第5話 ビルが語る秘密

12時30分、ワンビルのメインロビー


「本当に、“普通のビルじゃない”なんだろうな……」


沙羅は藤川とともにエスカレーターを降り、メインロビーへ戻ってきた。先ほど羽柴光成の部屋で聞いた言葉が、未だに頭を離れない。ロビーの混雑は少しずつ落ち着いていたが、それでも館内に漂う異様な空気は消えていなかった。


「羽柴さんの言い方、どう考えても何か知ってるわよね。」


藤川が腕を組みながら低く呟いた。


「でも、詳しいことは教えてくれなかった。明らかにあの部下の言葉を聞いて、隠したがっている何かがある。」


「……それに、あの“セキュリティ問題”ってなんなんでしょうね。」


沙羅がそう言うと、藤川は苦い顔をして頭を振った。


「分からない。ただ、一つ確かなのは、このビル全体が何か巨大な仕掛けに関わってるってこと。」


沙羅はエスカレーターの手すりを握りながら周囲を見回した。ロビーに設置されたモニターには相変わらず何も表示されていない。だが、先ほど見た「クロノコード」の言葉と「E-732」が、心の中でざわざわと鳴り続けている。


「藤川さん、どうします? これ以上、どうやって手掛かりを探せばいいんでしょう?」


沙羅の不安げな声に、藤川は少し考え込んだ後、ニヤリと笑った。


「何をするか? 簡単よ。次は“管理室”に行く。」


「管理室?」


「そう。このビルのシステムを制御している場所よ。そこに行けば、少なくとも“セキュリティ問題”の原因や、クロノコードについてのヒントが見つかるかもしれない。」


「でも、それって入れるんですか? 私たち記者ですよ、管理室なんて……」


沙羅の言葉に、藤川は肩をすくめた。


「入れるかどうかはやってみないと分からない。こういう時こそ、私たちの得意技を使うの。」


「得意技……?」


藤川は沙羅にウインクをして、不敵な笑みを浮かべた。


「“突撃取材”。つまり、なんとかなる精神よ!」


「そ、それってただの無茶じゃ……」


沙羅は少し青ざめたが、藤川の堂々とした態度に押され、結局従うしかなかった。


12時45分、管理室前


「さあ、ここが管理室よ。」


藤川が案内図を頼りにたどり着いた場所は、メインロビーから少し離れた奥まった廊下だった。鉄製の重厚なドアが目の前に立ちはだかっている。ドアの横には認証用のカードリーダーが取り付けられていた。


「……どうやって入るんですか?」


沙羅が尋ねると、藤川はドアを軽くノックし、目の前のインターホンのボタンを押した。


「はい、どなたでしょうか?」


中から応答があった。藤川はさっと名刺を取り出し、ドアの監視カメラに向けて掲げる。


「福岡タイムズの藤川です。この度のシステムトラブルについて取材したいのですが、少しお時間をいただけますか?」


「申し訳ありません、現在対応中ですので……」


「そうですか。ですが、読者の皆さんにワンビルの安全性をしっかり伝えることが我々の使命です。それに、状況を説明していただければ、こちらも不安を解消する記事を書けますので。」


藤川の堂々たる態度に、沙羅は感心するばかりだった。管理室の中で少しの沈黙が流れた後、再び声が返ってきた。


「分かりました。お一人だけ、どうぞ。」


「ありがとうございます。では、私が――」


「私も行きます!」


沙羅が思わず叫ぶように言った。その勢いに藤川も驚き、管理室の中の人も一瞬戸惑ったようだったが、結局「二人でどうぞ」という返事が返ってきた。


12時50分、管理室


管理室の中はまるで近未来の映画のセットのようだった。壁一面に設置されたモニターには、ビル全体の監視カメラ映像やシステム情報が映し出されている。室内には数名のスタッフが慌ただしくキーボードを叩いている。その様子に、沙羅は思わず息を飲んだ。


「……すごいですね。」


「ここが、このビルの心臓部よ。」


藤川が小声で呟く。二人の前に現れたのは、50代くらいの管理室責任者らしき男性だった。白髪混じりの短髪と、目元に刻まれた皺がその経験の豊富さを物語っている。


「お待たせしました。で、取材の内容とは?」


男性はややいら立った様子で尋ねた。藤川はすぐに切り出す。


「単刀直入に聞きます。この“セキュリティ問題”とは何でしょう?」


男性の眉がピクリと動く。その反応を見逃さず、藤川はさらに畳み掛けた。


「そして、“クロノコード”という言葉。これが何を意味しているのか、知っていることがあれば教えていただきたいんです。」


管理室内の空気が一気に張り詰めた。スタッフたちもキーボードを叩く手を止め、二人の方向に視線を向けた。


「……“クロノコード”については何もお答えできません。」


男性は低い声でそう言い切った。その言葉には、話を終わらせようという圧力が込められている。だが、藤川は怯む様子もなく言葉を続けた。


「答えられないということは、何か知っているということですね?」


「……勘の鋭い記者さんだ。」


男性は苦笑を浮かべたが、その目は全く笑っていない。そして、一歩前に進み、藤川と沙羅の目をじっと見据えた。


「ですが、これ以上の情報をあなたたちに明かすことはできません。それがこのビルの“ルール”です。」


「ルール?」


沙羅が思わず問い返すと、男性は口を閉ざしたまま答えようとしなかった。その沈黙が、却って不気味に感じられる。


13時10分、管理室を後にして


「……結局、何も教えてもらえなかったですね。」


沙羅はため息をつきながら管理室を後にした。藤川も少しばかり悔しそうな顔をしている。


「まあ、こういうこともあるわ。でも、分かったこともある。」


「分かったこと?」


「“クロノコード”は確実にこのビルに深く関係している。そして、それを隠そうとしている人間がいるってこと。」


藤川の言葉に、沙羅は小さく頷いた。その通りだ。このビルには、まだ知らない秘密が隠されている。


「それじゃ、次はどうするんですか?」


沙羅が尋ねると、藤川は少しだけ笑って言った。


「次は、“このルール”ってやつを破る方法を考えるわよ。」


その言葉に、沙羅は思わず息を呑んだ。そして、自分がどれだけ大きな謎に足を踏み入れてしまったのか、改めて実感したのだった。

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