EP6:しゃべらない夜も、たまには
休日、土曜の夜。
七夕の日を境に、週末になると少しばかり騒がしくなる──わが家のテラス。
ちりん、と風鈴が鳴る。
夏の入口らしい涼やかな風が、頬をかすめて通り過ぎた。
今日も今日とて、
夜空を見上げるその横顔は、やけに絵になっていて。
俺はその隣で突っ立ったまま、アルミ缶にちびっと口をつける。
今後、夏の風物詩にすらなりそうな佇まいだな──なんてぼんやり眺めていると、ふいに久遠がこちらを振り返った。
「どうしたんですか、ぼーっとして」
「いや、なんも」
「そうですか……」
視線を空に戻した久遠が、手にしていた缶を口に運ぶ。
喉が小さく鳴って、また夜に静寂が戻った。
「……なんだか。静かでいいですね」
「そうだな……」
いつもは、くだらない掛け合いに興じてばかりの俺たちだけど。
たまには、こういうのも悪くない。
そう思っていた矢先──
久遠がふいに「ぷっ」と吹き出した。
「なんだよ、急に笑って」
「すみません。始めは静かでいいなぁと思ってたんですけど、しゃべっちゃいけないかなって思ったら、なんだか無性にしゃべりたくなっちゃって」
「なんだそれ」
「先輩も、そんなとこに突っ立っててもつまらないでしょう? 一緒に座りましょうよ」
「別に俺は……」
──絵になるお前を肴に飲んでたんだよ。
なんて言えるはずもなく。
「早く早く」
「わーったよ。急かすなって」
促されて腰を下ろす。
狭いシートにふたり並べば、当然、肩も肘もぶつかるわけで。
「先輩、せまいですってば」
「仕方ないだろ。つーか、お前が座れって言ったんじゃないかよ」
「それはそうですけど。狭いものは狭いんですぅ」
互いに肘をつつき合いながら、いつものくだらないやりとりを交わす。
そしてまた──
「あ、そうだ」
「忙しいやつだな。今度はなんだよ?」
見上げてくる久遠に、あきれたように視線を落とす。
また何か、くだらないことを思いついたって顔だ。
無茶振りは勘弁してくれよ……そう身構えた俺だったが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「ねえ先輩。少しの間、なにも喋らないでいませんか?」
「黙るってことか?」
問い返すと、久遠はこくりと頷いた。
「別にそんなの、さっきからもやってたろ」
「それはそうなんですけど。まあ、いいから一度やってみましょうよ?」
そう言って、彼女がアルミ缶をひとつ手渡してくる。
俺はそれを受け取り、手元の空き缶をテーブルに置いた。
プルタブを引き、彼女の缶とカツンと合わせる。
そして、沈黙。
言われたとおり口をつぐむと、久遠もまた何も言わず、夜の空気がふたりのあいだに降りてくる。
──喋らなきゃ、どうだっていうんだ。
そう思ってたのも束の間、その狙いが、じわじわと見えてくる。
というのも、このベンチシートは、肘が触れ合うほどの距離。
ふだんなら気にならないはずの間合いが、沈黙の中ではやけに近く感じるのだ。
風鈴の音と、遠くのサイレン以外は、何も聞こえない。
そんな静けさの中で──
どくどくと鳴る、自分の心音だけがやけにうるさく響いていた。
いや、響いてるのは俺の内側だけじゃない。
隣の久遠に、聞かれてやしないかと妙に意識してしまう。
そのとき、久遠がそっと腰をずらし、やや身を寄せてきた。
衣越しに伝わる柔らかな感触。
「こういうのも、たまにはよくないですか?」
ちろっと、久遠が見上げてくる。
そしてそのまま、そっと俺の肩に身体を預けてきた。
仄かだった甘い香りが、さらに濃度を増す。
すると今度は、缶を口に運ぶ音さえも気になってきて──
俺は何も言わず、街灯の薄明かりを間接照明にして、夜空を見上げた。
都会の空なんて、星なんか見えやしないと思ってた。
でも、意外とまばらに瞬いてるもんなんだな──なんて、らしくもないことを考えたりして。
トクトクと心地のよい心音を感じながら。
久遠の言う通り、たまにはこんなのもいいかも知れない。
でも、逆に──こんなのは、たまにでいい。
視線を合わせることなく、黙って缶を口に運ぶ隣の後輩を横目に。
ふと、そんなことを思いながら、俺たちは夏の入口を静かに迎えていた。
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お休みの方もそうでない方も、良いGWを。
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