第3話 桜の家で、互いの開放を

「私の家も誰もいないから、安心していいよ」


 桜の家に向かう道中でそんなことを言われ、俺の心臓は昇天してしまった。

 やはり、俺は高校生の桜を嫌いになれない。


 だって可愛いんだもん。


 でも、このまま付き合い続けると、互いに不幸になる。

 未来を知っている俺に、今の感情は関係ない。


 桜の家はマンションの六階の角部屋だった。

 桜は玄関で靴を脱ぎ捨て、廊下に上がってすぐ右手の扉を開ける。


「春人くん。ここが私の部屋だから」

「あ、お、お邪魔、します」


 まだ状況が飲み込めていない。

 とりあえず、靴を脱いで桜の後ろに立ち、部屋の中を覗く。


 桜の部屋は女の子特有のピンクピンク! って感じじゃなく、女子高生の部屋の平均値って感じの、本当に普通の部屋だった。

 勉強机と、姿見と、ローテーブルとラグ、本棚。

 そういえば、タイムリープする前の我が家に同僚を招き入れた時、モデルルームみたいな部屋で素敵、無駄がなくておしゃれと言われたことがある。

 桜の、これがいいんじゃない? にほとんど合わせた部屋だったので、桜のセンスを褒められたような気がして嬉しかった。

 でも、後になって考えてみると皮肉を言われたのかなと思って苛立った。


「テーブルのとこ、座って待ってて。見て欲しいものがあるから」


 桜に言われるがまま、ラグの上に座る。


 桜はクローゼットを開けて、大きめの段ボールを三箱取り出した。

 その段ボールにはすべて黒のペンで『処分品』と殴り書きされてあった。


 桜は「ごめんね」と呟きながら段ボールの上面を優しく撫で、封として使っていたガムテープを勢いよく剥がした。


「こんなところに閉じ込めて」


 閉じ込めて?

 しかもその愛でるような目……え?

 生き物が入ってるの?

 生き物をダンボールに入れて処分しようとしてたって、新たな一面っていうか立派な虐待、犯罪行為だよね?


「春人くん。見て」


 虐待された動物をですか?


「見て、って」


 スムーズに立ち上がれた気がしない。

 恐る恐る桜に近づき、ダンボール箱の中を見下ろす。


「え?」

「実は、私もね」


 中に入っていたのは。


「魔法少女が大好きなオタクなの」


『魔法少女は脅されたい』のフィギュアやグッズたちだった。


「え……桜、えっ? 桜が、オ、オタク?」


 状況が掴めず、桜の真っ直ぐな目とダンボール箱の中身を交互に見ることしかできない。


「いや、でも桜、オタクなんて、そんなこと一度も」

「ごめん春人くん。私、本当の私を、私の好きを隠してた。ずっと隠し通そうって思ってた」


 過去の不倫を告白する妻のような重苦しさだ。


「隠すって、桜が、オタク……」


 いやいや、ってことはタイムリープする前も隠し続けてたってこと?

 十年以上も?

 ありえないよ。

 俺が鈍感なだけ?

 桜からはアニメの『ア』の字も聞いたことなかったけど。


「正確には、隠すじゃなくて、かな」


 捨てる。


 その棘のある言葉が、俺の胸に突き刺さる。


「春人くんを好きになってから、春人くんに嫌われたくなくて、オタクは卒業しようって、春人くんに相応しい彼女になろうって、この子たちも明日捨てる予定だったの」


 そういや、処分品って殴り書きされてたな。

 それを書いた時の桜がどんな気持ちだったのか、想像するだけで目の奥が痛んだ。


「私ね、春人くんのためになんでもしようって心に決めてた。でも、これだけは、今まで踏ん切りがつかなかったの」


 我が子を慈しむような穏やかな目線を、ダンボールの中のアニメグッズに向ける桜。


 そんなの、踏ん切りがつかなくて当然だ。

 だって桜の全て、心そのものだ。

 それを俺のために捨てるなんて……そんなことを桜が考えてたのか?


 もしかして、タイムリープする前の桜は、この宝物を捨ててたってことか?


 あれ?


 そういえば、桜から『私の好きなもの』の話を聞いたことがあったか?


 春人くんこれ好き?

 春人くんは可愛いと思う?

 こっちとこっち、春人くんはどっちがいい?


 これまで、桜が俺と共にしてきた選択に、どれだけ桜の意思が、桜の心が入っていただろうか。

 俺はそんな桜に合わせていただけだから、二人でした選択に、俺の意思は確実に入っていない。


 もしかして、俺たちの心は、ずっとすれ違い続けてきたのか?


「髪型とかイメチェンして、春人くんもみんなも喜んでくれて嬉しかった。私はずっと変わりたいと思ってて、でも私なんてって自信がなくて、春人くんが自信をくれて…………いつからか、春人くんのために変わる喜びみたいなものに、執着しちゃったんだろうなって」


 タイムリープする前、桜がどんどん変わっていったのは桜の意思だと思っていた。

 本当は、枕詞に必ず『春人くんのため』があった。


「変わること自体に執着した私は、自分を変えることが素晴らしいんだ、変えないことはよくないんだって思ってしまった。春人くんのため、って言葉を都合よく解釈してた」


 桜が自嘲気味に笑う。

 そして、ダンボールの中から、十年位前に女子たちの間で流行った魔法少女アニメのマスコットキャラクターのぬいぐるみを取り出し、ぎゅっと抱きしめた。

 ぬいぐるみの汚れ方から、子供の頃から大事にしてきたんだろうとわかった。


 当然、そのぬいぐるみは、タイムリープする前の俺たちの家には存在しない。


「しかもさ、春人くんのためとか言いながら、私は春人くんに聞きもしなかった。そんなの、おかしいよね。私は春人くんの理想の人を目指してたのに、いつの間にか、私が私の脳内に作り上げた空想の春人くんの理想の人になろうとしてた」

「俺も、ごめん」


 気がつけば、爪がめり込むほど手を握りしめていた。


 桜の大事なものを、俺は知らぬ間に捨てさせてきた。


 桜の心を、今の桜を作り上げてきた大切を、捨てさせてきた。


 なんて愚かなんだ。


 こんなすれ違いが起きてたなら、あんな未来に到達して当然だ。


「春人くん? どうして春人くんが謝って」

「最初はさ、変わっていく桜を見て、友達から見る目があるって言われて、優越感だったんだ。桜にとってもそれがいいことだって勝手に思い込んでた。俺が惚れたのは、変わった先にある桜じゃない。変わる前の桜に惚れて、優しい心に惚れて、付き合い始めたのに」

「春人くんっ! 涙……」


 桜が駆け寄ってきて、俺の目から溢れた涙を拭ってくれる。

 崩れ落ちそうな体を支えてくれる。


 ああ、優しさが温かい。

 この温かい優しさに、俺は惚れたというのに。


 この大切な感情を、きっかけを、ずっと忘れていた。


「もっと桜の気持ちを確かめればよかった。もっと話せばよかった」

「私だって、春人くんが好きになってくれたのに、自分に自信がなくて、不安だった。でも私を変え続けることって、春人くんが好きになってくれた私を消していく作業だったんだよね」

「それは違うと思う。俺のためじゃなく、桜が桜の心に従って変わりたいと思ったならいいんだ。俺は桜の判断も、桜の好きなものも、全部含めて桜を好きなんだ」


 俺たちに必要だったのは、相手に合わせて自分を変えることじゃなかった。


「春人くんの前で、見栄を張る必要なかったんだね」


 桜が納得したように笑う。


「春人君が好きになってくれた私に自信を持って、素直な私を見せる。私の中の春人くんじゃなく、実際の春人くんと話し合う。私の中にいる空想の春人くんと会話するのは、今、私の隣で優しい涙を流してくれる本物の春人くんを信頼していないのと同じだった」

「俺も、周りにいる人からの見られ方ばかり気にしてた。一番気にしなきゃいけない桜自身を見ていなかった」

「私たちってバカだよね。これが恋に盲目になるってことかな?」

「どうだろ。でも、今日初めて桜の心に触れた気がして、嬉しかった」

「私も、春人くんをもっと好きになったし、春人くんを好きになった自分が誇らしく思えた」


 桜と額をくっつけ合って、笑い合って、そして抱きしめる。

 感情とか、心とか、体とか、呼吸とか、鼓動とか、いろんなものが混ざり合ってひとつになっていく感覚が、本当に愛おしい。


 きっと、桜とじゃないとこうはならない。


 俺はやっぱり、桜が大好きだ!


 別れたくない!


 次は同じ過ちを繰り返さないよう、桜を愛することの意味を履き違えないようにしよう!


「あ、そうだ、春人くん」


 俺から離れた桜が、少しもじもじしながら、上目遣いで見てくる。


「なに?」

「えっとね、そのぉ」


 桜は頬をほんのりと赤く染めながら、まだ封のされてある段ボールの前に、ちょこんと座る。

 丁寧に封を開けて、中からとあるものを取り出すと、恥ずかしそうに微笑んだ。


「これ着た私、見たい?」


 耳まで真っ赤な桜を見て、顔が燃えるように熱くなる。


 桜が持っているのは、『魔法少女は脅されたい』の夜遊花火の戦闘コスチューム。


 つまり、桜がコスプレしてくれるってこと?


 しかも、ちょっとエッチな魔法使いアニメだけあって、かなり露出多めだけど?


「私、いつかコスプレしてみたいって思ってたし、一番に見せるのは春人くんにしたいって、思ったから」


 二人きりの彼女の部屋で、桜が花火の衣装を着てくれる。

 好き×好きの相乗効果で、それを見てしまったら俺は溶けてバターになるかもしれない。

 危険すぎるけど…‥‥やっぱり超絶可愛い桜の姿を見たいから!


「……お願いします」


 無性に照れてしまって、本当に小さな声でしか返事できなかった。


 ああ、俺はまだまだ、桜の沼にハマっていきそうだ。

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