を見る力を駆使し、夏油の動きをサポートする。夏油は呪霊を操りながら、的確に攻撃を繰り出す。


戦いは激しさを増し、周囲の地面が崩れ、空気が揺れる中、空は最後の一撃を放つタイミングを掴む。


「今だ、夏油さん!」


夏油が呪霊を拘束し、空が全力で弱点に攻撃を叩き込む。呪霊は断末魔の叫びを上げ、消え去った。


戦いが終わり、空は膝をついて息を切らしていた。フードの男が再び現れ、静かに言った。


「よくやった。だが、お前の選択が正しいとは限らない。これからも同じ苦痛を味わい続けるだろう。それでも進むか?」


空は立ち上がり、まっすぐに男を見据えた。


「正しいかどうかなんて関係ない。俺は未来を選び続ける。それが、俺に与えられた役目だから!」


その言葉に、フードの男は一瞬だけ沈黙し、やがて静かに後退していった。


フードの男たちが去った後、夏油が静かに空の隣に立った。


「お前の選択は、間違っていない。間違い続けた俺が言うんだからな」


空は疲れた笑みを浮かべた。「夏油さんがいてくれるから、俺も進めるんだ」


夏油は軽く肩を叩き、「なら、進むぞ」とだけ言った。


二人は次なる目的地へと歩みを進める。その背中には、これから待ち受けるさらなる試練に立ち向かう覚悟が宿っていた。

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