第2話
大きく豪華な寝台についたシルクのカーテンが静かに閉められる。
「かわいそうに、インクを血と勘違いしたって?」
「そうさ、ペン先を手に突き立てようともしてた。アッスワールが必死に止めていなかったら、大好きな絵をも奪うところだった」
「痛ましくてもう見ていられません。やはり《あいつ》を滅するしか方法はないかと」
身の丈よりも長いローブで頭から足までおおった影たちが口々に言う。
「だってさ♪ねねっ、《君》は何がお望みかな?」
一番小柄な影が楽しそうに笑いながら振り返る。そこでは少年が椅子に身体を縛りつけられた状態で忌々しげに唇を噛んでいた。影の中で唯一隠されていないその顔は寝台で眠るこの身体の《主》と同じもの。
「《貴様ら》、この縄をとけ。さもないとただではおかんぞ」
「とくわけない。《君》は取り返しのつかないことをしたんだ。反省しろ」
寝台を守るように立つ影がぴしゃりと言い放つ。少年は一層凶悪な表情をこしらえ目をギラギラとさせながら影たちの方を見やった。
「俺はあいつの望みを叶えてやっただけのこと。《貴様ら》では到底満たせぬから俺が動いたのだ。知っているだろう?あいつが自分や世界を呪っていることを」
「だからといって、壊してもよいなんてことないでしょう。《貴方》の方こそ、この子をよくご覧になったらどうですか?《貴方》の行いでこの子がどれほど苦しんだか」
「ハッ!いいじゃないか。こいつが苦しんで眠りにつけば、この身体の主導権は《俺たち》が握れるんだぞ?」
「いい加減にしなさい!」
影のうちの一人がどこからか取り出したナイフを彼の足に突き立てる。すると、軽くうめいた少年の顔を今度は一番の小柄な影が正面から覗き込む。
「うーん。この子への影響を考えて、あえて《君》のこと放置してたんだけど、それもこれまでかなぁ」
「《貴様ら》ごときが、俺を滅するつもりか?」
いいのか?こいつの衝動を満たせるのは俺だけだぞ?《貴様ら》では手に余る感情、御せるのは俺だけだ。
部屋に哄笑が響き渡る。影たちがほんの少したじろぐ中、あの小柄な影だけはくすくす笑いだす。
「……あはぁ♪こわいこわい。でもね、君の言うことはちょっと違うよ?」
その気になれば《ボク》だって……ねぇ?
ローブから覗く口元が三日月形に歪んでいた。醸し出す雰囲気に影も少年もひどい寒気を覚えて、思わず身を引いてしまう。
「ねぇ皆?《こいつ》の言うことも最もだし、消すのはやめてボクに任せてくれない?ちゃあんと『躾』とくからさぁ……」
そんなの看過できるわけがない。影たちは思った。少年の存在を残せば、この身体の主はこれからもずっと抑えがたい衝動を抱えて生きていくことになる。あれほど苦しんでいるのだ。今は小柄な影の方が少年よりも優勢なため力を抑えることも可能だろうが、主のためを考えたら……。
サラッ。
「……うるさいです。静かにしてくれませんか」
カーテンの向こうから何かが身じろぎする音がし、ややあってから抑揚に欠けた聞こえる。
「ダメだよ、チェフィーロ。まだ寝ていないと」
「おやおや、ボクらの主のお目覚めだ。ねぇ?《こいつ》のことどうする?」
「どうぞお好きになさって結構です。私の身体も、《貴方たち》の思うままに使えばよろしい」
もう、疲れてしまいました。期待されるのも、期待を裏切るのも。
うなだれる主の影。カーテン越しに見えるそれは頼りないほど薄くて、ともすれば揺れるカーテンに紛れて消えてしまいそうだった。
影たちはその悲痛さに皆一様に口を閉ざす。今の主にどんな言葉を投げかけても無意味だということを彼らは十分わかっていたのだ。
「思うままに、ねぇ……」
口火を切った小柄な影が静かに目を細めた。
「はい、《貴方たち》は私の身体の主導権がほしいのでしょう?」
違う、とは言えない。理由はどうであれ、今の主の状況を変えたいと思うのが影たちだ。彼らはそのために生まれここに集ったのだから。
「君は優しすぎるよ。いっそ狂ってしまえば楽なのにね……」
小柄な影は誰にも聞こえないような小さな声でポツリと呟いた。
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