【冬のとある日・紗柄京と七星飾利の”確認作業”】

エピローグ

「あのさ、2年の紗柄先輩と七星先輩いるじゃん」

「なんだよいきなり、うん。どっちも可愛いって有名なあの先輩だろ?」


「あの2人……付き合ってんだって」

「それ噂だろ? 女同士だし……てか紗柄先輩の方は前に男と歩いてたらしいじゃん」


「いやマジなんだって……! それでさ、先輩たち2人……この前の体育の授業中にキスしてたらしいんよ……!」

「マジで!? なんか……すげえな」


 2学期の終業式、交際期間は半年を超えている。


 さすがにそれだけ経つと1年生にも周知され始めたな。なんて思っていたら、少し違った方向で私たちは噂をされ始めた。


 学校でもイチャつく距離の近いカップル。

 放課後、誰もいない教室で2人で変なことをしているとか噂になっているみたい。


 まぁ噂だから色々尾ひれがついているけれど、まぁ間違ってはいない。


「ねぇ唇噛みたい」


 噂通り放課後の誰もいない教室に2人でいると、彼女はそう話しかける。


「痛いから嫌」

「じゃあ噛んでよ」

「……」


 口を結んでノートから視線を移し、私は唇を見つめる。


「噛んでくれるの?」

「うん。いいよ……」


 椅子から体を持ち上げて、座っている彼女にもたれるようにして体重を預ける。

 首の後ろに手を回して、体勢を安定させる。


 そして少し口を開いて歯を立て、柔らかい下唇の内側を挟む。


 歯から伝わる感触というのは唇から伝わるそれとは全然違って味気ない。


 柔らかく暖かく、体温そのものが剥き出しになったような唇をこちらの唇で触れる。

 それは感覚の共有みたいな……なんというか、2人の関係が特別じゃなきゃ許されない素敵な行為じゃないかと思える。


 けれど歯で挟んでみると、繊細な部分を傷つけるみたいでとても緊張する。


 相手の感覚を受け取ってこちらからも熱を送るキスと違ってすごい一方的。


「足りない。もっと強く……」


 顔の近さとお互いの息の当たる感覚、髪からの匂い、静かな口調。

 唇に歯しか触れていないからか、周囲の情報だけがなんとなく私に伝わる。


 全感覚がフル稼働して、顔に集中していた私はその言葉で少しだけ力を込めてみる。

 その情報の輪郭を捉えるように。

 今噛もうとしている唇が、誰のものかを確かめるように。


 緊張しながら少しだけ。

 どのくらいの強さがちょうど良いのか……


「……っ」

「ツッ!」

「あっ!」


 一瞬だけ彼女、京ちゃんが顔を歪めたからつい顔を離す。


「ごめん、だ、大丈夫?」

「血だ……」


 そんな強く噛んだつもりはなかったけれど、京ちゃんが唇を触った指には滲んだ血が付いていた。


「ごめん京ちゃん……! 加減が……っ! 保健室かな……?」


 どうしよう。私って噛む力が人より強いの……?

 どうしたらいいか分からず迷って立ち上がると、京ちゃんは私の腕をクイクイと引っ張って下唇を指で軽くめくる。


「……吸ってよ。血」


 座ったままの京ちゃんはこちらを見上げながら、少し血が滲み出た部分をこちらに見せる。。

 赤く、じわりと広がっている。


 血の赤さが口内炎のそれとは違う生々しさと痛々しさをこちらに訴えかけてきて、どうにかしないといけないなと心を急かされて、私は口を少し開けて京ちゃんの唇に顔を近づける。


「……ぷっ!」


 そんな様子に京ちゃんは笑いを堪えきれなくなったのかいきなり吹き出した。


「……どうしたの?」

「すごいオロオロしてて可愛かったから」


「……はぁ。なるほど」


 これも”確認作業”ということか。


 京ちゃんはこちらの心が読めているのか、そういう警戒に気が回ってない時に仕掛けてくる。


 緊張と緩和でおかしくなりそう。

 ため息で気持ちを落ち着けて椅子に座り直して京ちゃんを見つめる。


 見下ろしても正面から見ても京ちゃんは綺麗だった。

 それは唇が傷ついていても変わらない。血すらも愛しく見えるくらい。


 すると京ちゃんはクスクスと笑って口を開く。


「……本当に血を吸ってくれるのかと思った」

「吸わないとスネるかもしれないでしょ。京ちゃんのことだから」

「流石に冗談だよ。血は流石に取り返しがつかなくなりそう。お互いに」

「……?」


 私が首を傾げると京ちゃんは舌で下唇の傷ついた部分を撫でた。


「人の味を知ったクマは人を襲うらしいからね、満足できなくなっちゃうかも」

「そういうもの?」


「うん、きっとこれからも吸って欲しくなっちゃう。吸血鬼みたいに」


 そうして京ちゃんは下唇を少し内側に丸めてこちらを見る。

 少しトロンとした色っぽい視線で。


「……吸血鬼は血を吸う側だけど」


 冷静に指摘すると京ちゃんは目を丸くした

 たしかに。顔にはそう書いてある。

 とはいえ彼女は何かを思いついたように言葉を返した。


「じゃあ私が吸う。怪我したらいつでも言ってね」

「そんなに吸いたい……?」

「吸血って相手を眷属にする特別な行為らしいからね。あっ! やっぱ吸ってよ。飾利の眷属になりたい」


 けん……。難しくてよく分からないけど、また京ちゃんらしい突飛なことを言ってるのは伝わった。


 ————こう言う時は


「嫌だ」


 しっかりノーと伝える。


 京ちゃんとのすれ違いの一件のあと、改めてキュートアグレッションについて調べた。


 キュートアグレッションは可愛らしいマスコットとかを握りつぶしたいとかそう言うもので、もっと暴力的な衝動に近い。


 それに比べると京ちゃんはどっちかって言うと、私の感情をグチャグチャにしたいという衝動が強いらしい。


 その先の私の顔が好きだからって言っていた。


 心を乱されるのは少し辛いけど、京ちゃんは私をきっと見捨てないと思う。


 長距離走の時の彼女を見て、普段の”確認作業”というものが、暴力的な一方通行な愛情表現じゃないってわかった。


 これはきっとキュートアグレッションというより試し行動なのかもしれない。


 何をしても嫌わないでいてくれるかっていう赤ちゃんや子供がやるような。


 好きでいてくれるか、嫌わないでいてくれるか。

 そんなことを”確認する作業”なんだ。


 それが分かれば怖いけど失いはしない。

 不安の先でいつも安心したように、どの道でもきっと先に京ちゃんがいてくれる。


 だから怖くなってしまうだけで、きっと大丈夫。

 見放すなんてことは決してない。


 これからも可能な限り京ちゃんの趣味に付き合おうと思う。

 それに正直、こういう少し歪なくらいが深い愛情を感じ取れて私には都合がいい。


 さらに言えば、別にやられっぱなしな訳ではないし。


「えー、吸ってよーほらっ」

「……それ以上言ったら別れるよ」


「っ! そ、それはヤだ! も、もう言わない……!」


 余裕の表情から一転して慌てふためく京ちゃん。


 お返し。


 これが私からのキュートアグレッションで愛の”確認作業”だ。


 純粋に私を手放したくないと思ってくれているのが嬉しくて、それを確認したくてやってしまう。


 恋人ながら京ちゃんに似てきてしまっているかもしれない。


 でも仕方ない。可愛いんだもん。


 完璧な京ちゃんが何かを失うことを恐れて慌てる様子がとても愛おしい。

 物に執着のない彼女の唯一の執着の対象なことが嬉しくて仕方ない。


 本当に嫌だったらこうすればいい、可愛い京ちゃんも見れるし、首絞めとかやりたくないことにノーを言えるし、見方によっては健全な関係なんじゃないだろうか。


「ならよかった。別れずに済むね」

「別れをチラつかせるのは少しズルくない……?」


「前に京ちゃんもしたでしょ。本当に別れるつもりで伝えないと暴走しそうだし」

「……まぁ暴走に関しては思い当たる節がないでもないけど」


「ふふっ……」


 そうやって笑って見せて、私は隙を見て体を乗り出しながらチュッと音が鳴るように京ちゃんの唇を吸った。


「んっ!」

「はい、少しだけね」


「……っ!」


 京ちゃんは全身を少し震わせて私にとびついた。


「ちょっと京ちゃん……ふふっもう……」


 私が笑うと京ちゃんも「ふふっ」と後を追うように笑った。

 2人で目を合わせ笑い合う。


 お互いがお互いを不安にさせて、その先で笑い合う。


 感情が一度強く出た後からだろうか。


 お互いに顔のそばで小さく吹き出すような笑い声が、空き教室により一層深く、大きく、楽しげに響く。

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