第9話 迷案

「インスタント・コーヒーだが」

「あざます!」


 礼を言って、紙コップを受け取った。


 この世界、電気がなくなり工場も手作業が中心。だからネスカフェも高い。ひと瓶が千円だ。


「食堂なんてのも、あるんですね」


 おれは周囲を見まわした。自衛官たちが食べる食堂だ。


 ならぶ四人がけテーブルは銀色のアルミ製、イスは白いプラスチックという色気のない食堂だ。


 フルヤさんが「だれも入るな」と通達しているのか、席は何十席もあるのに、おれとフルヤさんのふたりだけ。


「それで、なにがあった?」


 フルヤさんが、おれのむかいに座った。


 問いに答えるまえに、おれからも聞きたいことがあった。


「あのフルヤさん」

「なんだ?」

「竜の目について、どんな資料があります?」

「目か。なにもないが」


 そうか。世界で竜と会話した例が少ないんだ。きっと賢い犬とたわむれるみたいな感じなのかな。言うことは聞く、命令もだせる。でも会話まではしない。


 それは竜に会話能力がないのか。そのなかで、あの竜だけ会話できる能力があるのか。


 または。もうひとつの可能性を考えたけど、この考えはちょっと怖い。


 竜たちは自分たちの秘密を教えたくないのか。


「目について、なにか気づいたことでもあるのか」


 フルヤさんが興味深そうに聞いてきた。


 言っていいことなのかどうか。


「いえ、特になにも。今日は竜に見つめられてばっかりでしたから」


 ごまかした。竜の目は魔力しか見えない。だから人間の目が必要となる。この事実は言っていいことなのかどうか判断できない。判断できないなら、いまは言わないほうがいい。


 おれが竜の秘密を言うことで、のちのち人に悪影響がでてもこまる。


 しかもある意味、竜は目が悪いとしよう。しかしそれが弱点ともかぎらない。まだ鼻と耳があるからだ。


 考えてみれば、動物だって感じている世界はそれぞれちがう。犬は色彩能力がないので、見ている世界は白黒の世界だと聞いたことがある。でも犬は鼻がいい。人の一万倍だっけか。


 コウモリになると、もはや目が見えないんだっけか。かわりに超音波をつかって飛ぶとか図鑑で見た気がする。


「それで、ヤマトくん。じらさないで教えてほしい。あの竜と心をかよわすことはできたのか」


 考えに沈んでいたら、ふいに聞かれた。


 ここで「できなかった」と言えば、それはそれで通るだろう。あの竜と話せるのはおれだけだ。


 なにもなかったことにする。もうこの件にはかかわらない。それも手だ。なんせあの竜は危険すぎる。


「ヤマトくん」

「そうですね」


 答えにこまった。


 危険すぎる竜ということは、放置しておくのも危険すぎるのではないか。もし今後、あの竜と適合する者があらわれたらどうする。


「つくづく、おれって……」


 運がない。思わずその言葉が口からでそうになり止めた。


 第一関門は「大型特殊竜」という適正。さらに第二関門は、竜そのものとの適合。


 せまき門をくぐりぬけたのに、その竜が使いものにならない。いや正確には力がありすぎてだれも使えやしない。


「ヤマトくん、ぜひ陸上自衛隊へ」


 フルヤさんがおれの目を見て言った。


 それも無理だ。あんなもの自衛隊にわたしたら最後だ。かといって企業にわたすこともできない。


 フルヤさんへどう答えたらいいのか。


 ひとます紙コップを手に取り、熱いコーヒーを口に入れた。にがい。コーヒーには砂糖もミルクも入ってなかった。それも当たりまえか。こんな人里ひとざとはなれた場所で、しかも地下施設。ぜいたくは言えないか。


「ぜいたく。そうか、ぜいたくか」

「なんのことだ、ヤマトくん」

「あっ、いえ」


 おれが悩んでいるのは、ひょっとして「ぜいたくな悩み」なんだろうか。


 竜が手に入る。それなのに悩んでいる。


 でも正直、あの竜は欲しくない。怖いし、危険だし、引き取ったが最後、災難がふりかかってきそうである。


 かといって。かといってだ。じゃあ「あの竜は危険だから殺せ」と言えるか。答えは、盛大にノーだ。


 もうまず、攻撃するのがあぶない。


 こういうのは「さわらぬ神にたたりなし」ってやつなんだろうけど、捕獲ほかくしちゃってんだよな。


 あっ、そうか。しかもだ。あの竜は「自分の声を聞けるやつ見つけた」という状況だ。おれがこのまま帰ったら、あばれだすとか、そういうパターンはないだろうか。


 くそっ。おれは強烈な「ハズレ券」を引いたぞ。どうすればいいんだ!


「どうした、ヤマトくん」

「いえ、その、フルヤさん」

「なんだ。どんな条件でも言ってみてくれ」


 いろいろ考えてみたが、もうだめだ。おれが思いつく案はひとつしかない。「名案」というより「迷案」だ。迷いながらの案。


「その、陸上自衛隊は無理だと思います」

「なぜだ!」


 思わず、といった感じでフルヤさんが立ちあがった。そりゃそうだよな。


 このフルヤさんって人、とってもいい人だと思う。それでもおれは、これからウソをつかないといけない。


「まあまあフルヤさん、落ちついてコーヒーでも」

「こんなまずいコーヒーより、竜のほうが大事だ!」


 たしかに。いや、ネスカフェはおいしいですが。


「ええと、ひどく臆病おくびょうな性格のようです」

「臆病?」

「はい」

「そんな風には見えないがな」


 考えこむ表情でフルヤさんが座った。正解ですフルヤさん。見た目どおりです。でもそう確信できるのは、じっさいに話したおれだけが言えること。


 もうどうなるかわからないけど、この状況、自分の考えでやってみるしかない。


「ほら、あれです。ネコとかでいるじゃないですか」

「ネコ?」

「はい。臆病なネコで、手を近づけたら引っかいてくるやつとか」


 フルヤさんも思いあたることがあるのか「ああ」と言いながら腕をくんだ。


「まえの適合者、つまりパートナーが自殺したそうですよね。そのトラウマじゃないでしょうか。ひどく竜はおびえていました」

「いや、おびえていたのは、ほかの竜たちだろう」


 おっと、そんな話がでるか。フルヤさんよく見てる。


「あれですけど、聞いた話、ほかの竜たちが、いじめてくるそうです」

「いじめ?」

「はい。動物にもよくあるやつです」


 めっちゃウソ。でもこれも、竜と話せる人がいないのだから、だれも真実なんてわからない。


「では、石竜や針竜がさわいでいたのは、おびえではなく、興奮?」

「そうみたいです。いやぁ、聞いてみないとわかんないもんっすね、竜って」


 フルヤさんはひたいに手をあて、苦悶くもんの表情だ。なんだか今日だけでけた気がする。それもそのはずで、陸上自衛隊に初めて竜が加入するかもという悲願が、達成しかかったり、そこから絶望だったりと感情のジェットコースターだ。


「すいません。なんにもできない竜で。まあ、おれとおなじですね」

「きみとおなじとは?」

「はい。高三で退学になるようなおれですから。おにあいですよね」


 フルヤさんは天井を見あげ、ため息をついた。


「みずから、おにあいと言うからには、あの竜を引き取ると?」

「はい、一応、適合者ですし?」


 天井を見あげていたフルヤさんは、あきらめがついたのか、視線をもどしおれを見つめた。


「もういちど聞く。あの竜は戦えないんだな」


 聞かれて、おれは大きくうなずいた。ウソをごまかすために大げさな動作で。


「無理ですね。人まえにでることだって、怖がっておびえてますから」


 おれの言葉を聞いたフルヤさんも大きくうなずいた。こちらは自分を納得させるためだろう。


「わかった。きみが引き取る手配をしよう」

「ういっす。お手数かけます」


 あっ、でも!


「おれんち、金ないです。あれ、いくらなんです?」

「竜は適合者にわたす。そういう決まりだ」

「そ、そんなんでいいんすか?」

「竜だ。あの巨体だ。あやつれるのは竜との適合者だけ。これは全世界で共通の認識だ」


 そうか、野ばなしにしておくのも危険なのか。まあたしかに野良犬ならいいけど、野良竜って怖いな。


 ではこれでおれも、あの竜との暮らしが始まるのか。


 まあ、高校も退学になったし、裁判もあるし、これ以上悪くもならないだろう。このときはそう思った。だがおれの甘い予想は、三日後にはやぶられることになった。

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