第9話 緊急事態

「ダビドさまの御武勇は、我々騎士団にとってはもはや伝説なのです。」



やっと落ち着きを取り戻したアリシアにテーブルへと案内された俺たちは、今彼女から一つの資料を見せられている。アリシアは目元の涙を指で拭いながら、そう言って資料の中の一つの写真を指差した。そこに視線を落とすと、かなり立派な軍服を纏った精悍な初老の男が写っている。



「これが……わし……?」



彼女はこれが俺だと言う。混乱さえしてしまうが、昨日の走馬灯に出てきた男にそっくりだ。もっと言えば、先ほどクロフォード家で見た肖像画の男とも同じ顔。エマからもあれは俺だと聞かされていて、そのことに気づいた俺はその事実を一瞬受け入れそうになる。

だが、すぐに頭でそれを否定した。俺には、アリシアの言葉は絶対嘘だと言い切れる自信があったからだ。なぜなら、写真の男は頭髪がふさふさで口元にはかっこいい髭を携えており、骨格や体格だって今の俺とは比べられないほどがっしりとしていて、これが自分だとは到底受け入れられないほどの容姿と体躯の持ち主だ。今の俺のようにツルツルでヨボヨボではない。

しかし、アリシアの瞳を見ると、嘘をついているとも思えなかった。



「ダビドさまは幼少の頃より、文武において類い稀なる才能を発揮されていたと聞いております。最終的に51歳の時に大将校という役職を皇帝陛下より授かられたと。この写真はその時のものですね。それまでの御武勇が皇帝陛下に評価され、大昇進をなされたのです。残念ながら、私はその時にはまだ産まれておりませんでしたが……ちなみに、大将校という役職はダビドさまのために設けられたもので、あなたが退役されてというもの今まで誰も就いてはおりません。」


「ほ……ほほ〜」



なんとも大それた話を聞かされ、つい変な声が漏れ出てしまう。この俺が文武両道で類い稀なる才覚?しかも大将校という名前からして仰々しい役職に就いていた?そもそも、大将校とはいったいどんな地位なのかもよくわからないし、この俺が皇帝に認められたなんて話もまったくを持って理解不能だった。これが記憶を失くしている弊害なのだろうか。

だが、アリシアだけでなく、エマや他の騎士たちもその話に同調して頷いている。中には何かを思い出したかのように再び泣き出す者もいる始末だ。



(これは……認めないといけない感じ……?)



正直、情報が多すぎて動揺は大きい。だが、みんなが言っていることは正しいのだろうと、頭の中で理解し始めている自分がいることもまた確かだった。過去の記憶がまったくない。今までのことを全部忘れてしまっているからこそ、アリシアたちの話の信憑性が自分の中で高まっている。だからこそ、これまでエマやアルベルト、アリシアたちから聞いた話と、突然頭に流れ込んできた走馬灯やクロフォード家にあった肖像画などの一つ一つが、ピースとして記憶にはめ込まれていく感覚にどこか不思議な感情を覚えた。


そんな時だった。



「か……!監視塔より伝令!伝令です!!」



そう叫びながら、1人の騎士が兵舎内へと飛び込んできた。その様子はかなり狼狽しており、息も切れ切れに「団長は!団長は!」と声をあげている。その様子を見たアリシアがスッと立ち上がった。その表情には明らかに不穏な空気が漂っている。



「第一騎兵騎士団、団長のアリシアだ!いったい何があったというのだ!」



堂々たる態度で名乗り出て、彼女は駆け込んできた騎士のもとへ急ぎ駆け寄った。その騎士もアリシアに気づいて近づき、息も絶え絶えに言葉を紡いだ。



「に……西の城門の先……かの西の森に、ま……魔王軍を確認!現在、こ……こちらに向かってる進軍中です!」



騎士がそう告げた途端、兵舎内に響めきが走る。想定はしていたが、このタイミングだと予想はできていなかったのだろう。騎士たちに不安の色が広がっていく様子を見て、よくわかっていない俺でさえ、事の重大さをすぐに理解できた。



「やつらの数と編成はわかるか?」



そんな中、一人冷静に情報を確認するアリシア。その様子はとても女性とは思えないほど漢らしさに溢れていて、そんな彼女の様子を見た騎士も少し落ち着きを取り戻したようだった。こちらに向かっている魔王軍の情報を正確に伝え始める。

話を聞くと、その数は500。数こそは少ないが、それを率いているのは上級魔族ということらしく、それを聞いて再び響めきが起きる。だが、俺はその辺について、いまいちピンとこなかった。名前からするに魔族の上位互換なのだろうが。



「エマや、上級……魔族?とはなんぞえ?」



エマにそう尋ねてみると、蒼白がかったエマがハッとする。その様子を見て、非常に由々しき事態であることが改めてわかる。



「魔王軍の多くは魔族で構成されています。彼らは従えた魔物たちで軍を編成し、その指揮を執るのが一般的ですが、稀に上級魔族が指揮を執ることがあるのです。」



ショックで言葉を失っているエマに代わり、アリシアが俺にそう教えてくれた。



「"上級"とつくだけに、奴らはかなり厄介な相手です。普通の魔族ならば我々騎士団の個々人で対応できるレベルですが、上級魔族は私やダビドさまのご子息など、団長クラスが数人で相手をしてやっと勝てるかどうか……。奴らは今、魔王を勇者に倒されたことでその統制を失い、戦い方が見境ない。戦術など一切意味を為さないのです。」



あれだけ凛々しかったアリシアの声が、少し小さくなった気がする。要するに、それだけまずい相手ということなのだろう。

だが、彼女は大きくため息をつくとすぐに表情を戻し、毅然とした態度で部下たちに指示を出し始める。



「皆、落ち着いて行動しろ!まず騎兵騎士団と歩兵騎士団に所属する者は西の城門へ集合し、隊を組め!それ以外の者は各団へ伝令後、街の住民の避難にあたれ!いいか!この街を絶対に守り抜くぞ!!」



その言葉に呼応して、兵舎内の騎士たちが一斉に動き出した。アリシアの言葉を聞いた彼らには不安などすでになく、街を守るために身につけている鎧を鳴らしながら各々の役割へと向かっていく。そんな満堂喧騒を極め、荒々しく騎士たちが動き回る中、アリシアはエマと俺に向き直るとゆっくりと口を開いた。



「エマ、あなたはダビドさまとクロフォード邸へ避難を。お父上が出陣されるのでエリザさまのこと、クロフォード家のことを頼みます。それと、もしあなたが先に父上に会われたなら、西の城門へ向かうようにと伝えてもらえますか?兵舎内はこのような状況ですので、万が一情報が彼に伝わらないことも考慮したい……」



エマは口こそ開かないが、アリシアの言葉にこくりと頷き立ち上がった。そして、目に涙を浮かべたまま、俺の手を引いて兵舎を後にした。


アリシアはというと、エマの背中を一瞥した後、自分の役割へと向かっていった。



クロフォード邸は兵舎から歩いて10分程度のところにあるため、エマは俺に気を遣いつつ、少しばかり早足で邸宅へと向かう。その背中にいろいろな想いを背負って。そんな彼女の背中を見ていたら、俺はどうしようもないほどの無力感に襲われる。

こんなヨボヨボな老人が戦いに向かったところで、一瞬で肉の塊と化すことは目に見えている。俺にできることは、もし万が一でも街の中に魔王軍が攻め込んできたら、エマやエリザのために肉の壁になることくらいだろう。あれだけ過去の自分の功績について聞かされたが、この有事に何もできないのなら過去の栄光などまったく意味を為さない。年老いた自分は孫の笑顔さえ守れないのかと痛感させられ、肩落とした。


その時だった。突然エマが立ち止まり、小さな声で俺を呼ぶ。



「お祖父ちゃん。」


「なんじゃ……?」



そう返す俺に対して、エマはゆっくり振り返る。大きな双丘をたゆんと揺らし、さらに言葉を紡いでいく。



「……こんなことを今のお祖父ちゃんに頼むのは間違ってるってわかってる。でもね、やっぱりこの街を守れるのはお祖父ちゃんしかいない。わたし……そう思うの。」



突然何を言い出すのかと驚きを隠せずにいたが、涙が浮かぶエマの眼には、何か決意が浮かんでいることに気づいた。それを見て、俺は無意識にこれから何をすればいいのかエマに尋ねていた。

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