第12話 俺の信仰心

「皆、兵舎の方へ!!若い者は女子供、年寄りに手を貸して避難を急げ!」



住民の避難を任された騎士たちが、街のところどころで声を上げている。魔王軍の残党が街の近くまで来ており、街が襲撃される可能性が高いため、騎士団総出で住民たちを避難させているのだ。その中にアリシアやアルベルトたちがいないところを見ると、2人は部隊を引き連れて西の城門に行っているのだろう。



(確か騎兵なんちゃらと歩兵なんちゃらは西の城門へ迎えってアリシアが言っていたっけ?アルベルトは歩兵なんちゃらの団長だったはずだから、おそらくはそっちにいるんだろうな。)



そんな街の様子を窺いながら、俺は疾風のごとき動きで通りを駆け抜けていく。もはや88歳の高齢者とは思えない動きは、人の動きの限界を軽く超えている気もするが、その辺はもう気にしないことにした。とはいえ、避難している住人たちの中には、俺に気づいて驚いている者たちも何人かいる。

そんか彼らの表情に苦笑しつつ、俺の両脚と一緒にせかせかと働いている杖に目を向けた。おそらく、俺の体に起きていることはこいつのおかげだ。手に持った瞬間、今まで痛くて動かしにくかった体が突然軽くなり、さらには闘志的なものが胸の中に漲ってきた。正直、どういう原理かはわからない。だが、さっきの記憶によれば、俺は軍を引退した後、こいつとともに鍛錬と研鑽を積んできた。だから、自分を信じて今はこいつと一緒に孫の笑顔を守る。そして、双丘も。そう決めたのだ。



「避難はまもなく完了する!手が空いたものは西の城門に向かえ!」



騎士の1人が西の城門の方を指差してそう告げている。その姿を見て、この短時間でそれを成し遂げる騎士団の練度に驚かされる。どうやら住民たちの避難は無事に終わりそうだ。とりあえず安堵した俺は、さらに速度を上げて西の城門を目指す。





「状況は?」



西の城門の前。馬に跨り、城の外を見据えるアリシアにアルベルトはそう尋ねた。



「わかりません。が、奴らは確実にこちらへ進軍していますね。」



アリシアが指し示す方へ視線を向けると、遠く見える森の上で鳥たちが騒いでいる様子が窺えた。距離にして約1㎞ほど。アルベルトは肩に担いでいた大剣を足元に突き刺すと、小さくため息をつく。



「上級魔族がいるそうだな……」


「はい。兵の数は500程度ですが……。」


「雑兵はどうとでもなる。だが、上級魔族がいるとなると話は別だな。」


「そうですね。」



アリシアもことの重大さは理解しているのだろう。そう一言だけ告げただけで、あとは森の方を見据えるのみだった。


上級魔族はかなり強い。その強さは、騎士団の団長クラスが束になって戦ってやっと勝てるかどうかと言ったところ。アルベルトとアリシアは騎士団の中でも群を抜く実力を兼ね備えてはいるが、それでも勝てるかどうかは本人たちにもわからない。

加えて厄介なのは、上級魔族たちの情報が皆無であることだ。奴らは個体数が少ないため、それぞれが持つ魔法の属性や身体能力など、その全てにおいて情報がほとんどない。それ故、騎士団たちは対峙した直後から、奴らの全てに対処しなければ勝利はないのである。



「俺としては君がこの街に来ている時でよかったと思うが……それは不謹慎な考えだな。」



アルベルトが本音を溢す。アリシアはもともと、この街に駐在する騎士団ではない。彼女が率いる第一騎兵騎士団は帝都の防衛が本来の仕事で、今日彼女がここにいるのは単なる私用のため。ほとんど取らない休暇を取り、この街を訪れていた矢先のこの状況なのである。

だが、アリシアはそれを不謹慎だとは思わない。



「そんなことはありません。騎士たる者、いつ何時においても事あれば戦いに身を投じ、帝国のために尽くすのは当たり前のことです。」


「……そう言ってくれると心強いな。しかし、またなんでこの街に?」


「…………」



突然、押し黙るアリシア。そんな彼女の様子にアルベルトは疑問を浮かべる。ただ、冷静そうに見える表情にはどこか恥ずかしさのようなものが浮かんでおり、アルベルトはこれ以上追求するのは野暮だなと思う。彼女も年頃の娘だ。そういったことがあっても何もおかしくはない。

そんなことを考えていると、部下の1人が駆け寄ってきた。



「団長!第一陣、準備が整いました!いつでも出れます!」



その言葉を聞いて、アルベルトは気を引き締め直す。



「そうか。ならば、まずは我々第一歩兵騎士団が出陣するとしよう。まずは奴らを足止めする!」



アリシアもその言葉を聞いて、すでに気持ちを切り替えており、アルベルトの言葉に力強く頷いた。

と、その時だった。



「おい!じいさん!こんなところで何してるんだ!みんなもう避難してるんだぞ!」



その声に何事かと2人が振り向くと、そこには門兵に呼び止められている1人の老人がいる。それは2人がよく知る人物だった。



「なっ……!父さん!?」


「ダビドさま!?」



突然現れたダビドの姿に驚く2人。特にアルベルトの方はかなり心配している様子だ。だが、反対にアリシアはダビドの雰囲気がこれまでと違うことに気がついた。父親へ駆け寄ろうとするアルベルトをすぐさま呼び止める。



「アルベルトさま!少しお待ちください!」


「待つ?何をだ!父さん、早く避難して……」



アリシアの制止を振り切り、アルベルトがそう言いかけた瞬間、ダビドがいた場所に突然大きな砂埃が巻き上がった。そして、気づけばそこにダビドの姿はない。慌てて辺りを見回すアルベルトをよそに、アリシアは城門を一気に駆け抜けていったダビドの背を一人、うっとりとした表情で見送っていた。





少し前のこと。


俺は西の城門を視界に捉え、その足を急がせていた。すでに周りには住民たちの姿はなく、近くにいるのは騎士たちのみ。住民の避難が完了し、彼らもまた西の城門を目指しているのだと察する。



(いよいよ街の外か……)



街の外に出れば、あとは魔王軍と一戦交えることになる。どこまで戦えるのかもわからない。その不安はなかなか拭えない。記憶の中の俺は確かに強かったが、それが今の俺にも当てはまるのか見当もつかない。

そう考えた瞬間、さっきまでの自信が嘘のように萎み始めた。手にした杖からもどこか冷たさを感じてしまい、軽快に進めていた足がゆっくりとその速度を落としていく。



(本当に……本当に大丈夫なのか……?俺が魔族と戦うなんて……)



喪失しかける自信。それに追い討ちをかけるように、夢で見た悍ましい記憶が蘇る。認知症から目覚めた時、頭によぎった記憶。不明確で不確定にも関わらず、鮮烈な悍ましさを感じたあの記憶だ。そうして、気づけば俺は城門の前で足を止めていた。杖を持つ手も小刻みに震えている。



(お前は本当に俺に力を貸してくれるのか……?俺は魔族と戦って勝つことができるのか……?)



落とした視線の先にある杖に心の中でそう問いかけるが、杖は無言のままだ。この仕込み杖に意志があるとは思っていないが、こいつを持った瞬間に漲った自信は嘘ではないと思いたい。だが、みるみる萎んでいく自信に逃げ出したくなる衝動に駆られていく。目を瞑ればどうしようもなくて本当に逃げ出そうかと考えた矢先、浮かんだのはエマの泣き顔だった。



(エマ……)



泣き崩れるエマの前には、目に光を失って倒れるアルベルトやエリザ、アリシアの姿がある。それは現実ではないが、おそらく近い未来に起こる現実。



(そうだ……俺は孫の笑顔を守るって決めたんだ……)



そう思った瞬間、腹の奥底から闘志が湧いてくる。いつのまにか、手の震えも止まっている。



(それに、エマにどこへも行かないって約束もした……)



俺が認知症から復活した時のエマの顔が頭から離れない。孫のあんな顔なんてもう見たくない。なのに、それを邪魔する魔族のやつらに苛立ちが募っていく。何が魔王軍の残党だ。何が上級魔族だ。お前らの頭の魔王は死んでるんだろ?だったら大人しく奥地で隠居してろ。



「そうじゃ。わしの双丘への信仰は……誰にも邪魔させん。」



一人でそう力強く呟いた俺。何やら周りが騒がしいが、今の俺にはやるべきことがある。エマのため、双丘のために為すべきことをやり遂げなければならないのだから、構ってはいられない。


止まっていた両脚に力を込める。そして、閉じていた双眸を見開くと、その力を一気に解放した。

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