事件編

第1話 日常

瞼越しに光が射し込み、世界はもう明るいことを感じる。

眠りから目が覚めるように瞼を開くと、こちらに向けられた多くの知らない顔。

一人の女性が手を差し出して笑顔で言う。


「さあ、行きましょう」


その手を取ろうと伸ばされた、目に映るこの手は、自分のもの?

思考が覚束おぼつかず、まだぼんやりとした視界は、明から暗へフェードアウトする。

混濁した意識にまた飲まれそうになるが、強烈にフィードバックされた「深紅」がそれを拒む。

脳裏に焼き付く真っ赤に染まった自分の手。


「うわぁ゛ぁ゛ーーー!!」


叫ぶと同時に勢いよく跳ね起き、自分の尻尾を追い掛け回す犬のように、四つん這いでグルグルと周囲を慌てて確認する。

ここは自分の部屋で、ベッドの上だ。


「ハッ! ハッ! ハッ! ハッ! ハァー・・・っ スゥー・・・ ふぅっ」 


よっぽどうなされていたのだろう、身体は寝汗でぐっしょりと湿っている。

夢にしてはリアルすぎる解像度に、内容がアレだったから吐きそうで気持ちが悪い最悪な朝だ。


「はぁっ?! 今のは・・・夢?!  だよな?」


夢の中で夢を見ると、現実を認識出来なくなる時がある。

誰に確認する訳でもないが、夢の内容が嘘であってくれ、という意味も込めた疑問を一人呟く。

ベッドから降り、部屋のカーテンを開ける。

時計はもう少しで朝の6時を回るところだ。

窓から見える杢蔵山もくぞうさんの山頂から、ちょうど朝日が昇り始める、力強い朝だ。

空気を入れ替えると、冷たい澄んだ風が寝汗で湿った体を撫でブルっとなる。


「とりあえず、シャワー浴びるか」


オレ、天狗 䮼あまつ りんは、中学2年の時に両親を交通事故で亡くし、今は実家で一人暮らしの工業高校2年生。

残してくれた貯蓄と死亡保険金のおかげで、贅沢をしなければ特に不自由もなく、大学卒業までは生活もなんとかなる見込み。

朝飯はウインナーとカリカリに焼いたベーコンの目玉焼き、食パンにチーズとマヨネーズを乗せて焼いたもの、黒ゴマを少し乗せたシャンタンを使ったふわふわの卵スープ。

「しっかり食べないとダメよ?」は、母さんの口癖だった。


「今日もしっかり食ってますよー」


おかげで一番の特技は料理になってしまった。






「行ってきまーす」


誰も居ないけど、家を出る際には必ず言う様にしているけじめ的な感じかな?

自転車に乗って、街中の大通りから国道に出る。

横断歩道で信号待ちをしていると、後ろから声が掛かる。


「りーん! おはよー!」


息を切らしながら、キッと自転車にブレーキをかけオレの横に並ぶ。


「今日も早いねー! 私なんてほんとギリギリでさぁ、コーンスープとかちょっとしか飲んでなくて、もうお腹減ったよぉ~」

「お前なぁ、朝飯はしっかり食わないとダメだぞ? 成長しなくなんぞー」


と胸元辺りに目線を少し下げる。

ニヤッと意地悪な笑みを浮かべながら顔を少し傾け、オレが向けていた視線の視界に割り込んでくると


「りんは朝からエッチだねぇ~」


と茶化してくる。


「ばっ! おまっ! オレはそんなつもりじゃ!」


そういう事にまだ耐性のないオレはあたふたと取り繕うが、それを見て笑ってるコイツ、絹路 麗きぬじ れいに悪気は一切ない。


「ってかそれ、りんのお母さんの口癖じゃん」


れいとは物心ついた時から家族ぐるみの付き合いで、幼馴染だ。

うちのじいさんとれいのじいさんは昔から大の親友で、お互いを励まし合い協力しながら今までを乗り越えて来たとかって聞いた。

れいのじいさんなんて、建築会社を興して一代で県内トップ企業にまで上り詰めた傑物だ。

うちのじいさんはずっと前に他界したけど、それでも両親が交通事故で亡くなった時は、れいのじいさんが影ながら色々面倒を見てくれたのは今でも忘れない、本当に感謝してる。

頭の良いれいなら進学校に行けば良かったのにと思うが、何か思う所あってかオレと同じ工業高校に進学した。

いいとこのお嬢さんなのに勿体ない。

だがまあ、おじいちゃん子だから分からなくもない。


「あー、お腹へったぁ~! ねぇ! また今度りんが作った料理食べたいな!」

「えっ、いいのか? 俺なんかが作った料理で」

「うちのお母さん褒めてたよ~? りん君は料理上手ねぇ~って。 ってか美味しかったし!」


以前、れいの家にお邪魔した時に、せがまれた流れでキッチンを借りて料理したことがあった。


「それはそれでハードル上がるなぁ」


なんて話をしていたら学校に着いた。

駐輪場に自転車を停めようとしてたら


「んじゃ今週の土曜日ね! 必要な食材とかは私が買っておくから、後でメモ書いておいてー」

「え! って明後日じゃん! 明後日はオレやりたいこ「んじゃよろしくぅ~!」とが・・・」


あっという間に走り去って行き、もう見えない。

オレの予定はお構いなしですか、そうですか。

なら遠慮せずに食材のリストアップさせて貰いますよ? 霜の入った肉とか書いちゃいますよ?


オレは電気科、れいは建築科。

学科は違うけど建物の棟は一緒なので隣のクラスだ。

今日の授業は食べてみたい料理と食材のリストアップで頭が一杯だった。

学校も終わりのチャイムが鳴り、帰り支度を始める。

と、れいがクラスに飛び込んで来て、新種の生物か何かのように、両手を差し出しピョンピョン跳ねながら足踏みをし


「メモ! メモ! メモ!」


と早口でオレに食材リストのメモを要求する。


「おっ、おう」


若干顔を引き攣らせながら、カバンからメモを取り出して手渡すと、片手をシュタッと上げ


「じゃっ!」


と言ってダッシュで消えて行った。

その様子を見て、笑いながら


「毎度~おなじみ~夫婦漫才の~時間です~」


とふざけるクラスメイト。


「いや、ちり紙交換じゃねーし! ってか、いつの時代だよ!」


と突っ込んでおく。






「ただいまー」


帰宅した際には必ず言う様にしているけじめ的な習慣。

晩飯、風呂をやっつけた後、寝るまでの間がやっとゆっくり出来る時間だ。

今日もいつもと変わらない日常が終わろうとしている。

TVを流しながら適当にパソコン触って休んでいたら、脳裏に一瞬蘇る、真っ赤に染まった自分の手、強烈な「深紅」。

背中に寒い物が走るのを感じた。


「早めに寝るか~」


こういう時は「しっかりお腹を温めて寝る」といいらしいって母さんが言ってた!

それ本当?

目覚ましをセットして布団に潜り


「おやすみー」


また変な夢、見ませんように。






次の日、れいは学校に来なかった。




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