第29話

 飾利に首を絞められてる気がする。


 いやそれよりも息苦しい。


「安仁屋、七星にプリントを届けてやってくれ」


 そうやって担任の教師がクラスメイトの安仁屋佳奈あにやかなにプリントを手渡すと、彼女はこちらを見た。


 私はつい目を逸らす。


 飾利は学校を休んでいる。4日もだ。


 厄介な喉風邪を引いたらしく診断書があるから、欠席で単位が足りませんなんてことにはならないらしいんだけれど、連絡しても返事が淡白だった。


『大丈夫? ゆっくり休んで、お見舞いも行くからさ』


『心配してくれてありがとう。でも来ない方がいいよ。移すから』


 至極合理的と言うかまぁ誰しもがそういう風に返すとは思うのだけど、怒らせた後で文から飾利の表情が読み取れないことがとても私を不安にさせる。


 今まではなんとなく分かるくらいには飾利にも表情があった。


 でも今の私は飾利の感情をキャッチできずにいる。


 いや多分キャッチできてはいるのだろうけど、怒らせた手前それを信頼できない。


 建前かもしれないのだ。


 息が詰まる。


 ここにいないはずの飾利に首を絞められるようだった。


 怒らせた。


 謝らなければいけない。


 でもこの状況で謝ったら風邪の中で怒らせたことを思い出させて、余計なストレスをかけるかもしれない。


 だから風邪が治った時に謝りたい。


 けど、その時に私から感情が離れていたら取り返しがつかない。


『大丈夫?』

『大丈夫だって』

『死んじゃったりしない?』

『不安にさせないで、風邪で死ぬ人だっているんだから』


 机に突っ伏しながら今朝交わしたそんなやりとりを眺める。


 無理やり付き合わせているんじゃないかとか、嫌々返信してるんじゃないかと憂慮してしまって授業まで手がつかない。


 飾利のために板書を写したノートの上にはボキボキのシャー芯が散らばっている。


 ある程度まで行くと連絡するのも悪いかなってフェーズに入って2日目以降は連絡をほとんどしていない。


 喉風邪で電話もできない。


 どうしようどうしよう。


 少しでも連絡をして飾利の気持ちを私に向けて留めたいのに、それをすることでめんどくさがられるんじゃないかという不安から手の汗が乾かない。


 ノートだけはなんとか取ってあるけど、飾利は見るかな。


 恩着せかましくないかな。


 いつも勉強なんかあまりしなくても分かるなんて言っちゃってるから、これを見せること自体が飾利を軽んじてることになりそうだ。


 表面上は落ち着いてて大人だなって思うけど、飾利は意外と子供な一面が強い。


 脅かせば泣くし揶揄えば怒る。


 でも大人びた雰囲気を守ろうとはしていて、まるで大人になろうしている子供みたい。


 そこが可愛くて甘えたくなるのに、だからこそ私はどう距離を取るか悩んでいる。


 彼女を軽んじちゃいけない。


 そうやって付き合っていたつもりではあるのに、あのボタンの掛け違い。


 いや少し行きすぎた私からの愛情表現がここまで心の中で呵責を生むとは思わなかった。


 飾利と同じグループで仲良しな佳奈ちゃんに、プリントを届ける役目を改めて目で任せながら私はただ不安に貧乏ゆすりをする。


 正面から喧嘩したわけじゃない。


 一方的に怒らせてしまったということが、シンプルが故に非常に厄介。


 私から謝れば終わりなのにそのタイミングがない。


 メッセの返信もしてくれてる。

 けどそれは業務連絡的なものなのか、私との日常会話なのかの区別が今の私にはつかない。


 嫌いになってしまったらどうしようという不安だけが、私の心の奥底にある黒い泥を撹拌する。


 物理的に首を絞められてるわけじゃないのに息苦しい。


 嫌いにならないでほしい。



 飾利が大好きだから。



 話したい、手を繋ぎたい、顔を触りたい、柔らかい頬をつっつきたい、抱きしめたい、キスをしたい……


 大切に撫でまわしたい気持ちと同じくらい飾利への歪んだ気持ちが同居している。


 彼女の表情と心をめちゃくちゃにして、その愛らしい表情を見つめながら愛されているということを確認したい。


 そのための”確認作業”だった。


 別にこれが褒められた行為じゃないってことは分かっているけれど、そうしたかった。


 だって彼女は私のために心を痛めて苦しんで、その先で私により一層強い愛を向けてくれる。


 そんな理想が地続きで、どこまでも道のように伸びていると思ったのが間違いだったんだ。


 飾利だって限界はある。


 普通は自然と生まれてしまうすれ違いを受け入れたり整えたりして関係を深めるもので、意図的にすれ違いを生んで強引に戻すやり方じゃない。


 飾利の心は耐えられなかったんだ。


 好きという気持ちをお互いにぶつけてもすれ違うことは男女のカップルでもよくあるのだから、女同士のカップルな私たちはそこをしっかりとケアしていく必要があったのに。


 それに今更気付いてしまった。


 好きであればいいというのは傲慢だ。


 飾利は自分の恋人で、好きという愛情表現をやめなければずっとそばにいてくれる。


 そんな思い込みがあったことを後悔している。


 好きなのに、こんなに好きで愛しいのに、飾利の心に気づかなかった。


 いや気付いていたけれど、それを壊して作り直して一方的に悦んでいた自分が嫌になる。


 なんで、もっと優しくなれなかったんだろう。


「あなたは虫も動物も人も、誰も傷つけない優しい人になりなってね。お父さんのようになってはいけないわ」


 うるさい。


 尊敬を汚して理想を押し付ける悪魔の声を振り払う。


 飾利と向き合いたい。

 飾利に謝りたい。


 前にもからかって謝ったりしたことはあるはずなのに、怖くて勇気が出ない。


 また思い出して怒らせることが怖い。

 謝罪の受け取り方で、もしかしたら既に致命的な関係のすれ違いが起きてることが分かってしまうかもしれない。


 それも怖い。


 ただそれでもやっぱり謝らなきゃと思ってスマホを取り出しても、勇気が出ない。


『ごめんなさい、もう2度とあんなことはしないから』

『本当にごめんなさい。この前のことは許してくれないかな……飾利のことが大好きだからやっちゃっただけで……』

『今日飾利の家に行ってもいい? 話があるんだけど』

『嫌いにならないで』


 なにげない言葉がどうにも送信できない。


 それらがメッセージの下書きとして、アプリの内部にデータとして、暗い気持ちが溜まっていく。

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