第24話

 あの喫茶店で出会ってから、犬飼健吾という名前は私の頭にへばりついて離れなかった。


 なぜか京ちゃんのスマホをチラッと覗くと、犬飼健吾という登録名からメッセージが頻繁に飛んでくるからだ。


「京ちゃん、あの人と連絡とってるの?」

「あぁこれ? 佐久がさ、バスケの試合で会ってから気になってるらしくて繋ぎ役でね」


 スマホの画面をこちらに向けてヒラヒラとさせながら言う。

 伊吹佐久いぶきさくさんという京ちゃんのグループの子がバスケ部マネとして会ったらしい。


 だから知り合いの京ちゃんが間に入って繋いであげてるらしいけど、明らかに繋ぎの人に送るメッセージ量じゃないと思う。


 というよりこの前の雰囲気的に明らかに目的は伊吹さんより京ちゃんだ。


「鬱陶しいなぁ」


 そう言いながら、なんか悪い気はしていないように見える。

 楽しそうに少し笑ってタプタプと返信している。


 どこかよく覚えてない公式アカウントからの通知じゃなければ、誰から来ても連絡は嬉しいことが多いけど、元彼からの連絡なんて鬱陶しい限りじゃないのかな。


 少しだけ、腹が立つ。

 本当に少しだけ、少しだけ気分が悪かったから隣から割り込んでメッセを送った。


『今あなたは誰の隣にいるのかな?』


 我ながら鬱陶しいかもなって思ったけれど思いのほか効果はあったみたいで、京ちゃんは少しビックリしてスマホの画面からこちらに目を移した


「……あっ、怒ってた?」

「なんで?」


「可愛い顔になってたから」


 ということは怒ってたってことか。

 顔に出したつもりはなかったけどな。

 自分の顔を触ろうとするけれど触ったとて分からないからやめる。


「今あなたは誰の隣にいるのかな……ふふっ」


 私の送った文をそのまま口に出して笑う京ちゃんを見て、少し心の奥のモヤモヤした部分がスッキリして安心する。

 とはいえ怒ったであろう私を見た京ちゃんの満足げな顔が少し気になる。


「もしかしてわざとやってる……?」

「さぁ、どうでしょう? 当ててみてよ」

「絶対わざと」


 これも”確認作業”なんでしょ? と聞きたくなるけれど、どうせ答えは返ってこないから聞くのをやめた。


「やっぱ怒った顔も可愛いね」


 その代わりにハハハと声に出してくしゃっと笑う京ちゃん。

 この言葉も何度か言われて慣れつつあるけれど、怒った顔を褒められても嬉しいのか嬉しくないのか分からない。


 やっぱり不安定な気持ちになるし、結局京ちゃんに都合よく遊ばれてるだけな気がする。


 でも私を見た京ちゃんの笑顔を見ると、それでいいかなとか思っちゃってるし。


「——ん? あぁはいはい」


 ただやっぱり今の気分はあまり良いものじゃない。

 そうやって笑って見せて、すぐメッセの返信に戻ってしまったのだから。




 モヤモヤする日々は続いた。

 どんなに連絡を取り合っても結局のところは伊吹さんとの繋ぎ役なのに妙に接点が多いというか……。


「男の匂いが濃い」


 こんなこと言うと重い女みたいだけど、ついつい京ちゃんをチラ見して1人でボソリと言葉が出てしまう。


 体育の時間中、ネットを挟んだその向こうでやってる男子のバスケを京ちゃんは伊吹さん達と眺めている。


 あれがこーで、これがあーで、ルールの解説をしてるのかな。


 休憩中に談笑してる京ちゃん達と違って、今も私はコート内だから内容がよく聞き取れない。


「七星さん!」

「……っ? 痛っ!」


 そしてよそ見をしていた私はしっかりとおでこでサーブを受け止めましたとさ。

 痛い……。


「大丈夫?」


 同じコートの子達が駆け寄ってくる。


「あー大丈夫大丈夫。おでこだから」


 いつも通り穏やかに笑って、少しずつ芽吹く不安を押しのける。

 辛いかも。怖いかも。


 心の中で噛み砕いて奥底に押し沈める。

 そうして落ち着けた中でふと京ちゃんを見てみる。

 すると


「……えっ? あっ、飾利!?」


 見てなかった。


 それどころかこちらに反応してなかった。


 先に気付いた伊吹さんが、京ちゃんの肩を指でトントンしてようやく気付いていたのだ。


「大丈夫? 保健室行く?」


 急いで駆けつけた京ちゃんに手を差し出される。

 恋人だと周知されているから京ちゃんがが近づくと、他の子達はぞろりと離れ彼女に任せる。


 なんか穴が空いたみたいな感覚だった。

 自然と繋がっていた大陸に地割れが起きたみたいな距離を感じた。


 ——これも、そろそろ終わるのかな。


 なんて気持ちが湧き上がる。


『いや京ちゃんとは別れたから』


 前にそんなことを言うかもしれないと思ったことがある。

 今度こそ、そんなことを言う機会が来ちゃうのかな。


 私の胸はどれだけ息を吐いてもパンパンなままだ。


 見てくれてなかったことがそれだけショックだった。


 自分への興味が薄れているんだと感じでしまった。


 ただそれはいつまでも京ちゃんが私を好きでいてくれて、私は京ちゃんのもので京ちゃんは私のものでいるのが当たり前。


 そんな傲慢さがあったんだと思い返す。


 私のそばにいてくれるはず。


 京ちゃんは私のことを好きなはず。


 脳内でずっと言葉にし続けたおかげで周りに悟られることはなかったけど、心の奥底に溜まっていく不安や怖さはより一層高く積み重なって表面まで近づいてる気がする。


 なんで言い切りじゃなくて「好きなはず」なんて思ってしまうんだろう。


 そんなことを考えていた私は京ちゃんの手を取ったら自然と口にしていた。


「京ちゃんはどこかに行かないよね?」


 その言葉に京ちゃんは眉をハの字にして露骨に困った様子を見せた。

 とはいえ一瞬そんな表情を見せたかと思えば、京ちゃんはそんな顔を笑顔に引き戻す。


「どうしたの飾利ちゃん? あらあら頭を打ったのかな?」

「……茶化さないで」


「うん、大丈夫そうだね。よかった」


 京ちゃんのいつも通りの笑顔。


 私は京ちゃんの綺麗で凛々しい顔がくしゃっと崩れて、可愛い女の子の笑顔になるその瞬間が大好き。


 笑った時にするフフっハハっという息の漏れる音が、紙を手で丸めた時のようで気持ちいい。


 なのに私は抽象的なことを言ってそんな素敵な恋人を困らせてしまった。

 自信がポッキリ折れそうだ。


 私ってもしかして本格的に重い女かも。




 それから不安を埋めるように京ちゃんと過ごしてしまったせいで、少しギクシャクしてる。


 京ちゃんは私のこと好きだよね? とか激重な事を冗談めかして言ってみたり、沈黙を埋めるように何気ないことを話して『京ちゃんと他愛もないことが気軽に話せる関係』と言うものにこだわってしまってる。


 そういう関係性は付き合っていくうちに着地するし、京ちゃんとはすでにそんな関係だったはずなのにグイグイしすぎて逆に距離が空きそう。


 ただそうやって不安な中で決定的なものを目撃してしまう。


 京ちゃんは用事があるって言ってたから、私1人で帰っていた時だった。


 なんとなく甘いものが飲みたくてコンビニに寄り、新作の甘いコーヒーを買って出たところで見かけてしまった。


「……なにあれ」


 なんで笑ってるの。


 なんで手を繋いでいるの。


 なんで手を引かれて楽しそうにしているの。


 あの男とはウマが合わないって言ってたのに。


 佐久さんとの繋ぎ役じゃなかったの。


 それがなんで……


 悲しい。辛い。怖い。泣いてしまいたい。


 無意識に頭に湧き立つ言葉。

 それを噛み砕き、沈める。

 でも、止まらない。


 自分でも分かるほど瞼を開いていた。


 口が開いてしまっていた。


 息が上がっている。


 下瞼が熱くなる。


 ダメだ。抑えなきゃ。


 お昼に水を飲みすぎたかな、目から水がこぼれそう。


「嘘つき」


 無意識にそう呟いていた。


 心や頭の中で噛み潰すには大きすぎるその言葉。

 さらにその言葉は小さい声でぼそりと漏らしたはずだったのに、京ちゃんは聞こえたかのようにこちらを見た。


 コンビニの駐車場分、距離があっても京ちゃんの目が丸く大きくなるのがわかる。


 口が少し開いて一瞬目を逸らしてから、ゆっくりこちらを見た。


 それが全てあの犬飼という男の人の身体越しに見えたことがなによりもショックで、どこかに行こうにもその駐車場を通らないとその場を離れられない。


 浮気だ。これは浮気じゃん。


 そんな怒りよりも自分から離れていきそうな京ちゃんの顔を見たくなかった。

 だから私は急いで繕うように笑う。


 熱くてビリビリと痺れるような下瞼や涙腺から涙がこぼれないように笑う。


 口角を上げて、手を振る。


 京ちゃんは目がいいから私が少しでも狼狽えた様子を見せたらこちらへ来てしまう。

 だから「分かってるよ。その男の人、犬飼さんがしつこいんだよね」と言うように笑顔で目の前から送り出す。


 そしてそれを見た京ちゃんはなぜかいつもと違って申し訳なさそうに笑みで手を振り返して、背の高いバスケ部の男の人とお似合いっぷりを見せつけてどこかへ消えた。


「やっぱり男の人の方がよかったりするのかな」


 私はあの人、犬飼に対して思いついた1番の長所を口にして、その場にしゃがみ込む。


 お似合いだった。


 見た目も身長差も、一緒にいて違和感のない男女のカップルって感じだった。


 私といる時は間違いなく違和感があったはずだ。

 私は女で京ちゃんも女だし。


 普通とは少し違うのは分かっていたけど、それでも2人でずっと一緒にいれると思った。


 けど生物としての本能というか、生物で習った種の保存本能というか、結局そうやって男女でくっつく。


 人間ってそう決着するようになってるんだろうか。

 私はもう京ちゃん以外考えられなかったけど京ちゃんはそうじゃない。

 私はやっぱり傲慢だったんだ。


 京ちゃんは私のものじゃないのにそう思い込んだからこんなに辛いんだ。


 コンビニ入り口そばでしゃがみ込んだ姿勢が、もっと縮こまって蟻んこほどになるくらいまで、私は自分を責める。


 コンビニで買った新商品の甘いコーヒー、ストローを挿して飲んでみる。


 思ったほど甘くない。けど苦くもない。


 そんな不安定なバランスの味なせいで、私は立ち上がれずしゃがんで動けないままでいた。

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