狂った絵描きの話

朱鳥 蒼樹

第1話

 あれは騎士学校を退学処分になって3日後のことだった。心が壊れ、生きる気力を失った私に、父はあるプレゼントをくれた。


 身の丈よりも長い1本の杖。

 私を砕き狂わせ享楽に導いたものである。

  


 さまざまな意匠を施した杖の軸には色とりどりのガラス玉が嵌め込まれており、先端は鋭利な槍のようにとがっていた。

 心臓がはね上がる。思わず私はその長杖を持った父の手を振り払っていた。

 「武器など……、もう、見たくもないと言ったでしょう」

 手袋に包まれた私の手。その下には洗っても洗ってもけして落ちることのない罪が隠れている。

 「どうして父様…っ! 御覧ください、私の手はこんなにも血にまみれているのです。私はもう見たくないのです」

 目を見開き、カチカチと歯を鳴らし、肩で大きく息をする。目からは涙が次々に流れ出て止まらず、口からは言葉にならない嗚咽がもれる。

 切り落としてしまいたい、他者の身を害し人生をねじ曲げた、こんな忌々しい己の両の手を。切って、刻んで、踏みにじって、骨を砕いたって……。

 「それだって足りないのに、父様はわかっておいでか!?」

 承知しております、ラスヴェートは代々皇帝に仕える騎士の家門であることぐらい。姉様が立派な憲兵となり、私だってそれに続きたかった。私だって父様のお役に立ちたかった。期待にそえず、役にも立たない家門の恥さらしなど、どうか殺してくださいませ!  

 「よく見ろ、どこにも武器はない。これは……っ」

 「嘘を、おっしゃいますな……っ!」

 耳が真っ赤になりそうなぐらい強く手を押し付けて、血が出るほどに唇を強く噛み締めて……。

 「出て行ってくださいませ、父様……。顔も、見たくありません」




 私はあの日、許されない罪を犯した。

 騎士学校で共に騎士になることを目指していた仲間を、私は演習中に瀕死に追い込んだ。原因は昂った自身の感情の暴走である。

 私の中には別の《私》が何人かいるのを私は知っていた。その中の一人がとんでもなく好戦的で、ひと度武器を持てば敵味方関係なく切り刻む暴虐の性質を持っていることも当然認識していた。

 幼い頃から私はそいつを抑え込むことに必死だった。《私》は私に町で見かける犬猫を無惨に切り刻みたくなる衝動と煩わしい人間の秩序自体をも破壊しようと持ちかけてくる。善なる存在を傷つけることを恐れた私は、裏社会を牛耳る暗殺ギルドに身を寄せて、悪とされる人間を自らのエゴで捻り潰した。

 私はそうして《私》を隠し続けてきたのだ。

 



 「ちょっとは落ち着いた?」

 「ええ、面倒かけました、ワール」

 錯乱する自分を押さえ込み、殴られても、引っかかれても、離さなかった。私のたった一人の友人ーーアッスワール。

 彼の頬を両手で包んで、親指で唇をなぞる。

 「ねぇ、痛かったでしょう。ごめんなさい」

 「大丈夫。君こそ、突然驚いたよね?」

 彼は私の手に頬擦りをしながら、私のそれよりも一回り大きな手を添えてくる。職人らしく無骨だが、温かく優しい手。

 「心にもないことを、言ってしまいました……」

 「ああ。どうりで閣下が沈んだお顔をなさってたわけだ」

 それしきで閣下が君を嫌うわけないでしょ?と彼は優しく言ってくれた。それでも私の気持ちは晴れない。

 思い通りにならないと私の心はひどく乱れて癇癪を起こす。それは退学の処分を下された日からひどくなっていた。今まではこのようなことなかったというのに、子供じみていて本当に情けない。

 「ねぇ、チェフィ? 絵を描いてくれよ」

 彼はそう言って私の額に軽い口づけを落とした。私はうつむいて赤くなった顔を隠す。

 「はぁ……。それはまたどうして?」

 「俺は君の絵が好きだから」

 ほんのり香るのは大好きなインクと紙のにおい。優しい彼の笑顔に後押しされ、私は恐る恐るペンに手を伸ばしペン先をインク瓶に沈めた。震えて言うことをきかない手、ひどく重たく感じてペンを持ち上げることさえも満足にできないように思われた。

 パタッ。

 気づけば、つけすぎたインクが紙に落ちていた。じわりじわりと紙面に広がっていく染みが、血だまりを想起させーー。

 その瞬間、私は叫んだ。

 「あああっ!!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 《私》が、私が切ったのだ。あの子の身体を、心を、未来を。ああ、ほら染みが人の顔してしゃべりだした。お前のせいだ、と。

 突然取り乱す私を彼は固く抱き締めてくれる。

 「ごめん……、性急すぎたね」

 ゆっくりでいいんだ。傷はすぐに治らないんだからさ。

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