第28話

 冬の夕方は短い。


 燃えるような黄昏の時間は一瞬にして過ぎ去り、暗い夜になる。


 そんな放課後。まだ黄昏にもならない明るく冷たい教室で、いつものように机に向かう飾利に温めていた言葉を隣の席から投げかけた。


「ねぇ、首絞めてくれない?」


「……何言ってるの?」


 そう言うと、ノートを写し終えた飾利は少し眉を顰めてこちらを見た。

 まぁそうだろうね。


「そのままだけど」


「意味が分からないよ流石に、なんでそんなことして欲しいの?」


 はぁと嘆息する飾利は少し呆れたように見える表情をしながら吐き捨てる。


「……飾利に一番脆いところを掴んで欲しいから」

「んん? 一回じゃ理解出来ない」


「飾利に命を握られる感覚が味わいたいんだ。お願い!」

「えぇ……」


 流石に躊躇の色を隠せない飾利、そう簡単には上手くいかない。

 脈絡なしにいきなりお願いをして頭が追いついていないようだった。


「お願い、飾利がいい」

「軽く握るだけじゃダメなの?」


「飾利に絞めてもらいたい……飾利しかこんな気持ちにならないし……限界になったら手を離すように合図出すから」

「うぅ……うん」


 必死に訴えかけて見せると彼女は少し苦い顔を表に出して首を縦に振る。

 ————可愛い。


 けどまぁ、簡単にOKしないだけで飾りはゴリ押せば問題ない。

 そういうところも可愛い。押し倒したくなる。


 少し困惑して視線を右に左にと少し動かしている飾利に、私は椅子ごと正対し顔を上げて首を差し出す。


「はい」

「本当にやる……? じゃあ……行くよ?」


 飾利は立ち上がって両手の細い指で私の首を包む。

 冬の寒さみたいに飾利の指は冷たくて、そこから自分の首の生温かさを感じる。

 

 命の温かさ。


 飾利はそんな温かい命を握ってる。


 少しずつ絞まる。ところどころでピクリと力の入れ加減を伺ってるのを感じる。


「ねぇ……本当に……?」

「まだだよ……もっと強く……」


 少しずつ怯えるように喉を締める力が強くなっていく、ドクリドクリという頸動脈の脈動を自分でも感じられるようになる。


 飾利はどんどん私の命を細くしていく。


 その感覚が、私の脊髄からお腹の奥に電流が走るような興奮を湧き上がらせる。


 目の前の飾利の表情は不安そうで、まるで自分が殺されるかのような表情をこちらに向けている。

 大切なものを目の前で壊してしまう、自分の手で殺してしまうその顔を見せてほしい。


「もっと強く、お願い。声が出ないくらい」


 そういうと飾利は口をギュッと絞るように絞める力を強める。


 少しずつ、少しずつ息がしにくくなって頭がぼーっとしてくる。

 頭が窓の外の冬の景色を表すような真っ白に染まっていく。


 頸動脈を通って脳に行くはずの血流が首で塞き止められて何も考えられなくなる。

 絞まって苦しく、体の反射なのか涎が口から漏れそうになる。


 人気のない放課後の教室、椅子に座ったまま首を絞められる。

 こんな様子、見られたら終わりだな。


「ねぇこれ本当にいいの……!?」

「……かはっ!」


 声を発せなくなり目で答える。


 あと少し、あと少し。

 不安そうに悲しげな表情でこちらを覗き込む彼女を強く精一杯の笑みで見つめ返す。


 彼女の細い指が私の首を掴む感覚と、太い血管のわずかな脈動。

 これらへの感覚を残して色々なものが薄まっていく。


「ねぇやっぱこれダメだよ……! 京ちゃん死んじゃうよ……!」


 静かながらも言葉に力が込もる飾利に対して私は譲らない。

 力を緩めようとした彼女の手首を掴んで引き離そうとさせず力を込めさせる。


 させない。あと一歩。あと一歩だ。


 血流が止まり、脳が機能を停止する直前まで粘る。

 人の力じゃ血を完全に止められないからあと3秒くらい……


 3……2……1……


 その瞬間、彼女の手を引き離して全身を脱力させる。

 前に倒れ込むことで飾利に体重を預ける。


 そして最高の快感とそれに伴う景色を求める。


 グッと脳に血流が行く感覚がわかる。


 手首を思い切り掴んで手を握ったり開いたりして真っ白になったあと、手首の力を緩めて血を流すとぼやっと温かく広がるあの感じが、首元から顔全体に広がる。


「京ちゃん!?」


 耳に何か声が聞こえる。あぁ、気持ちいい。

 佐久も言っていた。首絞めには快楽が伴う。


 死の間際というのは脳内麻薬が分泌されて、最高にエクスタシーを感じるなんて聞いたことがあるけれど、それが分かる。


 失神はしてない。ギリギリで止まった。


 生きてるのも分かる。


 飾利の方に預けていた体重が戻ってくる感覚がじんわりと全身に巡ると、朦朧とする意識の中で体を強くゆすられるのを感じる。


 飾利だ。


 私の首を絞めた飾利が、涙声で私を呼びかけているのが耳に入る。

 あぁ心配してくれてるんだ。


 嬉しい。


 首を絞められて死に少し近づく快感よりも、私が求めていた景色がすぐそこにある。


 放課後の教室でこれ以上声を上げられて誰かに聞かれてもまずいし、私は目をゆっくりと開く。


 これまで見たことのない激しい悲哀の表情が目の前にあった。


 ————あぁ可愛いなぁ。


 表情変化の乏しい彼女が自分のために泣いてくれて、その表情がとても美しくて切なくて素敵なんだ。


 これを見たい。可愛くて弱い彼女をいじめてこんな表情をいっぱい見たい。


 そのために首を絞めさせて、自分の手で大切なものを壊しかける。そんな経験をした時の喪失の表情を見たくてお願いした。


 キュートアグレッション、可愛い子を守りたいと思う願いがストレスと認識した脳がそれを発散するために真逆の行動を取らせようとする衝動。


 彼女の弱い心を小動物のように握りたい。


「飾利、私は大丈夫だよ」

「良かった……」


 飾利は本当に安心したのか大きなため息を胸から吐いて、力が抜けたように隣の席の椅子に座り込む。


 机に突っ伏してまた溜め息。


「……もうなしね、怖いから」

「えー、今までにないパターンでよくない?」

「……えっ?」


 赤くした目を拭って少し間を置いて出たそんな飾利の言葉が少し重く教室に響く。

 私が軽く言ってしまった言葉に反応して、視線がこちらに刺さる。


「……もしかして、これも”確認作業”だったりする?」


「えっ? あー、まぁ」


 ハハハっていつものように笑ってネタバラシのように笑う。

 ただ飾利の顔はいつもの呆れや安堵の表情と少し違った。


「……さすがにこれはやりすぎ」


 その一言は今まで飾利の言葉の中で1番冷たいものだった。

 クールと周囲に称される彼女の冷ややかで鋭い視線に私は言葉を繋げられない。


 間が空く。

 首を絞められた後で脳が回らないからか、はたまた動揺したからか言葉が出ない。


「今日は1人で帰るね」


 黙っている私に飾利はそう言って涙を拭いてそそくさと出ていってしまう。


 その見たことのない冷たい怒りに自分のやったことが彼女のセーフラインを大幅に超えていたことに気づく。


「ヤバいかも」

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