第5話

チェフィーロは深々とため息をついたかと思うと、突然ニヤリと口許をつり上げる。あ、嫌な予感、と、アッスワールがひきつった笑みを浮かべていると、彼がクルリとこちらを振り返った。

 「虫どもの羽音がやかましいですね、さてどうしてやりましょう……」

 「頼むから騒ぎだけは起こさないでよ?」

 好奇の目を向けてくる、あれは貴族だろうか、彼らの空気がチェフィーロの発言で一瞬にして凍りついた。それもそのはずだ。未だ伯爵位も継いでいない道楽者が、彼よりもずっと高貴な自分たちのことを言うに事欠いて「虫」扱いするとは。

 凍りついた空気が次第に険悪なものに変わっていく。しかし、それを受けてうろたえるアッスワールの横で、チェフィーロはさも嬉しそうに身を震わせながら楽しげに笑っていた。

 「おや?ワールだって怒っていたではありませんか。大丈夫、ちょっと骨を折ってやるぐらいで済ませますから」

 「それが駄目なんだってば」

 「えー、では指の爪一枚いただくので手を打ちましょうか?」

 「駄目に決まってるだろ!」

 クスクス笑う彼につい語調を強くしてしまう。しかし、ややあってからアッスワールはハッと我にかえり、しまったといった表情を浮かべる。

 怒りと批難を彷彿とさせる言動、それはチェフィーロが封じようとしている過去の記憶をを呼び起こす引き金になるもの。今までのチェフィーロは相手の表情や言葉に少しでもそう言った様子が見えた瞬間、強いパニック症状が現れていた。

 「…………フフ、いけないいけない、つい戯れを。どうぞお許しください」

 しかし、チェフィーロはアッスワールの心配をよそにいつもと変わらない表情で笑って見せた。無論、彼の演じる《ネーベル伯爵令息》としての、あの艶かしい笑顔で。

 「さて、そろそろギャラリーが開く頃合いですよ、ワール。今日はわちきの絵をご覧になってくれるのでしょう?」

 「………あ、そ、そうだった、そうだった。よし、早速行こうよ、チェフィ」

 あわてて立ち上がって店を出ていくアッスワール。チェフィーロはそんな背中を見てクスリと笑う。

 「本当に、いい男だこと……」

 ーー比べて、奴らは……。

 言うや否や、彼は次に店の中にいた客に視線を移した。結構な人数が客として店内にいるが、その中に貴族らしい人間はそう多くはない。ということは、先ほどの忍び音は極々一部のものが口にしたのだろう。

 全く、気分が悪い。が……。

 「皆々様、この度は優雅で楽しい一時をお騒がせ申し上げ大変失礼いたしました。お詫びに一つ余興をご覧に入れましょう」

 チェフィーロは白い布に包まれた長物を手に取ると、たちまちその布をはいでロッドを衆目の中に晒けだす。そして、客がざわめくなかそれを片手でくるくると回し出した。すると、ロッドの先端部ーーちょうどペン先のように鋭く繊細な部分からキラキラ輝く淡い色の煙のようなものが生じる。

 チェフィーロは次にロッドで中空をなぞり、煙のようなそれで何かを描き出す。空中を舞うように現れたのは、色とりどりのお菓子の絵だった。

 マカロン、クッキー、アイスクリーム、コンフェッティ…………。本物さながらの絵が不思議なことに空間に漂っている。

 「こちらのロッドは高名な魔法具職人が作り出した至高の一品でございます。とくとごらんあれ」


 なんと素晴らしい。

 わぁ、すごくきれい。

 こんな芸当、魔法そのものではないか。

 それにとっても美味しそう。

 これが絵だと言うのか。


 チェフィーロは歓声と驚きに包まれた店内からこっそり外へ出た。そこで待っていたアッスワールが呆れたような目でこちらを見てくる。

 「お待たせしました」

 「別に、待ってないよ」

 どことなくすねたような声色だと、チェフィーロはクスクス笑う。

 「あなたにはまた素晴らしい絵をプレゼントいたしますから、どうぞ機嫌を直してくださいまし」

 「機嫌悪くなんかないし。ほら、行くよ。ギャラリーまでちょっと距離あるんだから、早くしないと」

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