第3話 繋がる過去と未来

夜明け前、空と夏油は山を下り、小さな村に戻ってきた。呪霊が消滅したことにより、村全体を覆っていた不穏な空気は和らぎ、木々の間を抜ける風が心地よい音を立てている。

だが、二人の表情は晴れない。特に夏油の心には、呪霊が吐いた言葉が重くのしかかっていた。


広場では、先ほどの老人が震えながら二人を出迎えた。村人たちも徐々に姿を現し、彼らに感謝の言葉を投げかける。


「ありがとうございました……。村を救ってくださったこと、感謝してもしきれません」


空は素直に頭を下げたが、夏油は短く「礼には及ばない」とだけ答えた。その背中には、どこか孤独の影が漂っていた。


村を去る準備を進める中、空は一人で川辺に立つ夏油を見つけた。その瞳は遠くを見つめ、彼の思考がどこか別の場所にあることを物語っていた。


「夏油さん、少し話せる?」


空が声をかけると、夏油は振り返り、「何だ」と短く答えた。


「さっきの呪霊……あれが夏油さんの過去に関係しているのは、間違いないよな?」


夏油は一瞬黙り込み、目を伏せた。「ああ……あの呪霊は、かつて俺が守れなかった子供たちの執念が形を成したものだ。俺の選択の結果が、奴らを呪霊に変えた」


「でも、それは夏油さんのせいじゃない。あんたがあの時どれだけ必死だったか、俺にはわかる」


夏油は静かに首を横に振った。「そうかもしれないが、俺にはあの子たちを救う力があった。それを使えなかったのは、俺の弱さだ」


空は返す言葉を見つけられなかった。ただ、夏油の肩越しに見える川の水面が、朝日の光を受けて揺れているのを見つめていた。


「俺は、お前と違って未来を見られるわけじゃない。ただ、過去の失敗を抱えて歩くしかないんだ」


「でも、それでいいじゃないか。あんたはその過去を認めて進んでる。俺は、未来を見られてもその結果を変える力が足りない」


夏油は微かに目を細め、空の顔をじっと見た。「お前は、俺よりもよほど前を向けているよ」


3. 村人の少年との出会い


その時、広場から少年の声が聞こえた。


「お兄さんたち!」


二人が振り返ると、一人の少年が駆け寄ってきた。歳は十歳ほどだろうか。髪はボサボサで服も少し汚れているが、その目には強い光が宿っていた。


「助けてくれてありがとう!僕、お兄さんたちみたいになりたい!」


空は少し驚きながら微笑み、「ありがとう。でも、俺たちはそんな立派なもんじゃないよ」と言った。


少年は首を振り、「そんなことない!呪霊が怖かったけど、二人が戦ってるのを見て、僕も誰かを助けたいって思ったんだ」と強く言った。


その言葉に、夏油は何も言わずじっと少年を見つめていた。


「お名前、教えて!」少年が尋ねる。


空は答えようとしたが、ふと気づいた。「俺は……」


彼は自分の名前を言おうとした瞬間、胸の中に重たい感覚が広がるのを感じた。村人たちが空に感謝の言葉を述べる中、その顔に微かな戸惑いが浮かぶ。


「名前……?」


少年の目が一瞬不思議そうに揺れる。空の存在が、人々の記憶からまた少し薄れているのだ。それを感じた夏油が横から助け舟を出した。


「こいつは、空だ。遠野空。覚えておけよ」


夏油の言葉に、少年は嬉しそうに頷いた。「空さん、ありがとう!」


空は笑顔を見せたが、その裏で胸にわだかまる孤独を噛み締めていた。


村を出発する道すがら、空は夏油に問いかけた。


「俺が消えていく理由が、だんだんわかってきた気がするよ」


「どういうことだ?」


「人を助けるたびに、俺は未来に関わりすぎてしまう。その代償として、俺の存在が現実から消え始めてるんだと思う」


夏油は黙ったまま、空の言葉を聞いていた。空は少しだけ微笑みを浮かべながら続けた。


「でも、消えていくとしても構わない。俺が助けた人たちが幸せになれるなら、それでいい」


その言葉に、夏油は眉をひそめた。「お前、それで本当にいいのか?」


「いいんだ。あんたがいる間は、俺が消えた後も誰かを救い続けてくれる気がするから」


夏油は驚いたように目を見開き、次に目を細めた。「お前は……本当に不思議なやつだな」


「そうかもな。でも、あんたには感謝してるよ」


空の言葉に、夏油は短く頷き、歩みを進めた。その背中は、かつての孤独に満ちたものとは少し違って見えた。


旅を続ける二人の背後に、影が忍び寄っていた。それは彼らを追う謎の存在。呪霊とは異なる、不気味で人間のような姿をしている。


「彼らを観察するのは興味深い……特にあの少年、遠野空。未来を見る力か……」


影は静かに呟き、消え去った。


空と夏油は村を離れ、山間を抜ける道を進んでいた。二人の間には沈黙が漂っていたが、その静けさは徐々に不穏な気配に変わっていった。夏油が足を止め、周囲を見回す。


「……気づいているな?」


「うん。誰かがずっと後をつけてきてる」空が低く答える。


夏油は視線を鋭くしながら、静かに呪力を巡らせた。「ただの呪霊じゃない。人間の意思が感じられる……だが、普通の人間でもないな」


空はその言葉に緊張を覚えた。「追ってくる理由、何なんだろう?」


「わからんが、ただの興味本位とは思えない」


二人はそのまま進むふりをしながら、徐々に警戒を強めていく。そして、森の中に差し掛かったその時、背後から冷たい声が響いた。


「ようやく気づいたか。さすがは元呪詛師、夏油傑。そして……未来を見る少年、遠野空」


二人が振り返ると、そこには黒い外套をまとった男が立っていた。長身で痩せた体躯、顔は不気味な仮面で隠されている。だが、その声には冷たくも揺るぎない自信が満ちていた。


「誰だ?」夏油が問いかける。


「名前を名乗る必要はない。だが、君たちに興味がある。特に君、遠野空。その力には無限の可能性を感じる」


男は仮面の下で笑っているように見えた。


男はゆっくりと二人に歩み寄りながら続けた。


「君の能力、未来を見る力。それをもっと有効に使う方法を教えてやろう」


空は困惑しながら一歩後ずさる。「……どういう意味だ?」


「君の力は、人を救うために使うには惜しい。未来を知ることで世界を支配することもできる。その力を私に貸せば、君の存在が消えることもなくなるだろう」


空は息を呑んだ。「俺の存在が消えなくなる……?」


男は頷き、さらに言葉を重ねる。「そうだ。君の力を正しい形で使えば、君は記憶から消えることもなく、妹を守り続けることができる。どうだ、悪い話ではないだろう?」


空は迷いの表情を浮かべた。これまで彼を苦しめてきた「存在が消える」という恐怖から解放されるかもしれない。その誘惑は確かに甘いものだった。


だが、隣にいる夏油は冷たい視線を男に向けて言い放った。


「くだらない。お前の言葉に耳を貸すな、空」


「なぜだ?」空が問い返す。


「そいつはお前の力を利用しようとしているだけだ。お前が助けたいのは妹だろう?そのために、お前自身が囚われるような選択をしていいのか?」


空は返す言葉を失い、男と夏油の間で揺れ動いた。


3. 闘いの始まり


「なるほど、夏油傑。君のような男は計画の邪魔になる」


男はそう言うと、一瞬で空気が凍りつくような呪力を放った。地面から黒い触手のようなものが伸び、二人に襲いかかる。


「空、下がれ!」夏油が叫び、呪霊を召喚して男の攻撃を防いだ。


空は動揺しながらも未来を見る力を発動させた。視界に映るのは、男が次にどの方向から攻撃を仕掛けるかの予兆だった。


「右だ、夏油さん!」


空の言葉に反応し、夏油が呪霊を右側に動かす。黒い触手が呪霊に弾かれ、二人は間一髪で攻撃をかわす。


「やるな、遠野空。その力、本当に素晴らしい。ますます君が欲しくなった」


男は嘲笑を浮かべながら攻撃を続ける。空と夏油は互いに連携しながら応戦するが、男の呪力は異常に強力だった。


戦闘が激化する中、空は再び未来の映像を見た。それは、自分が男の言葉に従い、力を差し出す代わりに妹を守り続ける平穏な未来だった。しかし、その代わりに夏油が男との戦いで命を落とすという悲劇が映し出された。


「そんな未来、許せない……!」


空は決意を固め、夏油に叫んだ。「夏油さん、俺に少し時間を稼いでくれ!」


夏油は空の決意を察し、「無茶するなよ」と短く言いながら、男の注意を引くために前に出た。


空は未来の映像を頼りに、男の呪力の源が仮面にあることを見抜いた。そして瓦礫の中から鋭い石片を拾い、男の仮面を狙って全力で投げつけた。


「そこだ!」


石片は仮面を正確に捉え、粉々に砕いた。男の顔が露わになり、その瞬間、呪力が一気に弱まる。


「おのれ……!」


男は動揺し、触手が止まった。夏油はその隙を突いて呪霊を操り、一気に男を押し倒した。


男は地面に倒れこみ、呪力が完全に消え去った。夏油は肩で息をしながら空を振り返る。


「よくやった、空」


空は力なく頷きながらも、未来を変えられたことに安堵していた。だが、同時に胸の中には苦い感情が残っていた。男の言葉が完全に嘘だったわけではない。自分の力を使えば、確かに妹を守れる未来もあるのだと。


夏油が近づき、空の肩に手を置いた。「お前が選んだ道が正しいかどうかなんて、すぐにはわからない。だが、自分の信じた選択を後悔するな」


その言葉に、空は小さく微笑んだ。「ありがとう、夏油さん。俺、これからも迷いながら選んでいくよ」


二人は再び旅路に戻る。彼らの背後には、倒れた男が最後の力で呟く声が聞こえた。


「遠野空……君の力は、いずれすべてを飲み込むだろう……」


その言葉が、次なる運命の幕開けを予感させていた。

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