第3話 ゆめはうつつ
「旦那さま、そろそろ落ち着かれましたでしょうか。」
執事が金髪の男にそう尋ねると、男は一言「あぁ、すまない。」と溢し、親指で涙を拭いながら立ち上がった。突然部屋に入ってくるなり泣き出したので気づかなかったが、彼はかなり体格に恵まれており、立ち上がった時のその背丈につい驚いてしまう。
「父さん、私のことがわかりますか?」
先ほどとは打って変わり、力強い眼差しで彼は俺にそう問いかける。その目には強さだけでなく、俺に対する敬愛のようなものが感じられた。父さんと呼ぶということは、彼は俺の息子という事になる訳だが、そう聞かれても俺はどう答えていいかわからない。なぜなら、俺自身が彼のことを微塵も覚えていないからだ。もちろん、それは彼だけではなく、彼の後ろに一歩引いて立つ女性と少女、それに周りにいる執事やメイドたちのことも覚えていない。この家のことだって全く見覚えがないし、そもそも自分のことすらも……
申し訳なくなり、俺が一言だけ「すまん。」と告げると、彼は残念そうな表情を浮かべてゆっくりとため息をつく。
だが、すぐに真剣な表情に戻って執事に指示を出し始めた。
「主治医を呼べ。それと医師が来るまでの間、父に我々のことを伝えてみよう。記憶が戻るかもしれん。」
その言葉を聞いた執事は男にお辞儀すると、メイドたちに食事や飲み物を持って来るように指示を出して、すぐに部屋を出ていく。メイドたちも自分の仕事をこなすべく、丁寧かつ機敏な動きで部屋を退出していった。
俺以外でその場に残った3人は、何やら打ち合わせを行っているようだったので、することがない俺はふと窓の外に目を向けてみた。視界は相変わらずぼやけているが、彩り鮮やかな自然の風景が視界に映り、窓から入ってくる風も気持ちが良くてなんだか急に眠気が襲ってきた。
◆
心地よい睡魔にそのまま身を委ねる。微睡む思考は眠りの海を渡り、現実と夢の境にいるようなその感覚に快感を感じて、そのまま深く思考を落としていく。
何者かに手を引かれる感覚……
逆らうことなくその手を強く握る……
すると、気づけば見たことも行ったこともないような空間へ誘われていた。
見渡す限りに広がった空。白雲が浮かぶその空は、記憶にある青ではなく薄いピンクが混じり合い、神秘的でとても不思議な様相を醸し出している。そして、陸地は見当たらない……
「ここは……」
つい声を溢してしまうが、自分の声色が違う事に気づき驚く。それにさっきまで手を引かれていたと思っていたのに、自分の手も腕も見当たらない。
「……どういうことだ?これは夢……?それとも……」
すでに現実と夢の境はなくなり、今の自分が何者なのかすらわからなくなっている。ただただ、その場に佇んでいるだけだったが、それはそれで気分は悪くなかった。
しばらくして、神秘的な空間をただゆっくりと眺めていた自分に、どこからともなく透明感のある美しい女性の声が聞こえてくる。
どうか世界を……
その声は慈愛に満ち溢れていたが、どこか儚げでもある。
あなたにしか……できない……
彼女の言葉の意味はよくわからなかったので、問いかけようにも言葉を発することができなかった。そもそも、これは現実か夢なのかもわからないし、もはや自分が誰であるかも認識できないのに"あなたにしかできない"と言われても。残っていた思考でそんなことを考えつつ、あるのかもわからない目を閉じると、その声はさらに話をし続ける。
危機が迫っ……ます……
あ……じ……こを見つ……けて……い……
た……しい……おか……し……す……
かの……は……の前……に……
すでにはっきりとは聞き取れなくなった言葉たちが、耳を通り抜けていく。わかったのは危機が迫っているということだけだが、それがいったい何のことを示しているのかはわからない。
そうしているうちに、声は泡のように消えてしまい、残された自分は再び空を彷徨い始めた。
◆
「ぐぅ……」
「あれ?パパ、お祖父ちゃん寝てるよ。」
「なに!?」
アルベルトは娘のエマから、いつの間にか自分の父が眠りについていることを知らされて驚いた。すぐさま父のもとに駆け寄ってその肩を揺らす。
「父さん!起きてくれ!これから色々と話さないといけないんだ。」
「……ぬ……」
鼻提灯を携えて、気持ち良さそうに寝ている父を揺り動かす。妻のエリザはその様子を見て、「あらあら。」と天然全開で微笑んでいる。だが、頭を大きく前後に揺らされてなお、鼻提灯を膨らませながら寝ている父にアルベルトは痺れを切らしたようだ。
「父さん!!起きてください!!」
そう叫んで、アルベルトは父の肩を激しく揺さぶり始めた。頭がぐりんぐりんと四方に揺れても全く起きる気配のない父に、アルベルトはだんだんイライラしてきたようで、その揺さぶり具合もさらに激しさを増していく。
「父さん!!」
もはや、ゴム人形のように動く首。それでもなお、起きない祖父。
それを見ていたエマが、今度は痺れを切らして喝を入れる。
「パパ、やめて!お祖父ちゃんが死んじゃうでしょ!」
〜
どうやら俺は、いつの間にか寝てしまっていたようだ。少しだけ頭に霞がかかったような感覚を覚え、少しフラフラとしながらイスの上で小さく欠伸をする。
ふと視線を向けたその先では、なぜか少女に怒られている大柄な男がいることがとても気になるのだが。
眠りに落ちる前後で目の前の状況変化に頭が追いつかず、疑問符を浮かべると同時に、自分の首が痛いことに気がつく。
(ん?首が痛いな……あ〜もしやこれが迫る危機というやつか?……って、あれ?迫る危機ってなんだ……どこで聞いたんだっけ……)
自分自身でツッコんでみたものの、この記憶がどこから湧いたものなのか、なぜか思い出せない。人から聞いたのか、はたまた夢で見たのか。痛い首を傾げながらなんとか捻り出そうとしてみたが、気づけばお説教を終えた双丘……じゃなくて少女が俺の目の前にやってきて、俺の目を見てこう告げた。
「お祖父ちゃん、これから私たちのことや街のこと、それにお祖父ちゃんのことを説明するから、よく聞いてね。」
その優しい言葉に俺がこくりと頷くと、彼女は柔らかな笑みを浮かべて話を始めた。
そこでわかったことは、俺自身のこと。
目の前にいる男と女性は、俺の息子のアルベルトとその妻であるエリザ。そして、今話している少女はエマと言って、俺の孫にあたるということ。
(やっぱり……おじいちゃんってそういうことか……)
ここにきて初めて、俺は自分が置かれている状況を理解したのだった。
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