第4話



 「なあ、聞いたか? ラスヴェート公子が心を病んだって話」

 「あぁ、騎士学校通ってた時からちょっとヤバかったらしいけど、退学してからもっとひどくなったらしいぞ?」

 「名家の坊っちゃん、初めての挫折ってか?」

 「はは、違いない。……そういえば、まったく違う話になるんだが、ずっと跡継ぎのなかったネーベル伯爵が跡継ぎを連れて久しぶりに皇家主催パーティーに参加したらしい。近々爵位を継承するそうだ」

 「俺もその話聞いたぞ?相当な変わり者らしいが、その……中性的で、な、艶かしい、らしいな」

 「そうらしい。あと目が合うと、老若男女問わず虜になるとか」

 「本当かよ、すごいやつだよな。たった一回パーティーに出てきただけなのに、翌日の新聞は一面その話題だったし、どこ出掛けて行ってもその話してるやつばっかりだ。ええっと……、名前、何て言ったかな」

 「……チェフィーロだよ。御用絵師やってるらしいぞ」

 「へぇ、とんだ道楽者なんだな」




 †


 「どいつもこいつも好き放題言いやがって」

 「はぁ……、なぜワールが怒るのです?」

 街角の新しくできた喫茶室で寛いでいる時、ふいに聞こえてきた誰かのやり取り。面白い話だなぁ、と聞いていたら、向かいに座っていたアッスワールがコーヒーカップを乱暴に置きながら呟いたのだ。

 「だってっ!あんなの、全部ただの噂じゃないか!」

 「そうですねぇ。仮に真実だとしたら、ワールがわちきの虜になっていないのはおかしいです。……ねぇ、ワール? あなたは一体いつになったらわちきのものになってくれるのですか?」

 腹いせにひと息に飲み干そうと思っていたコーヒーをたちまち吹き出すアッスワール。ほんの少し顔にかかった飛沫をチェフィーロは己の指で拭いとり舌でゆるりと舐めとった。その一挙一動が妙に艶っぽく、アッスワールは顔を赤らめる。

 「俺は悔しいんだよ、チェフィ。君がどれほど苦しんだかも知らないくせに……」

 彼の言葉にチェフィーロは穏やかに微笑む。柔らかく、艶かしく、何かを諦めたようか目で。

 アッスワールはこの目を見ているとたまらなくなる。今すぐ抱き寄せて彼にもう大丈夫だと伝えたい。そうする前に、アッスワールの口にチェフィーロの人差し指がそっとおかれた。

 「人々が噂話を好むことなんて、とうにわかりきっていたことでございましょ? それにーー」

 続いて親指をそえて彼の唇をつまみ、机の向こうから身を乗り出しながら、耳に吐息がかかるほど近くに顔を寄せて一言、

 「ワールがいれば、《私》はそれだけでいい」

 突然、慣れ親しんだあの口調に戻る。アッスワールが息をのむのがわかると、チェフィーロは身を引き、何事もなかったように椅子に腰かけティーカップを傾けた。

 「……っ! ズルいぞ、チェフィ」

 「おやおや、顔が赤くてらっしゃいますよ……。いかがされたのです?」

 彼は先ほどと異なる挑発的な笑みを浮かべながら、ガラスの器に盛られたコンフェッティを一粒つまみ上げた。それを柔らかそうな唇が咥え、小さな白い歯がゆっくりカリリッと立てられる。

 知っている、これは全て彼の演技だ。享楽に耽る狂人として世間に知られる《チェフィーロ・ネーベル伯爵令息》その人の……。

 「そうやって煽るのやめてってば」

 「どうです?虜になりましたか?」

 「誰が……っ!」

 「へぇ……。フフッ、それは残念です」

 


 あれが噂の……。

 なるほど、たしかに中性的で艶かしい。

 向かいの席の男は誰だ?平民のようだが。

 お手付きか?女でなく男相手とは、道楽が過ぎるな。


 二人の仲はそういう関係ではないのだが、幼い頃から共に過ごしてきたため距離感が一般的な感覚よりも近かったりする。貴族階級に根強く残る偏見と好奇の目、まるで恋人のようなやり取りをする二人にはそんな視線と忍び音が集中してしまう。

 「……やんややんやと………、ほんにわずらわしい連中ですねぇ」

 

 

 

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