第6話 あんよが上手
現在、帝国をはじめとする諸外国が存在するこの大陸の情勢は不安定である。その理由は魔王と人間との関係性にある。
この世界にはその昔、魔王が存在していた。魔王がなぜ現れたのかはわかっていないが、突如として現れた魔王は魔物や魔族で軍を編成し、各国へと攻め入った。魔王軍の力は強大であり、人は対抗できる力を持ち得なかった。もちろん魔王に慈悲などあるわけがなく、彼は暴虐の限りを尽くした。人間はなす術なく蹂躙され、それでもなお抗っていた。
そんな中、人間たちの悲痛な願いが女神に届いたのか。ある時、勇者を名乗る者が帝国に現れた。彼は魔族や魔物をいとも簡単に屠るほどの力を持っており、魔王討伐を宣言する。人類は歓喜し、勇者という希望の光は国から国へと渡りながら人の絆を紡いでいった。彼の志に賛同した人間たちは勇者とともに魔王討伐を目指し、ついに魔王を倒すことに成功したのである。
だが、魔王が討伐されてなお、魔王軍の残党は各地に身を潜め、機をみては各地で暴れているのだという。勇者は魔王討伐後から行方が知れず、人間たちは結局のところ自分たちの力で敵と戦うしかなった。
現在では、帝国を筆頭に多くの国がその鎮圧にあたっており、かくいう帝国の騎士団もまた、要所での守りを固めつつ魔王軍の殲滅に尽力している。
だが、最近どこからかよからぬ噂が聞こえてきたらしい。それは魔王を失ってなお、彼ら魔王軍が暴れているその理由について。
ーーー魔王復活。
その言葉に、世界中が大きな不安に包まれた。同時に、それは必ずや防がなければならない事実として人々の心に刻まれる。
……
「なんとも難儀な話じゃのう。」
あくる朝、エマと2人きりでお茶を楽しみながら聞かされた話に俺はため息をつく。
エマの話からすれば、現在この世界は紛争状態にあるということ。魔王軍の残党は神出鬼没で、最近では帝国近辺でも魔王軍の襲撃が度々起きているそうだ。彼らはいつどこに現れてもおかしくないため、都市の防衛を任されているアルベルトたち騎士団がその対応に追われているらしい。
(戦争かぁ……できれば起きてほしくはないけどなぁ。)
俺自身、88歳の老ぼれで少し動くにも時間がかかる。だから、もしこの都市に魔王軍が攻めてきて戦争が起これば、真っ先に死ぬことは間違いない。心なしか昨日より体が動く感覚はあるが、それでも高齢者の身体能力なんて高が知れているだろうから。
だから、そうなる前に。
そうなる前に俺は俺自身の夢を叶えなければならない。昨日の晩、眠りにつく前にそう誓ったのだ。
その夢とは……それはたくさんの双丘をできる限り崇めること。死ぬまでに崇めて崇めて崇め倒すこと。エマやエリザだけでなく、世界中の双丘を崇めまくってやるのだ。
……まぁ、足腰弱いヨボヨボ老人なので、そんなに歩き回れないんだけど。
窓の外を見ながら物思いに耽っていると、そんな俺を心配してエマがある提案をしてくれた。
「お祖父ちゃん。少し体の調子も良さそうだよね。今日は買い物に付き合って欲しいんだけど。」
買い物か。ゆっくりとしか歩けないから少し億劫な気もするけど。
少し考えた後、俺はエマの言葉に頷いた。
〜
俺とのお出かけの約束を取り付けると、彼女は車イスを取ってくると告げて部屋を出ていった。俺の足腰のことを気遣ってのことだろう。なんと優しい孫なんだと感動してしまう。
と、ふとある考えが俺の頭をよぎる。
(……ちょっと立って歩いてみるか。)
何でそう思ったのかはわからないが、昨日よりも動く自分の体に自信が出てきたのかもしれない。この部屋に来る時も、昨日とは違ってエマの肩を借りることなく腕組みだけで歩けたのだ。そんなことを考えながらイスの手摺りをしっかりと握りしめ、ゆっくりと腹筋に力を込めてみる。そのまま腰を少し浮かして、今度は両脚にも力を込めた。
(お?行けそうだ。)
そう思ったらあとは早かった。ゆっくりとではあるが、二本足でその場に立つことに成功する。床を踏み締める足は少し震えているが、決して無理をしているというわけではない。そのまま足を前に踏み出そうと脳みそに命令を送ってみると、意外にもすんなりと一歩踏み出せた。
「お祖父ちゃん!この車イスで出かけようよ!」
そのタイミングで部屋に入ってきた孫に、俺は二カリと笑みを向ける。
「エマ、立てちゃったぞい。あんよが上手じゃろ。」
両脚を震わせてながらダブルピースしてそう笑ってみたが、彼女からの返事が返ってこない。無表情のまま固まる彼女。そして、沈黙がその場を支配する。
(あ……あれ?)
どうしたのかと疑問が浮かんだ後、昨日もこんなことがあったようなとデジャブを感じた瞬間、エマが大声を上げた。
「マ……マママママ……ママァァァァァ!!!お祖父ちゃんが!お祖父ちゃんがぁぁぁぁ!!」
そう言いながら部屋から走り去って行くエマの背を見送りながら、俺はまたやらかしたなと反省するのであった。
〜
「もう……!立てるなら立てるって言ってよね。」
「すまんのぉ。今日は調子がいいみたいじゃ。」
頬を膨らませながらそう愚痴をこぼすエマ。そんな彼女にホッホッホッと笑い返すと、彼女も小さくため息をついて笑顔を浮かべた。エマが言うには、俺がまだ元気だった頃はよくエマの買い物に付き合っていたらしい。もちろん、エマの目的は俺に服を買ってもらうことではなく、俺と一緒にお出かけすることが大好きだったようだ。エマの話からはそれが伝わってくる。そうして、昔の思い出話を聞きながらエマからもらった杖をついて階段を降りていると、ふと大きな肖像画が目に入ってきた。
(なんともダンディな男の肖像画じゃな。そういえば、昨日頭に流れ込んできた記憶にも出てきた気がするが……)
そんな疑問を浮かべて肖像画を見ていると、エマが同じように肖像画を見上げて口を開く。
「お祖父ちゃん、昔はかっこ良かったんだよね。この写真を撮った時、私はまだ産まれてなかったからなぁ。」
「え……これ……わし?」
「そうだよ。これも忘れちゃってる?」
「……ん……あぁ……」
この精悍な男が自分だと聞かされて、反応に困ってしまう。エマもそんな俺の反応に一瞬だけ残念そうな表情を浮かべたが、気を取り直すように頭を左右に振って俺に笑顔を向けた。
「まぁ、大丈夫だよ!お祖父ちゃんのことだから、すぐに思い出すと思うしね!」
エマはそう言うと、父親から聞かされた俺の武勇伝を楽しげに話してくれた。そんなエマを見ていて、彼女も少しずつだが今の状況を理解し消化しつつあるのだろうと感じた。突然、寝たきりで死を待つのみの家族が起き上がったんだ。悪いことではないが、誰でも混乱はする。
しかし、人は悪いことも含めて、そういう壁を乗り越える力を持っているのだと改めて感じる。
よく笑うエマを見ていて、俺は微笑ましい感覚を覚えたのだった。
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