第4話 再び地上へ、動き出す謎

11時50分、ワンビル1階に戻るエスカレーター


「やっと戻ってきた……地下、怖すぎでしょ!」


沙羅はエスカレーターを上りながら息をついた。地下通路の暗さ、不気味な音、そして最後に現れた「E-732」という謎のコード――全てが彼女の頭の中で渦巻いている。


「でも、あれだけの仕掛けを見せつけられたら、ただの悪戯じゃないって分かるわよね。」


藤川が少し疲れた声で呟く。二人は地下での緊張から解放され、地上に戻った途端、少しだけ現実感を取り戻したようだった。


「それにしても、藤川さん。これ、本当に記事にできるんですかね?」


沙羅は不安そうに聞いた。さっきの出来事はあまりに奇妙で、誰かに話しても信じてもらえそうにない。


「記事にするのは後回しよ。今はまず、謎を解くことが先でしょ。」


藤川は鋭い目をして答える。その目つきは、記者というより探偵のようだ。


「そうですよね。でも、謎を解くって言っても……“E-732”って、一体何なんでしょう?」


「それが分かれば苦労しないのよ。だから、さっき言ったでしょ? 羽柴光成――あの人が鍵を握ってるって。」


「羽柴さん……」


沙羅はその名前を聞いて、心の中に小さな不安が広がるのを感じた。あの男には何か隠しているものがある。壇上で見せたあの冷たい笑みが頭から離れない。


「ねえ、沙羅ちゃん。」


「はい?」


「羽柴光成、さっきのセレモニーの後、どこに行ったか覚えてる?」


「えっと……多分、奥のVIPルームとかじゃないですか? ああいう人って、そういう場所にいそうですし……」


「いい線いってるかもね。でも、ただ尋ねても教えてくれないだろうし、ちょっと工夫が必要かも。」


「工夫、ですか?」


藤川は沙羅の肩を叩き、にやりと笑った。


「こういうとき、記者は“臨機応変”が大事なのよ。つまり、ちょっとぐらい強引に動くってこと。」


「ええっ、それってまずいんじゃ――」


「まずいかどうかは結果次第!」


そう言い放つと、藤川は歩き始めた。沙羅は慌てて後を追う。


12時05分、VIPフロア


二人はワンビルの上層階にあるVIPフロアへとやってきた。ここは一般の客が立ち入れない場所で、招待された人間だけが利用できる。藤川は足を止め、エレベーターホールを見渡す。


「さて、どうやって中に入るか……」


藤川は腕を組みながら考え込む。そこへ、スーツ姿のスタッフが通りかかる。


「すみません、VIPルームの場所を教えていただけますか?」


突然藤川が声をかけた。そのあまりに自然な態度に、沙羅は目を見開いた。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」


スタッフが少し怪訝そうに尋ねると、藤川はすかさずポケットから名刺を取り出した。


「福岡タイムズの藤川です。本日は取材のためにご招待いただいております。お手数ですが、羽柴光成様にご挨拶させていただけないでしょうか?」


沙羅は思わず息を飲んだ。藤川の表情や態度には一切の躊躇がない。その堂々とした態度にスタッフも少し困惑したようだった。


「少々お待ちください。」


スタッフは一礼し、その場を離れていく。その間、沙羅は藤川に小声で話しかけた。


「藤川さん、すごいですね……堂々としてて。」


「取材の現場じゃ、このくらい当たり前よ。記者は情報を引き出すのが仕事なんだから。」


「でも、招待なんてされてないですよね?」


「細かいことは気にしないの!」


藤川は肩をすくめて笑う。その余裕たっぷりの態度に、沙羅は少しだけ安心した。


12時15分、羽柴光成の部屋


しばらくして、スタッフが戻ってきた。


「お待たせしました。羽柴様がお時間を取ってくださるそうです。どうぞこちらへ。」


「ありがとうございます。」


藤川は軽く会釈をしてスタッフの後に続いた。沙羅も慌ててついていく。


案内された部屋は、シンプルながらも高級感のある応接室だった。天井のシャンデリアや、窓から見える天神の街並みがその特別感を強調している。


「どうぞ、おかけください。」


スタッフに促され、二人はソファに腰を下ろした。しばらくして、部屋の奥の扉が開き、羽柴光成が姿を現した。


「ああ、福岡タイムズの記者さんか。今日はどういったご用件で?」


羽柴は柔らかな笑みを浮かべながら、二人の前のソファに腰を下ろした。その表情はどこまでも穏やかで、あの壇上での冷たい雰囲気とは全く異なっていた。


藤川が口を開こうとしたその瞬間、沙羅は無意識に言葉を発していた。


「『クロノコード』について教えてください!」


藤川が驚いて沙羅を振り返った。だが、羽柴はその言葉に特に驚く様子も見せず、少しだけ首を傾げた。


「クロノコード……? 確かに、館内でそんな言葉がスクリーンに表示されていたようだね。君たちはあれに何か特別な意味があると?」


「はい! その言葉を地下で見つけたんです。そして――」


沙羅は言いかけて藤川に軽く肩を叩かれた。


「まあまあ、落ち着いて。沙羅ちゃん、焦らないの。」


「す、すみません。」


藤川が代わりに口を開いた。


「実は、我々もあの“クロノコード”が何を意味しているのか、少し気になっているんです。それで、何かお心当たりがないか伺えればと。」


羽柴は少しだけ考える素振りを見せた後、目を細めて微笑んだ。


「そうだね……何か知っていると言いたいところだが、私も詳しいことは知らないんだ。ただ、ワンビルのシステムを担当した者たちが何か特別なプログラムを仕込んでいたようだが……」


「特別なプログラム?」


藤川が食いつくと、羽柴は肩をすくめた。


「詳細は分からないよ。ただ、“天神の未来”を象徴する何かを隠したという噂を耳にしたことはある。」


「天神の未来……」


沙羅はその言葉を反芻する。だが、そのとき部屋のドアが乱暴に開かれた。


「おい、羽柴さん! こんなときにのんびり話してる場合じゃないですよ!」


乱入してきたのは羽柴の部下らしき男だった。その慌ただしい様子に、羽柴の笑顔が一瞬消えた。


「どうした?」


「例の“セキュリティ問題”が拡大しています。ビル全体が制御不能に陥る可能性が……」


羽柴は立ち上がり、沙羅と藤川を見下ろした。その目は、さっきまでの穏やかさを失い、冷たく鋭い光を宿していた。


「……君たちも気をつけたほうがいい。このビルは、普通のビルじゃない。」


そう言い残し、羽柴は部下と共に部屋を出て行った。残された沙羅と藤川は、しばらくその場に呆然と座り込んでいた。


「……普通のビルじゃない、ね。」


藤川が呟き、立ち上がる。


「沙羅ちゃん、次は私たちの番よ。このビルの秘密、暴いてやろうじゃない。」


「……はい!」


沙羅は力強く頷き、次の手掛かりを追う決意を新たにした。

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