第2話 通勤、会社にて

 かやうなる論考に妄執する事、さぞかし世の人、愚痴とぞ思ふべかんめり。韋眞子も知る、愚昧なりとぞ。されど思ひを廻らせ、思惟の高みへ昇るかの心地せし事、思惟の至高へと翔るかの幸福なる感覺は他に類なし。得難し。人が如何に言ふとも、心に懸けるものかは。かくも天昇せし心地に酔ひしとき、蒼穹限りなく碧く映えて美し。天翔せる思惟、その清(すが)しき快を、世人知らずして我を愚弄すなりとぞ、彼女あさみて笑ふなりける。敢へて驕り高ぶる女神のごとく咢(あぎと)を挙ぐるなり。


 人、欲し求む想ひ満たさゆるとき、又満たさゆると知りしとき、快き感覺を与うる神経系を報酬系といふなり。欲求といふは、食欲や体温調整欲求のやう生物學的・刹那的低次のものから、誉めらゆる、もしくは愛さゆるにより満たさゆる、高次にて長期的なるものまで含有すなり。これぞ人の造りの畢竟なる。

 さう想へば、人の称讃、又非難など何かは。所詮人はさやうなる生存の原理に基づき欲し、行動せむとぞ知りせば。世の眞理は脳内神経伝達物質のもたらす効果にしかあらず。嘲罵愚弄など、いかでか心に病むものかは。



 バス来たる。

 エアブレーキ音、阿弗利加の象の鼻の息のごとし。乗りてはまたもや空想に耽る。これが韋眞子の常なり。ゆくりは車輪を転ず。動く風景。街なり。狭く雑然たるも人の生くる痕跡眺む面白きかな、そぞろ窓の外見てさまざま空想すなり。古き小さき昭和の風情ありし街にしあれば、箱庭にも似たる、いとをかし。剥がれかけたる古き電柱の貼紙なども眺めつ。郵便ポストや庭木、石垣、魚屋が店先に冷凍庫附き軽自動車を道端に停めむ。盆栽としぼんだ赤提灯、理髪屋の主人は暗い店内にて剃刀を馬革用ひて研ぐ、植木鉢がならぶ、寂びれた電機店、アパートのガスメーター、古い雑居ビルの錆びた非常階段、写眞店、人の住まぬらしきトタン屋根の家、風呂の煙突、狭き畑、家屋を潰した跡地に作る駐車場、コンビニエンスストア、八百屋はや店を開けをり、眺むるにさまざま空想泛ぶ、想念は筋斗雲がごとくに時空自在に駈け廻るなり。


 着きたる駅舎も古し。セピア色の古写眞のやう。改札にてスイカ使ふが未だ不思議に想へるなりけり。


 改札過ぐれば階段昇りてホームに立つ。色褪せし列車来る。常より空きたる車輛。坐し、スマートフォン取り出だし、ニュース閲覧す。


 エスカレーター左に立ちて降り、地下鉄へ乗り換へ、往き、着く。降車し、エスカレーター左に立ち地上へ上ぐるなり。改札抜け、歩く。高層の谷間に低き雑居ビルなる細き路、小神社もあり、古き繁華街など過ぎ、ブティックなるもある路を往き、大いなるウィンドウならぶビル街つれづれ眺むるうち着く。総じて五分ほどなりき。


 自社ビル、エントランスはひろく、天井高し。エレベーターに乗りて勤むべきオフィス着く。挨拶いくつか。

 ロッカー室に荷を置きて席に坐すや否や、電話鳴りけり。


「ああ、もしもし、おまえンとこの取り扱ってる製品だけどなぁ」

「その件につきましては担当者が居りますので、少々お待ちください」

「何じゃと、たらい回しにする気か。おまえも社員だろ、会社の物が説明できんのか、おまえんとこは、そーゆーいー加減な会社かい」


 いとわりなし。つらつら考(かむが)ふる。

 かういふ輩ら、性質(たち)悪しき者なり。畢竟此ち方が何を言ひなむとても情を納むる處をつくらず、さらば納むるを得やうなどあらうはずもなく、それゆゑ未来永劫納得せざる者らなり。


 すなはち人の屑とは言はずや。いやさ、人の屑なり。躊躇なくさう想ふ。これなる手合ひ、此ち方が反撃せざることを知りて喚く卑怯者、下郎、下劣、下賤、反撃されざるを知りて叩く悪意者、臆病者なり。

 すなはち欲求不満を晴らさむとす輩なりけり。韋眞子、かく断じて已まず。

 暫時仕事を忘れ、妄念憤怒のさなかへ堕ち、脳内において自らへ向かひ、炎々と大敷衍す。


 かやうなる輩は日本の恥なり。かようなる奴ばらをれば、東日本大震災の後の混乱不安のさなか文句も言はず、列を乱さず配給品の配布所にならぶ秩序正しき素朴なる人々が世界数多の人民より称讃せらゆるも虚し。狂ほしき口角泡なる奴ら権利意識のみたる地縛霊にて、清明なるとは眞逆の悪賊なり。もし仮に貴奴らへ、かく申し述べやうならば、必ずや奴輩ども反駁し、「言わなきゃよくならんだろうが!」とかや言ふべかんめり。下衆の言葉ぞ。


 言へばよくなるものかは。実績ありきや。データぞありたるやと。これ、あやつらの頻りに使ふ言ひ回しなり。

 もし同じやうに、あやつら風に、かく言ひ返へすとせば、あやつらどもいかに応へむや。あたかも、やがて「稼働率は?」とぞ頻りに問へる、笑止千万なる民主党のしらうと事業仕分けがごときものなり。またこれに頻りに感心すなるといふ民草の無智蒙昧なり。


 クレイマーども、会社にデータ在らずとぞ言へば、コピーのごとく必ずやかく言はざるや、「ほぉ、おまえンとこはそーゆーいー加減な会社かい」とぞ。

 その証拠データ在るかやと逆に問ひ返すならば、かやつら定めし逆上し、論をすり替へ、違ふ話へと変へ、無我夢中に言の葉を繋ぐに相違なし。ありあり眼のまへに浮かぶ姿哉。その行為あからさまなり。自己肯定に必死の亡者、虚し。おのれの愚かさに気付かぬ愚昧さ極みなし。


 クレームやらする輩、心充たされぬ永劫飢餓に歪む、すなはち他者を蔑みおのれの優位を渇き望むが目的ゆゑ、収まるよしなく、平収束も明解決もなし。すなはちクレイマーのごとき矯激なる驕慢者、常軌を逸せし激しき妄執に駈らゆれ走らさゆる情、憎、しつこさ、こまかき理窟、それら諸々の偏向は清く善く潔き衆には関はりなきもの。畢竟、一切の極端は悪の一切なり。


 こなる者どもの悪辣なるは睿らかなり。奴輩どもは増上慢にて、いびつなる自己肯定欲の魑魅魍魎なり。醜く小さき心持て、底なくて満ちえぬ暗鬱憤懣の飢餓を満たさむとする餓鬼亡者なり。畜生修羅道に堕つ身なり。

 畢竟一切執著はかくなるものに非ざるや。ゆゑに執著は悪し。


「気にしないことだわ」


 かく独りごつ。

 あゝ、人は皆おのが勝手都合に随ひてもの申す者どもなり。ただ自己を叙する徒なり。心に懸けるにあたはず。儚きものぞ。虚し。沙漠がごとくに渺茫ならむぞと韋眞子覺ゆる。底知られぬ昏き宇宙なりとぞ。


 諸佛の御教への説によらずとも、一切は捏造(つくりもの)なり。刹那の縁(えにし)に拠り結び、解(ほど)けむものにて、非(あるべから)ざるなり。

 さなり。人をして奔らしむる欲望や、怨恨、憤怒、くち惜(を)しさ、飢ゑや焦燥、憤懣、哀切、民族の恨み、宗教の諍ひ、一切は衆生を生存の闘いへ駈るがための架空。空架のものと言へども、駈らゆれば人皆無我夢中、滾り迸らむ。

 幻影なり。生存の罠、絡繰り、囮、造作、傀儡なり。操り乱舞さしめ、狂ひ奔らせむ、いとあぢきなし。虚し、車繰る鼠のごとし。

 さやう、虚し、虚しきかな。吾もまた愚劣なるまゝ、下劣なるまゝ、彼(か)の蒙昧の輩に同じやう生きればよし。蒙寡にしあればよし。されば虚しからず。憂き世にしあれども而して浮き世にしあらずやとぞ世人久しく言はずや。しょせん、たはぶれ。ささ、想ふを止めよ。


 さやう一頻り想ひて後、ふつと我に返り、やや赤面す。端(はした)なし。

 いざ、仕事せむ。いざ、ささ、いざ。


 されど心未だ憤激憎恨に捕囚せらえて、ノート型なるパーソナル・コンピュータ開くも心ここに在らざるがごとし。空洞のごとし。猛風荒れ狂ふ窟なり。紛らはせむとするがやう、しばしつれづれなる人のごと、そこはかとなく電子メールやら積み置く書類やらをチェックするなり。


 実務が意識を甦らしめ、いくつかの事項を付箋へ鉛筆にてメモし、パソコン傍らに貼付す。キーボードを叩きていくつか照会事項へ回答すなり。机わきなるボックスよりファイルを出だし、いくつかの書面を再読す。名刺ホルダーを出だし、電話せり。


「もしもし、天之ですけど、先日の件ですが、いつ頃に戴けそうでしょうか」


 二、三問答の末、電話ぞ切りぬ。契約サーバーにアクセスし、昨日のデータを呼び出せり。昨年来、会社がクラウド・コンピューティング・システムなるを導入し、社内業務のイメージ大きく変はれり。新しきよし。華々しからずや。

 いくつか資料作成し、サイバー上の共有ホルダーに整理、保存し、メールにて社内の同僚らへ送り知らせけり。これ報告書へまとめ、上司へ送りぬ。写眞データのサイズや色彩を修正し。


 正午なりぬ。PCを閉じ、鞄を手にす。昼休み、近きリストランテ・イタリアーノへ赴く。ペスカトーレ(魚貝を使ひしトマトソースのパスタ、〝漁師風〟の意)、ミネストローネ(細かに刻みし野菜のスープ)、サラダを注文し、待つ間にスマートフォンにてツイッターするなり。


 注文の品来たるとき、若きOL二人あらはれ、見たくもなく思ひ、願ふも儚し、折り悪しく隣に坐す。注文し、来たりき。やがて語り合ひて曰く、


「やばい、うまくない? バルサミコ?」

「てゆーかさー、これ、有機栽培でしょ」

「そうよ。

 書いてあんじゃん」

「そっかー。やっぱさー、自然のまゝが一番だよねー」



 韋眞子、ものしと想ひ独りごち曰く、



『サラダのこと言ってんのかしら? 意味不(イミフ)なんだけど?

 だいたい、この世に人工的なものなんてないのよ。人間だって自然の一部じゃない。他の動植物と何が違うの? じゃ、ハチの蜜は蜂が作るから、(蜂工的なもの)だから自然じゃないって言うの? 

 阿呆らしい。じゃあ、眞珠は英虞湾のアコヤ貝工なの? 莫迦じゃない? チェリーは桜が作るから桜工的なものなの? それだと自然じゃないって言うのかしら? んなわけないじゃん。

 あーあ、愚かしいわ。人間だって自然の一部でしょ? ビルも工場も煤煙もヘドロもみんな自然なのよ。明晰判明じゃん。って言うか、みんな物的現象でしょう。野菜も人間も同じよ。

 人間の思考だって、植物の光合成と何ら変わらないケミカルな現象じゃん。

 だって、人間は脳神経細胞(ニューロンNeuronなり)内に、インパルス(細胞の被膜にありしイオン伝達経路開き、正の電荷のイオン流入せば、負の電荷にありし細胞内が正となり、対して外が負となりて、電荷の正負逆転し、これをして電気的なる発火現象と捉へ、インパルスと呼ぶなりけり)を起こして、ニューロンからニューロンへ伝えて、アドレナリンとか、脳内神経伝達物質を分泌して、思考や理性や感情や欲望を起こさせているだけじゃない。

 ま、こんなケミカルな現象も、わたしらの側からは、全然ケミカルじゃなくって、理性や精神や愛や哲學や魂なわけだけどね。飽くまでわたしたちから見れば、わたしたち渦中の者、『内部』の者にとっては、って話だけどさ。

 だとすれば、光合成が思惟じゃないって、誰が断言できるの? 植物の側から解釈すれば、光合成がその内部から見れば、理性や、精神や、愛や、哲學や、魂なのかもしんないじゃん。

 ま、思考や理性や認識や哲學があったって、わたしらのとは、ぜんぜん「かたち(在り方)」が違っているとかで、次元が違い過ぎて比べようもないでしょうから、確かめようもないだろうけどさ。

 ってことは、植物に學問や文化があったとしても、何ら不思議じゃないんだよ。

 いやいや、むしろ、植物にも思惟があって、哲學があって、學問や、文化があるんじゃないの? ってことは、つまり、わたしら外部からは、まったく「かたち(在り方)、思考の存在の仕方」が違い過ぎて見えない彼らの『世界』があるってことなのよ。

 でもさー、そうであっても、ぜんぜん、おかしくないじゃん、同じく生命活動をする存在者なんだからさ。(笑)

 人間は植物のこと、光合成をする生命だって見てるけど、向こうは向こうで、植物の哲學者が『人間とは、ニューロン内にインパルスを走らせる生命である』、なんて言っているかもしれないじゃない。

 だとすれば、微生物や虫や魚や動物なんかのすべての生命を同じように見るべきでしょうね。そうよ、もしかしたら、山も雲も空も海もね。

 だってさ、もしかしたら『かたち(在り方)』の全く異なる『生命』なのかもしれないじゃん(笑)」

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