出題編

 電球が明滅する。バードの顔が見え隠れする。手汗がにじみ出る。握った拳の中から、今、ひたりと、汗が滴り落ちる。

 自己暗示の独り言さえも、現実の前には救いにならない。

 一度、大きく息を吐く。

 机の上には三つの錠剤。鈴子から見て、左からA、B、Cと書かれている。机の右隅にはグラスが置いてあり、得体の知れない液体が入っている。

 錠剤と液体の化学反応で、毒が生まれるのだろう。そう考える。

「バード、質問があるのだけれど」

「承諾しよう、マイ偶像」

 くすりと笑いながら、鈴子が続ける。「錠剤には、毒がありまして?」

 数秒間経ってから、バードは頷いた。

「では……」

 鈴子が、そっと目を閉じる。

「その毒は、致死量の何倍含まれていますの?」

 バードは少しばかりのけぞった。意外だったのだ。まさか毒の含有量を訊かれるとは思わなかった。

 指を折って数えながら、バードは答える。こちらも冷静になろうと必死だったのだ。

「二五〇、いや、二六〇倍……か。かなり濃縮したらしい。中身を触るだけでも激痛が走るぜ」

「それなら、粉々にして摂取しても、死んでしまうってことですわね」

 言い終えてから、ふいと、鈴子は動きを止めた。それから顎に手を当てて、「ふんふん」と考えるような仕草をする。

 やがて彼女が口を開いたとき、一分が経過していた。

「錠剤を粉々にしてもよろしくて?」

 どういう意図なのか、バードにはさっぱりだった。

「粉々にしても、全部飲んでもらうよ」

「構いませんわ」

 まさか、錠剤の中に細工が仕組まれているとでも主張する気だろうか。バードだけが分かる電波が飛んでいるとでも考えているのだろうか。

 ともかく、自分に利があるとは思ってほしくない。粉々にしたいなら、どうぞ粉々にしてくれ、だ。バードは部屋を出て、かなづちを取って戻ってきた。

「気が済むまで粉々にするといい」

 かなづちを受け取った鈴子は、大きく振りかぶって、錠剤を叩いた。一粒が割れて三粒に、更に割れて六粒に。何度も何度も、錠剤が粉薬と見分けがつかなくなるまで、かなづちを振り上げる手を止めなかった。

 机の上には、かつて錠剤だった粉が、三つの山となって積み上がっている。

「疲れましたわ、箸より重いものを持つのは。さて、どうしましょう……」

 鈴子が、机にかなづちを置こうとした。だがすぐに「あっ」と声を上げる。

「私のグラスは、どこに行きましたの?」

 鈴子が周りを見渡す。彼女のグラスは足元にあった。机の隅に置いていたから、かなづちを打ちつけた衝撃で落ちてしまっていたのだ。グラスはガラス製で、しっかりと割れている。もちろん、中の液体もこぼれてしまっている。

「ああ、ああ、やってしまいましたわ」

 鈴子が床に手を伸ばした。右手の手のひらが、ぴちゃりと濡れた。

「いけませんわ」鈴子が、右手を引っ込める。「カメラがありますもの。アイドルたるもの、血を流す瞬間を放送するわけにはいけません」

「僕に掃除しろってか」

 バードが席を立ち、鈴子の足元で屈む。割れたガラスを一枚一枚集める作業は、思ったよりも時間のかかるものだった。視界に入る鈴子の足が、急かすようにバタバタと動いていて、目障りだ。聞こえないように舌打ちをする。

 時間にして一分後。掃除が終わったときに、鈴子が「痛っ」と声を上げた。そして右手を押さえる。

「さっき手を伸ばしたとき、ガラスも拾ってしまったようですの。血が流れてるかもしれないから、タオルのようなものが欲しいですわ」

「ああ、もう、面倒臭いなあ。君じゃなかったらぶん殴ってるぞ」

 ポケットからハンカチを取り出したバード。鈴子にそれを渡しながら、不満げに愚痴をこぼす。

「いいかい。君がこぼした液体は、錠剤と一緒に飲むことで毒になるんだ。ゲームを破綻させないでくれないか」

「まあ。どの口が!」

 念入りに右手を拭きながら、鈴子は目を見開いた。

「私が思うに、あなたはどれが毒薬か知ってますの」

「そうだとしても、何の問題が?」

「仮に毒薬をA、それ以外の錠剤をB、Cとしますわ。最初に私がAを選んだら、もちろんゲームは終了。しかしBを選んだら、あなたは必ずCを選びますわ。そうなれば、私がAを飲むのは避けられませんの」

「そこまで分かってて、なぜゲームを引き受けた?」

「あら、やはり毒薬がどれか知ってたのですね」

 このままでは鈴子のペースだ。バードは一度、深呼吸をする。机の上には、かつて錠剤だった粉が、三つの山となって積み上がっている。鈴子から見て、左からA、B、C。

「さて、ゲームを始めましょう」

 まず、鈴子はCの粉を指さした。

「あなたはご存知でしょうけど、私は魔法少女で左を担当しておりますの」

「左?」バードが低い声を出す。「左なら、Aじゃないのか?」

「いいえ。Cが左ですわ」

 そう言い切ってから、鈴子は左手でCを引き寄せた。右手は負傷しているため、ハンカチを当てている。

「粉々ですわ。犬食いでもよろしくて?」

「どうでもいい。早くしてくれたまえ」

 鈴子は口をタコのようにした。机に顎を当てて、粉をすうっと吸い取った。同じことを自分もするかもしれないと思うと、バードはこそばゆくなった。

「次はあなたの番ですわ」

 すっかり主導権を握られて、バードは苛立ちを隠せない。貧乏ゆすりをするからか、机がわずかに揺れている。

「ところで、私のポジションが左なのはなぜか。ご存知?」

「知らないよ」ぶっきらぼうに返す。

「これは、左脳と右脳に関係しておりますの。私は左脳、ゆえに落ち着いたイメージがあると言われておりまして。ああ、これはプロデューサーの言葉でございますが」

「ああ、そう」バードは集中できない。

「右脳は情報を整理するアウトプットタイプ。レッスンの成果を発揮する加奈子にピッタリですわ。ではセンターはなぜセンターかといわれますと――」

「もういいよ!」

 そう一喝してから、バードはマスクを少しずらした。ぷるんとした口元が露わになる。

 それから、彼はAの粉を両手ですくった。舌を使って口に含む。粉だからか、激しく咳き込んでしまっていた。

「最後に残ったのは、Bですわね」

 また下品な方法で粉を吸い取る鈴子を見ながら、バードは深くため息をついた。そして、自分の手元にあるグラスに手を伸ばす。中には、一人分の液体――毒薬が含まれている。

「あらあら」鈴子が口に手を当てる。「私のドリンクは、こぼれてしまいましたわ。これでは飲めませんの」

 白々しい演技だ。バードが鼻で笑う。

「残念だが、君が飲む必要なんかない。背理法だよ。僕が飲んで何もなければ、君が毒薬を口にしたことになるのだから」

 それに、と彼が言葉を続ける。

「この液体は、別室に行けば、まだ大量にある。お望みならば注いでこようか。いや手遅れだろうさ。死とは運命であり、絶対なのだから」

 勝利を確信したように、バードは天井を見て、大きく高笑いをした。監視カメラが赤く明滅する。拍手のようでもあった。

「さあ、どちらが毒をあおったか。今、確かめようではないか」

 バードが、またマスクをずらす。にやけた口元。グラスが、彼の唇と触れ合う。

 そのとき、鈴子がグラスを押した。液体が勢いよく溢れ出て、バードの口の周りを大きく濡らしてしまった。服までびしょびしょだ。

「この野郎!」

 バードが机を蹴り飛ばした。鈴子は体を左にひねり、間一髪で避ける。

「邪魔ばかりしやがって……。これがエンタメだとでも思ってんのか、馬鹿!」

 鈴子が申し訳なさそうに下を向く。更に苛立ったバードは、彼女の右手に巻かれたハンカチを、強引に奪い取った。そして自分の口元を拭く。

「大体な、なんで僕がお前のファンにならなきゃいけないんだよ。嘘に決まってんだろ。あまり調子に乗るなよ。あいつが変なゲームを提案しなければ、ケツに鉛玉を一撃ぶち込めば――」

 バードは、突如、首を押さえ始めた。声にならない声を上げて、足を痙攣させた。体が前方に倒れる。膝、肘、そして全身。床に強く体をぶつけながら、手足のない芋虫の如く、辺りを這いずり回る。足を床にぶつける。ゴンゴン。ノックは返ってこない。

「ア」

 体を回転させて、元に戻り、足をばたつかせたら、額をガンガンと床に打ちつけた。マスクはくたくたになり、バードが二度と動かなくなる頃には、顔から外れてしまっていた。

 部屋に残されたのは、不敵に笑う鈴子だけだった。

「エンタメとは、どんでん返しのことですわ」

 鈴子が立ち上がり、監視カメラに向かって歩み寄る。

「観客の皆さん、ごきげんよう。伊勢原鈴子です。皆さんには、一体何が起こったのか、何が事のあらましなのか、お分かりで? 脳みそを洗濯機にぶち込んで考えてくださいまし。ヒントは――」

 中指が、天井を指す。

「――この、右手でしてよ」

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