OH MY BUDDY‼ Ⅱ

 外観で二階と地下があると気付けなかったのも無理はなく、フォローを怠ったのを悔いる小撫は気持ちを切り替えるため首を振った。

 二階のフロアは、一階のように巨大コンテナを並べられるほど広くない。教室二つ分くらいの大きさと感じた。

 フロアが明るいのは二階と同じ自動照明。最低でも二人いると分かっていた小撫だが、鉄骨からコンクリートへ地面が変わるのと同時に珍しく口を大にした。

 少し息を乱して現れた自分に向けられる視線が二つしかなく、大勢との乱戦を想定していたため、まさか全て好葉さまの方へ……と、更なる判断ミスを思うも、それさえ誤解と気付く。

 このような光景など想定の埒外だったから、小撫は絶句し、異様な状況を前に立ち尽くした。

 人、人、人、人、人。

 それもゴーレスに違いない、ターコイズ色の光を各部から発している男たちだ。自分たちの標的だったこの街の脅威たち。

 その群れが、ジーパンの男一人を残して床に転がり、呻き、叫びを上げている。中には赤子のように泣きじゃくる者もいて、ひたすらに、ゴーレス以前に大人としての尊厳を剥奪されていた。

 その全てが後ろ手に手錠をはめられていた。

 見たことがある、では済まされない。小撫がブレザーに潜ませているものと同じ、機関の扱う手錠だ。

 異様とさえ思えず、意味不明でしかなかったフロアの状況を一つ一つ整理するたび、小撫の内に生じた疑惑がより混沌となる。一歩ずつ、恐る恐るフロアの中心に立つ二人に迫るたび悪寒が強まり、二階に充満している酸っぱい匂いも次第に濃くなっていった。

 格闘家としては一流ながら、まだ若く、酸いも甘いも未熟な乙女の曇る表情に白い脚の女子がほころんだ。

 その反応が、小撫自身これまで感じたことがないほど不快だった。

「貴女は、ここで何を?」

 転がる二十の男たちを跨ぐ気になれず、群れの前で立ち止まった。マスクで口元を隠す白い女子と、ジーパンを履く大柄の男に近付けない。

「助けてくれ!」

 男が叫んだ。

 不覚だった。これまで幾度も大人の男を退けてきたのに、この程度で小撫の肩が跳ねた。

 それほど、男の隣に立つ、白つるばみ色のラインが入った白いジャージ姿で、更に白いスニーカーを履く女子から目を離してはならないと感じていた。

「貴方は?」

「俺が悪かったんだ! 大人しくお縄につくから勘弁してくれ!」

 男も正体不明。参っている様子だが、この場面でターコイズ色を発してこないのは却って怪しい。男も両手が後ろに回っていることから自由ではないと推察できるが、小撫は動けなかった。

「俺はゴーレスの存在を知っちまって、けどゴーレスじゃないから、だから無力で……」

 声は小さく、小撫のところまではっきりと伝わらなかった。

 肝心な部分が知りたい。ゴーレスでないにせよ、ゴーレスに加担しているのか、それとも被害者なのか。小撫は怪訝な顔で耳に意識をやった。

「おじさん、ちゃんと喋りなよ。由埜小撫が困るでしょ」

 白い膝が男の尻を押すと、男は短い悲鳴を上げた。

 まともに話せる精神状態じゃない。それならと、小撫は敵か味方か不明のもう一人を眉間の位置に置いた。

 近い年齢のはずも、十代とは思えない妖艶さがあり、酸いも甘いも知り尽くしたような独特の感じがする。この場の惨状と謎の酸っぱい匂いも重なり、小撫には浮世離れした存在に見えた。ゴーレスとも異なる、遥か昔に機関が退治したという妖の類のような……。

 白い女子は、膝から崩れ落ちた男を「情けない」と蔑み、小撫に視線を向けた。

(あ……)

 冷めた眼差しだが、知っている。戦闘中の相棒と同じ、標的を捕捉した時の冷酷な狩人のものだ。

 嫌な印象を抱いたのは何故か、小撫の中で合点がいった。

「おじさんはゴーレスじゃないけど、ゴーレスたちに協力してこの場所を提供していたんだって。結構偉い人らしいよ。私は知らないけど、あなたは?」

「……存じ上げません」

「そう。お金があるだけで有名とは限らないか。ま、結局、闇は闇のまま葬り去られるわけだけど。こいつらと一緒にね」

 捕縛ではなく殺害するような言い回しに小撫は苦くなる。

「ゴーレスの存在を知る者は、加担者、被害者も合わせてそれなりにいるのが事実です。しかし、ゴーレスの情報を世に漏らすのは禁止ですし、直接見たことがない人からすれば、映像などを見せられても信じるはずがありません」

 ……当時まだ無関係だった好葉に道場の裏側を明かした夜を思い、視線を横に流す。

「何であれ関わったからには機関本部へ来てもらいます。ですので、その方がいかなる悪人であれ、一先ずは身の安全を保障します」

 白い女子は少しだけ上目蓋を上げた。

 小撫も、この惨状の上に立っている者に話しても無駄と分かっていた。

 ただ、意外にも感心したようで、か細い体でも気高く在れる小撫に和らぐ顔を見せた。

「先生の言った通り、清楚な乙女だ。良かった、初居好葉じゃなくてあなたが来てくれて」

「貴女は何者ですか?」

「分からないの?」

 マスク越しでも分かる嘲笑が憎らしく、同時にこれほど憤る自分が不思議だった。

 分からないことが多過ぎる。傍らの怯える男も不明な点が多いが、それより……。

「あなたは素直で優しいから、それが足を引っ張って器用に立ち回れない。勉強で使う頭脳が優れているのは由埜小撫だけど、戦闘で使う頭脳が優れているのは初居好葉だって話、本当みたいね」

 会話のできない相手はこれまで何人もいた。ゴーレス退治を初めて間もない頃はその不条理に怯え、泣くこともあったが、好葉が隣にいてくれたことで成長し、正義を曲げず、相手がどれだけ狂暴でも正面から立ち向かえるようになった。

 その、培われた凪の精神が、いとも簡単に揺るがされている。

 マスク女子の妖艶な目元と口角。呻き、唐突に発狂する男の池地獄。鼻を刺す匂い。異界に迷い込んだ心地だった。

 まずくなったら一階へ、彼女の真剣な顔を思い出す。

(私だけでやり遂げなくては)

 彼女に縋るばかりでは昔に戻るだけと、胸に火を灯した。

「貴女の名前と、ここで何をしていたのかを教えてください」

「私はあけのぞみ。こいつらがこうなるように働いていただけよ」

「では、やはり」

「私はあなたたちと同じ機関の人間よ。この街の担当じゃないから知らないのも無理ないけど」

 小撫は油断し、臨戦の準備を解いた。

 それも誤解だと瞬時に気付き、忙しない挙動となる。

 機関の人間だから味方……とは限らないのではと、手段や、この匂いについて優先して聞いておけばと後悔することになる。

「あの、大変失礼を――」

「謝らなくていいわ。あなたもいただくつもりだから」

 臨が一本結びの金髪を揺らし、ジーパンの男を掴んで放ってくると、小撫は想像もしなかった怪力に驚き、垂れた瞳を相棒のように広げた。

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