後編

「あっ、ごめんなさい。電話」


 ただ京ちゃんを問い詰める隙がないと困っていたけれど、お母さんはスマホを持って席を立った。

 仕事の電話だろう。多忙なことに助けられる。


「はーい」


 だから私は笑ってお母さんの背中を見送った瞬間、隣の京ちゃんを見上げる。


「ちょっと」


「なに?」

「……手癖が悪い」


 そう言って握ったままの手をテーブルの上へ持ち上げる。


「というか変なことしないって言ってなかったっけ」

「気が変わった。やってみたくなっちゃった」


 京ちゃんはケロッとしてそんなことを言ってのける。


「飾利は凄い驚いてたね」

「……顔に出てた?」


「うーん。私には分かったけど、お母さんは見てなかったと思うよ」


 それを聞いて少し安心する。

 ほっと胸を撫で下ろすと、京ちゃんは流し目でこちらを見る。


「こういうの、興奮するよね」

「流石に今するようなことじゃないと思うけど、バレたら多分怒られるし」


「飾利の怒られる顔、見てみたい。私も一緒に怒られるからさ」

「げっ、ちょっと京ちゃ————」


「どうしたの? 2人して楽しそうね」


 そんな会話を割るようにお母さんが帰ってくる。


「いえ、お母さんのことについて話していたんです。厳しい人だって聞いてたけど優しいなーって」

「あらそう? というかウチの子はそんな風に話してたのね」


 私に向かって少し含みのある笑みを向けながらお母さんは冗談めかして言った。

 京ちゃんも京ちゃんでさっきのことがなかったように平然としている。

 テストの件といい演技力に驚きを隠せない。役者まで出来そう。


「お母さんは飾利さんのことを」

「普通に呼んで良いわよ。さっきも呼び捨てにしてたでしょ?」


「あぁ……飾利のことを——」


 お母さんと本当に何気ない会話を、京ちゃんはさらりとしている。

 そんな笑顔の下では、彼女の手がまた私の体を這う。


「————っっっ!」


 今度は背中に手が伸びる。

 冷たいし背骨を撫でるし、くすぐったいような気持ちいいような感触で身をよじりそうになる。


「へぇ……そんなことがあったのね。りーちゃん、頑張ったじゃない」

「えっ?」


 話が入らない。真顔を保つのが精一杯で話なんか聞きようがない。


 これは本当に京ちゃんの指? そう思えるくらいに彼女の指は器用に、くすぐってるわけでも撫でてるわけでもない絶妙な力をつかず離れず体にまとわりつく。


 京ちゃんはこっちを見てないし……


「テスト期間にかなり厳しく教えられたみたいじゃない? それでしっかり結果出したなんてすごいわね」


「あ、あぁ……っ」


 テスト、頑張ったのは確かだけど京ちゃんはもっと頑張ってたし同意しづらい。

 そんな時も京ちゃんは見えないところで私の背中を撫でたり、お腹に手指を回したりしている。


 集中できない————っ。


 今こうして会話している時に、手を捕まえるためにモゾモゾと腕を動かすのは流石に不自然で耐えるしかない。


「なに? ぼーっとしてる?」

「あぁいや、うん。京ちゃんのおかげだから」

「そんなことないよ、飾利が頑張ったんだから」


「そうね。頑張ったのは本人だし、誇っていいんじゃない?」

「そうかな、そう言われると頑張る——っ!」


 今度は小指と思われるものがデニムの中に少し入ったことにびっくりして、少し語尾が上がってしまう。

 どこまで攻める気なの……。


「……? どうしたの?」

「い、いや? なにも」


 流石に怪しまれた……?


 ただお母さんから見た京ちゃんってしっかりものだし、こんな変態みたいなことする子だと思ってないはず。

 まだ、大丈夫かな。


 すると犯人の京ちゃんはセーターの中から手を抜いてケロッとして口を開く。


「そういえば聞きたいんですけど」

「なに?」


「飾利に感情をコントロールさせた理由って何なんですか?」


 今度は急に真剣な……っ!

 少し前のめりの姿勢になった京ちゃんから、いきなり踏み込んだことが飛び出してきて心臓が飛び出しそうになる。


 お母さんの教育については「頭が悪いから上品に見えるように」っていうことだったと思うし、京ちゃんにはその話もしたと思うけど納得がいってない様子なのかな。


 そしてもう1つ驚きなのは、こんなことを聞きながら京ちゃんは私の足を撫で始めた。


 太ももや膝のダメージデニムの穴に指をいれたりして撫で回す。

 背骨や骨盤から電気の波みたいなものが全身に走り回って気が気じゃない。


「その方が生きるのに便利だからよ」

「それだけですか?」


「優しい人って周りの感情に飲み込まれたりして心を病みやすいのよ。だからある程度のコントロールができないと辛いから」


「あぁ……たしかに」


 すると京ちゃんは少し話に意識が向いて納得したのか、手の動きが止まった。

 私もまぁ……納得かも。


 話してた内容に頭を回す。


 少し冷静になって考えてみれば私は猫が死んでしまったり、知り合いが引っ越したり、色々考えすぎてしまう。

 感情に飲み込まれるというより、人の感情に影響を受けやすいタイプなのかもしれない。


 するとそんな私を見てお母さんは少し微笑んで言った。


「りーちゃんは優しかったから。虫も殺せないどころか、虫が死んでいるところを見たら『かわいそう』って泣いちゃうくらいだったのよ」

「覚えてないや……」

「幼稚園に入る前の話よ。だからその優しさで辛くならないように驚くのも出来る限り表に出さないようにってキツめに躾けたの。澄ましていればりーちゃんみたいな可愛い子は周りが取りなしてくれるし、感情を頭でコントロールするようになれば勉強が出来なくても深く考える癖がついて、自然と穏やかでいられるかなって思ったの」


 しっかり伝えればよかったかしら。とお母さんは私を見て小さく謝った。


「大丈夫だよ。息苦しいなってことはあったけど、今は京ちゃんがいるし」


 そうだ。今は京ちゃんが私のいっぱいになった感情を受け止めてくれる。

 ……無理やり引っ張り出された感情もたくさんあるけど。

 そんな存在がいるだけで苦しさはほとんど感じない。


「すみません。深入りしたことを聞いて」

「いいのよ。りーちゃんにも上手く伝わってたか分からないんだから」


 そうやって京ちゃんとお母さんは軽く会釈を交わす。


 そんな時、足を撫でる京ちゃんの手指が止まったままなことに気づいた。

 そこで改めて冷静になり、少し俯瞰で考える。


 京ちゃんは真剣に私の話を聞いてくれたり、お母さんと話をしている。


 けれど私は京ちゃんの手の動きに翻弄されて身をよじりそうになるのを堪えていた。


 今みたいに普通に話せばこれで良いのに京ちゃんは波風を立てている。

 まだお母さんも少しこちらの様子を気にしているみたいだし。


 ——なんか1人で様子がおかしいと思われてるのが悔しくなってきた。


「だから京さん。りーちゃんをよろしくね。迷惑をかけるかもしれないけど」

「大丈夫です。飾利は良い子ですから——ぁっ!?」

 

 京ちゃんは語尾で声のボリュームをあげた。


 その反射で下を向いた京ちゃんに反応したお母さんがテーブルの下を覗こうとする。


「どうしたの? 何か落とした?」

「い、いえ! 大丈夫です……ふぅ」


 びっくりした様子を見せた後、息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 やった。


 私は靴を抜いで京ちゃんのスラックスの裾をめくって足を絡めた。


 右足を前から京ちゃんの足の間に入れ込み、左足に巻き付くように絡めて、足の甲で京ちゃんのふくらはぎを撫でるようにするりと滑らせる。


 すると温もりと一緒にビクリとした動きを感じる。


 とろみのある素材と私の靴下の感触がくすぐったいだろうさ京ちゃん。

 私は彼女に対してそんな『なんかやってやってる感』が快感で癖になりそうだった。


「あ、あのさ。飾利はさ、お母さんのどういうところが好きなの?」


 すると今度は京ちゃんはこちらを向いた。

 切れ長の目がぱっちりと開いていて瞳で何かを訴えかけている。


「優しくて面白いところ。あと意外と恥ずかしがり屋なところかな」


 京ちゃんの目を見つめ直して笑顔で返す。

 目だけで何かを伝えようとしていたけど、ここまできたら取り合わないという意思表示をした。


「えー照れるなーりーちゃん」

「お待たせしました、クラブハウスサンドとキノコ香るクリームパスタです」


 料理が届く。


 お母さんのサンドイッチと、私たちが頼んだなんのキノコか分からない香りがするクリームパスタが届く。


「うわぁ美味しそう」


 京ちゃんはそう言いながら今度は私の足を同じように絡めて、ふくらはぎを足の甲で撫でる。


「うん、美味しそうだね」


 京ちゃんの顔を見つめる。


 残念でした。京ちゃんの柔らかいスラックスと違って私はスキニーのデニムだから布越しでそこまで敏感に来ない。


「お母さんありがとう」

「いえいえ、まだ何かあれば頼んでいいからね」


 お母さんは笑って返す。


 優しい母の笑顔。


 テーブルの下がとんでもないことになってるのが気付いているだろうか。

 私の右足と京ちゃんの左足が複雑に絡まってる。


 靴下越しに足指を絡めようとしたり、ねじれていたり、お母さんが見たらびっくりすると思う。


 きっとテレビの裏の配線見た時くらい絡まり方に驚く。

 なんでこんな絡まってるのっていうくらい。


 細かい攻防戦が行われてる。


「飾利はこういうの食べ慣れてるの?」


 そんな中で京ちゃんはこちらを見つめて聞く。

 テーブルの下の攻防を全く感じさせない涼しい表情で。


「私は別に慣れてるってほどじゃ——っ!」


 かと思えば京ちゃんは手の親指をパンツの内側へ入れて、爪で私の尾てい骨のあたりをゆっくりと撫でまわす。


 それはライン超えてない……? とか思っているとまたお母さんがこちらを見る。


「りーちゃんさっきからどうしたの?」

「い、いやさ! ダメージのデニムだから膝に風がピュッて当たってさ」


「もう寒いんだから気をつけなさいね。冷めないうちに食べてしまいましょう」

「うん、そうする」


「はい、飾利」


 そうして何食わぬ顔で京ちゃんはフォークをこちらに渡す。

 本当に演技が上手い。


 人の体を撫でくりまわしてるとは思えない顔と冷静さ。


「ありがとう、京ちゃん。いただきます」

「いただきます」

「はいはい、どうぞ」


「どう? 京ちゃんの初ファミレスは」

「うん、初めて食べたけど——っ!」


 うん、良かった良かった。

 喜んでくれてるみたい。パスタも足もよく絡まってて気分がよさそう。


 そうして私たちはファミレスのパスタを堪能した。


 改めて聞いてみると京ちゃん的には満足度は高かったらしく、私も久しぶりのお母さんとの食事が嬉しくていつも以上に美味しく感じた。


 しかしながら食事中から食後の談笑まで、私と京ちゃんの足は絡め合いの攻防戦が続いていた。




 そして私は耐え抜いた。京ちゃんも最初の一回を除いて顔に出さず耐え抜いていた。


 乗ってしまった自分でいうのもアレだけど流石にやりすぎてるというか、イタズラがすぎる。


 バレたらどう取り繕うつもりだったんだろう。


 私は1人で反省する。バレてないからセーフだっただけで、バレたら流石に何を言われるか分からない。


 そんな感じでファミレスでの食事を終えて、遅くなる前に最寄り駅まで京ちゃんを送る。


「今日は忙しい中ありがとうございました。お話出来て嬉しかったです」

「ええ、こちらこそ。娘の飾利をよろしくお願いします」


「はい。お任せください。また帰国した際は教えてくださいね。ご飯行きたいです」

「そう? じゃあ今度は奢ってもらっちゃおうかしら、紗柄の娘さんだし」

「お母さん……」

「冗談冗談」


 そう言うとお母さんはクスクスと笑って京ちゃんを見つめる。


 すると京ちゃんもそんな冗談を言ってもらえる仲になったと理解したのか、笑顔でお母さんの目を見つめて返す。


「ハハっ。私自身はそんな凄い人じゃないので、またファミレスご馳走してください」

「そんなに口に合ったならいくらでも」


「はい、それでは失礼します。じゃあね飾利」


 京ちゃんは私たちに手を振って駅の改札を抜けていく。

 交際相手の親に挨拶をしたとは思えないほどの軽い足取りが妙に目についた。

 お母さんの前だっていうのに体を触ったり、足を絡めたり……


 京ちゃんは心がざわつかないんだろうか。なんて思う。


「いい子ね」


 お母さんは言う。


「うん、優しくていい人だよ。自慢の恋人」

「親の前でイチャつく位には仲も良いみたいだしね。テーブルの下で楽しそうに」

「げっ」

「その顔ダメ」


 お母さんはこちらに顔を近づけ、ほっぺをトントンと人差し指の腹で軽く突く。


 バレてるじゃん。

 そんなことを今はいない京ちゃんの影に心で投げつけると、お母さんはこちらをじろりと見つめた。


 ヤバい。怒られる。


「気づいてたんだ……」

「もちろん。まぁでもいいんじゃない? イチャついて下品な顔をしなければ」

「……してた?」

「我慢してたみたいだけどギリギリ」


「……気をつけます」


 本当に心からそう思って伝えると、お母さんの口角は少し上がったように見えた。


「まぁいいわ。正直言って厳しくしすぎて固苦しくさせちゃったかなって思ってたけど、2年生になってから少し柔らかくなっててホッとしたの」

「そうだったの?」

「えぇ。電話でも分かるくらいよ。あの子のおかげなのね」


 今までの私の姿を見てお母さんなりに思うことがあったみたいで、その言葉を聞くと今の母の表情はどことなく安堵しているように見えた。


「行きましょう。有名な紗柄の娘さんに会えて良かったし、あの子ならまぁ安心できるわ」


「お母さんがそう言ってくれて少し安心かも、女の子だから何言われるか分からなかったし」


「そりゃあびっくりしたけどね。ただ変な男に捕まるとかより良かったかも。相手が女の子なら『妊娠したけど認知してもらえない』とか『中絶しなきゃいけない』とかで揉めないものね」


 ふふっと水を含んだように笑う。


 そんな非常に生々しい言葉に、私は苦笑いしながら京ちゃんに「気に入られてよかったね」と心の内で伝えた。


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