第2話

「……だめだ。なんかドキドキしない」

「はぁ……えっ?」


 キスの後で頭が蕩けて、言葉の理解が徐々に遅れてるのか、頭で咀嚼するのに時間がかかっているようだった。


 トロンとした顔の飾利は視線を泳がせながら、言葉を繋げなくなってきている。


 すぐさま焦りへ変貌する。


「やっぱりさ、別れよっか」


 そんな焦りを加速させるように追い打ちをかけるように私は言った。


「えっ……」

「私は飾利のことが好きだけど、やっぱり飾利はそうじゃないみたい。キスしてみてわかったかも」


「そんなこと……」


「あるよ、うん。私がそう感じた。飾利は受け入れるばかりで愛の一方通行みたいだよ。恋人っていうのはお互いに愛を確認しないと続かないんだ、だからおしどり夫婦も愛してるって毎朝言うんだと思う」


 ゆっくり、ゆっくり、彼女にも分かるように説明しているんだ。

 本気なんだと伝わるように話す。


 こちらからの愛してるという求愛を、飾利がたった一度躱してしまった、躱し方を間違えたことで、修復困難な亀裂に生んでしまったんだよと伝わるように。


 そしてもう一度、彼女に致命的な一言を口にする。


「だから別れよう、やっぱり女同士は合わないんだね」


「ちょっと、待って……」

「私は大好きなのに、飾利はそうじゃないのは少し残念だったな……」


 そうやって悲しげに言い残して、辛そうな視線を目の前の女の子に一瞬だけ向け、顔を背けて歩きだす。


「待って!」


 大きな声が誰もいない教室で飾利の声が響く。

 私達以外誰もいないことによる教室内での反響が、2人の距離を表しているようでまたどこか物悲しさを演出している気がする。


 止めてくれる。飾利はきっと止めてくる。


「待たない」


 冷たく返す。


「なんで? 私も好きだよ! 京ちゃんのこと大好きだよ」


 物理的に離れたことで、声の必死さが強くなる


「……同じ大好きでも度合いが違うんだよ」

「なんで! なんで……っ」


 無機質に淡々と、私が突き放すように言うと、ついに背中越しの声に滲みを感じた。


 ぐずりという湿った音まで聞こえる。


「なんで……そんなこと言うの……」


 来た……っ!

 私は振り返る。


「飾利……?」

「ただ、ちょっと……集中したかっただけだから……嫌いとかじゃないから……」


 いつものクールな表情が崩れ始めてる。

 顔が歪んで目が泳いでいる。

 何をどう繕ったら良いのかという迷いがその表情から感じられる。


「……」


 それを見たら、もう居ても立っても居られない。


「……嘘だよ」


 スタスタと教室の扉からその場で立ち尽くすようにしていた飾利の元へ歩み寄りその細くて柔らかい体を抱きしめる。


「えっ……」

「もう……っ! 冗談っ! 私がそんなこと言うわけないでしょ?」


「……っ!」


 体格では私のほうが身長が高くて腕も長いはずなのに、飾利の抱き返してくる力の方が強い。


 離れないでほしいって意図を感じて少し気持ちよくなっていると、ぐっと力で押し返される。


「なんで……なんで別れようって言ったの?」


 腕の中でこちらを覗く飾利の顔は、普段教室やイチャイチャしてるときに見る静かでクールで全てを悟ったような大人びた表情じゃない。


 涙を目に溜めて溢れさせ、眉を垂らし口を結んで子供のような泣き顔だった。


「構ってくれないから、いたずら。確認作業だよ」

「もう……そういう冗談はやめて……?」


 小さく、絞り出すように言う。


「うーんどうだろう」

「やめてよ……怖いから。京ちゃんと別れたくないのにそんなこと言われたら不安になっちゃうから……」


「本当に別れてほしいなんて言うわけないでしょ? 言う時は飾利からだよ」

「ぐす……京ちゃぁぁん」

「ほーら。涙とかで制服汚れちゃうから、あっ鼻水出てる」

「……出てないし」


 グズグズに泣きながらポケットからハンカチを渡すと子供みたいに顔を拭く。


 涙は止まらないで不安だったんだなってことが痛いほど伝わって、自分の冗談があまりにもこの子を悩ませたんだなってことを感じさせられる。


 はぁ……


 泣いてる姿、可愛いなぁ。


 美人で綺麗で静かで大人で厳かで品がある飾利がこんな子供みたいに顔をぐしゃぐしゃにして泣く姿が愛おしい。


 誰でもブサイクになってしまうであろう泣き顔ですら、飾利のものは儚さと美しさと愛しさが同居している。


 悲しんでほしい、怒ってほしい。


 私のやることで剥き出しの感情を子供みたいに見せてほしい。


 この子をイジメたい。


 クールでいつも感情が凪いでいる飾利だけど、私がいないと精神的には脆くてダメなんだ。


 そんな状況も嗜虐心が刺激される。


 大好きなこの子の心に少しだけ影を落として、その綺麗な顔が崩れる瞬間に私は身体の芯がどうしようもなく熱くなる。


 いつもの顔も、普段の飾利も大好きだけどより一層燃える。


「大丈夫、大丈夫」

「京ちゃん……大好きだから、どこも行かないでね」

「行かないよ。私も飾利が大好きだからね」


 行かないよ。絶対に離れない。

 ただどこかへ行くフリをして不安にさせたり悲しませたりするかもね。


 それで困ってる飾利の姿は想像でもどうしようもなく私のお腹の奥を疼かせる。


 そんなことを思いながら私は胸でまだ泣いている飾利の頭を撫でて抱きしめて不安を和らげてあげた。


 傷ついて欲しいわけでも、汚れて欲しいわけでもない。

 ただ可愛いから、ついイジメたくなっちゃうんだよ。


 その可愛い曇り顔も泣き顔も怒り顔も全部見たい。


 その顔を見るために私は徹底的に追い詰める。


 穏やかで淑やかな彼女がその凪いだ表情を崩してこちらを見つめる時、彼女が自分に心を許し、愛してくれるのだと伝わる。


 これはそういう愛の”確認作業”だ。


 だから私は常にきっかけを探してる。

 あぁもっと困って、曇って、怒って、泣いて……。

 その可愛い顔をいつまでも私だけに見せてほしいなぁ。

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