この街で Ⅲ
第一の獲物が姿をくらます中、第二の獲物がクラブの主役に強烈な一撃を放った。
君島がゴーレス足り得る証拠、宝石のように硬く、輝く皮膚が砕かれる瞬間を目撃してデブは愕然とした。
君島がそうなった時期と、それが無くても十分強いことを知っているからこそ、君島が両手で顔を押さえて悶え、汗一筋の少女にしたり顔で見下ろされている光景に、これはもう駄目だと即断、疾く逃走を決意した。
登場時から何かとデタラメなセーラー服は、何と言っても無傷で、棒術と先程のような奇策で君島を追い詰めた真の怪物。逃げてもすぐに捕まる、あるいは次の瞬間にも棍が後頭部に飛んでくるのではないかと、デブは恐怖にも追われて出入り口へ駆けた。
好葉は同罪の共犯者を追い掛けなかった。目の前の敵を用心する必要があり、こっちを引き受けた上に向こうまで自分がやってしまっては、おしとやかな彼女でも機嫌を損ねるだろうから。
汗を噴き出し、息を荒げ、鬼気迫る形相で走るデブ。
リングから遠ざかるたび、助かるかもしれない期待が大きくなっていく。
そんな希望から、狂気の笑いが溢れた時……。
出入り口近くのテーブル席に、まるで静かにお酒を愉しむお客様みたく、平然と、それでも綺麗な背筋で腰を下ろしている『第一』を見つけた。
ゆるり、柔らかく立つ小撫の美貌も、今では不快に映る。
走る勢いのまま「どけ、この野郎!」と、少女の細い首を目掛けてラリアットを繰り出した。
由埜小撫は囮だ。余裕の態度だって、頼れる相棒が駆け付けてくれる確信からのもので、こいつは印象通りの脆弱な、弱肉強食の理すら知らない愚かな生娘に違いない。
最早、そう信じるしかない。
事実、小撫は好葉のように棍を自在に操り様々なアクションを実現するセンスも、敏捷性も左程ない。パワーは華奢な外見通り。格闘家ではないデブでも腕相撲で小撫の柔い手を握り潰せる。
……などという、見れば分かる部分が秀でていない代わりに、由埜小撫には特殊な才能が備わっている。
好葉の相棒に相応しく任務を遂行するための戦闘能力。仮に好葉が間に合わなかった場合、単独で男二人を制圧できる手段がある。
頭の痛みが引くと、君島はリング上から出入り口の二人を窺った。
君島の関心を察して好葉が的確に答えた。
「仕方ないよ。私もなめられるけど、小撫はもっと戦いと縁遠いように見えるから」
何だと、と睨む暇もなかった。
ラリアットを繰り出した共犯者と、それを受けて白目を剥くべき少女から目が離せず、その結果には更なる驚愕を余儀なくされた。つい咳き込むと、血反吐と共に、猛烈な、吐きたくても何も出てこない不快感に襲われた。
結果、巨体が宙を舞い、頭から床に落下。デブは白目を剥いて眠った。
極太の腕は確かに少女の体に触れた。触れられたのだが、それが攻撃として少女の細い首を轢くことはなく、もはや猪突猛進でもなく、君島の目には自ら気絶を目指して狂い踊ったようにも見えた。
悪寒の理由は、二つあったのだ。
「流石、
「やわらかいな?」
自らのことのように尊顔を浮かべているもう一人の少女が発した言葉に思わず反応してしまうと、フフンと鼻で笑われ、君島のプライドが更に錆びれた。
「小撫は血筋を抜きにしても天才だからね。あれが技術なのか、異能なのかは明らかにもならない。小撫の両腕には生まれつき、カウンター装置が備わっているの。相手のパワーも勢いも無視して、ダメージゼロで相手を投げ返すことができる。おデブさんと小撫の間にどれだけパワー差があったとしても、あれだけ正直に突っ込んでくれれば小撫にとっては一撃必殺の好機となるのです」
君島はしばらく開いた口が塞がらなかった。何事もなかったかのように優雅な立ち姿の小撫を唖然としたまま見つめていた。
リング上の初居好葉さえ憎たらしく思えなくなっていた。
小娘たちにこれだけ負かされ、未だに底が知れない。互いに互いが何者かは確かめ合わずとも理解しており、穏便に済ませるのを拒んだのが自分である以上、行き着くオチは一つに限る。
憎き法に裁かれ、もう二度とこの街で命懸けの決闘に臨むことができなくなる。唯一の生きがいだったそれすらも奪われてしまうことを思うと、その後には絶望しか待ち受けておらず、ゴーレスの力を与えられる前の陰鬱な記憶が脳裏をよぎる。
(惨めな思いをするのはもう御免だ。それにようやく強者と戦うことが叶ったのだから、塵程度となっても未だ残る信念のまま、潔く散る方が上等だ)
「諦めてくれる?」
君島が仰向けで倒れると、下着を気にしたのか、好葉は膝を畳んで彼を見つめた。
相手を制圧する考えは互いに消え去っていた。
「そうだな」
君島は満たされた表情で目蓋を閉じ、それから開いた。目を細めて頭上の照明をぼんやりと視界に映していた。
好葉も、彼が敵対する悪であり、仇に通じる憎き部類だとしても、格闘家としての意地だけは本物だった彼を個別化して考えれば爽快に思えた。
犯罪現場など、客観的な感想でしかない。勝者と敗者、互いが互いの精神を尊重する健全な時間だった。
小撫もブレザーの内ポケットから機関特注の手錠を取り出して共犯者を拘束しつつ、光を浴びる二人を温かく見つめていた。
だが、張り詰めた空気からの解放へ進む三人を嘲るように、うち一人がまずい方向へ舵を切ってしまった。
「そうか、ハハハ……。やはり神などいないのだな」
好葉と小撫はそれを知りつつも、目の当たりにすることはこれまで多くない。今回ばかりは何もできず、諦め笑う男に対して全くの無力だった。
『啓示』を受けた人間は、その理由付けとなった状況下で興奮すると、全身にターコイズ色の光が伝い、皮膚が硬質化する。
それがゴーレスと呼ばれる、好葉と小撫の所属する機関が現在衝突している敵の正体。
硬質化した皮膚は空手家の拳でさえ砕くには己の拳をも砕く覚悟が必要で、殺生を禁止とする機関の掟から、好葉は棒術を、小撫は天性の技を、他の機関員たちも徒手を基本としながら様々な手段を用いて対処している。
……ただ倒すだけであればその限りだが、このように厄介なパターンがある。
ゴーレスと化した者が狂気から目覚める、または理想を諦めた場合、ターコイズライトがより煌めき、最悪の結果へ至ることが確定する。
こうなってからそれを阻止する術は、無いとされている。
君島徹という一人間が、もっと自由に、この街でなく、何にも支配されない条件のもとに生きられたなら……と感じた好葉は、このオチに怒りを覚えずにはいられない。「じゃあどうすれば良かったのよ!」と叫ぶほどだった。
大人を見下す生意気な顔も、不敵な態度も失くしたデタラメな少女に、急遽として地獄への旅立ちが決した男がようやく勝る。
「初居好葉だったか? そんな顔をするなよ。勝ったのだから、お前は正しいのだから、そんな顔をするのは違う」
「だって……」
危機的状況に他ならない。巻き添えを受けかねない好葉を案じて小撫も動揺したが、好葉は納得がいかずリングに留まっていた。
「早くここから離れろ! 俺は敗れた。それを認めたからには、こうなる運命だ。知ってるだろ?」
「……『啓示』を受けられるのは、猛烈な狂気や猟奇性を秘めた悪の人だけ。そして、ゴーレス化してから過ちに気付き、自分の考えが間違っていたと認めた時、こうなる」
「そうだ。この先もずっと拉致と決闘を続けるか、あるいは滅ぶか。俺の未来は二つに一つだったんだ」
「お兄さんは知ってたの?」
「俺が『啓示』を受けた時、詳細を伝えにきた男がいてな。もう後戻りはできないと分かっていたからコソコソと続けてきた。運が良ければと期待もしたが、逃れられないから罪なのだろう。
……だが、今は悪い気分じゃない。ありがとう」
感謝の言葉など予想外で、好葉は驚いた。
奥歯を軋ませて、旅立つ格闘の先輩に対して何とか笑みを見せ、少し言葉を紡いでリングから降りた。
――自分の言葉に君島が愕然としたところまでで、そこから憐れみの眼差しを向けられたことまでを好葉は確認しなかった。
全速力で出入り口近くのテーブル席の下に滑り込み、小撫と並んで身を丸め、衝撃に備えた。
直後、リング上で爆発が起きた。ターコイズ色の閃光はリングに留まらず、クラブ内のあらゆる物を巻き込み、更に数度の爆発を連鎖させた。
しばらくして、跡形も残らず散った彼のいた場所を一瞥し、好葉は髪をなびかせて歩き出した。
――悲しまないで。多分、私もすぐに後を追います。
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