レビューについて考えてみる

MURASAKI

オタクなので理屈をこねたいだけの話

 この話は自分の思いを少し整理しようというもので、本来は誰かに読んでもらう物ではないかもしれない。

 ただ、共感が得られるかもしれないので、公開だけはしようと思う。


 小説を知るには、タイトルが面白そうだとか、あらすじが面白そうだとかも含め、レビューがとても大事だと思っている。

 好みが合う知り合いが紹介しているものだから、きっと面白いだろうとか。こんなに絶賛されているなら読んでみようかな、という動機に繋がるのもレビューだ。


 小説だけではない。レビューの与える影響というのは、買い物をするときにも発揮されていると思う。

 例えば、口コミ。近所の佐藤さんが「最近できた少し遠いスーパー、行ってみたけど色んな食材があって凄かったのよ! 出来たばかりで人も凄かったけど、行く価値はあったわ」と井戸端会議で話していたとして、あなたは行ってみようと思うだろうか?

 私なら行ってみようとあまり思わない。わざわざ少し遠いスーパーに、何が凄いかよくわからないのに、開店直後で人が沢山いるであろう場所に、わざわざ足を向けようと思わない。行くなら時間を置いて、人が引いてから行く。

 そうして、結局は時間が経つにつれ何が凄かったのかを思い出せずに、おそらくたまたま立ち寄るという形で、佐藤さんの言う「凄い」なんて忘れて買い物を済ませてしまうだろう。

 例えば、佐藤さんが「最近できたスーパーはとても食材が新鮮で、野菜は瑞々しいし、魚なんて目がつやつやして濁っていないのよ! しかも開店セールですごくお得に買えたの。人が多いけど行く価値があるから、早く行ってみた方がいいわよ」と言っていたらどうだろうか。今しかないお得感と、新鮮な食材が手に入るなら見てみたいなと思わないだろうか?


 また、ネットレビューでも良く見かける「〇〇が良くなかった」「〇〇が良かった」と、自分にとって良い・悪い点だけを書いたレビュー。

 こんなレビューで何が分かるのだろう? 答えは、何も分からない。Aさんにとって良くなかったがBさんにとって良かったのだろうしか分からない。何なら製品の仕上がりにばらつきでもあるのかもな。くらいの感想が沸き上がるのみだ。

 製品レビューなんて、勿論自分に対してどうだったかも大事だが、他の人が読んでどう思うかということも考えて書くべきで、それができないならわざわざ書かなくて良くない?と思う。

 ☆だけ付ければいい、だってただの感想だから。

 レビューは、今から行動しようと思っている人にとってどれだけ良いか悪いかを知るツールという側面がある。

 せめて「〇〇の△△が□□に使おうと思ったが✕✕で良くなかった」のように、レビューを書いた人がどのような用途に使って、どのような状況で不具合があったのかを少し細かく書くことによって、より解像度の高いレビューとなる。読んだことによって、自分に合うか合わないかを端的に、様々な人のレビューから総合的に理解することができるのではないか。


 しかし、この大レビュー時代。細かなレビューという物は少なすぎる気がする。

 これは決して自分の作品についたものではなく、読んでいる作品についている物を見てそう思うというだけのことだ。


 カクヨムさんのサイトにおいて、特に顕著に感じるのが感想レビューだ。そう。レビューという名の感想を目にすることが多く「レビューじゃなくて感想欄に書いてほしい」と思ってしまうことがある。何ならタイトルだけのものもある。

 勿論、短編などでほぼネタバレにしかならないようなものなら、タイトルだけで人目を惹くという行動はありかもしれない。しかし、長編作品……しかもまだ連載している作品にタイトルだけ、もしくはタイトルに対して本文「おもしろい!」だけを見てしまうと、真顔になる。

 レビューが付いた作者としては何にせよ付いたことが嬉しいと思う。私自身もたった一言でもレビューが付けば嬉しくて舞い上がる。

 しかし、いざ自分が読者としてただ面白いと書かれているレビューを見ても「これから読んでみよう」という行動には繋がらない。すべては作品が自分に合うか合わないかだけで、この世に生み出されている作品はどんなものでもなのだから。


 オタクたるもの、推せる作品への愛は膨大であるだろうし、その愛が溢れた瞬間にレビューをしたくなるのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。

 好きな作品を誰かに知ってもらいたい。だからレビューを書く。

 面白い、だけど「面白いね」だけの作品だったら☆を入れてもレビューは書かない。感想は書くがレビューは書かない。その作品を誰かに知ってもらって、絶対読んでもらいたいという熱が身体の中から沸き上がりどうにもならなくなって書くものがレビューだと思うからだ。

 だからもし、誰かから「レビューを書いてよ」と依頼があったとして、その内容が自分に合わなければ「レビューは書けない」になる。私が書くすべてのレビューは、自身が書きたいから書いているものだ。


 勿論、人によって熱も違うし思いも違う。だから「面白かった」だけの感想レビューでもその人にとっては私と同様の熱があるのかもしれない。

 しかし、やはりひと言だけでは「それってあなたの感想ですよね」なのだ。


 感想欄がある以上、感想欄に更新するたび付けられる「面白かった」は作者に響くだろうが、ただ面白かったことだけを伝えるレビューは少し考えて欲しい。

 感想は作者に届けるもの、レビューは読者に届けるものだ。

 あなたがどうして面白いと思ったのか、その部分をきちんと書き出して欲しい。

 そして自分が推している作品をまだ読んだことのない誰かに、そっと背中を押すようなレビューを書いてほしいと思う。


 単なる「面白かった」を「主人公が破天荒で面白かった」にする。そこから「悲劇的な状況から自分で殻を破った主人公が周りを翻弄しながら破天荒に突き進む姿が面白い」と、少しずつでいいので人に紹介する【文章】に肉付けしていってほしいと願う。


 レビューというのは、本当に難しい。どれだけ愛情を込めても「上手く伝わらないかもしれない」「作者が不快に思うかも」などと気後れしてしまう性質があると思う。それらを考慮しての「面白かった」という一言かもしれない。

 だが、自分の推し作品を読んでもらうためにも、レビューを書くなら少しでも作品への愛を、どうしてこの物語が優れていると思ったかということを文章に込めて欲しい。


 あなたのレビューが、誰かの行動を促せるように。


※ ※ ※


 長々と書いたが、私が思うのはこういうことだ。


 せっかく自分が推し作品を広めたいと思っているのに、面白かったの一言で何が伝わるの? そんなの駄菓子を美味しいと思うのか高級ケーキを美味しいと思うのかすら分からない「美味しかった」と同じじゃないか。せめて何を食べておいしいと思ったかを書かなきゃ、ただの感想なの! それを聞いて誰が買ってみようと思うのさ、なんか誰かが吠えてるわ~、くらいにしか思わないでしょ。

 作品を褒めるというのは作者が恥ずかしくなるくらい壮大に褒めないと相手には伝わらないの、本気で伝えなよ! あなたが作品から感じ取った熱いソウルはそんなものなのか! 受け取った感情を赤裸々にさらけ出せよぉ!


 ちなみに、私は恥ずかしいのでレビューについてはあらすじをふまえつつ、論評調に書くようにしている。


 いや、冷静になって書かないと、変な暴走しちゃいそうで(笑)。

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