第1章 ジジィ、目覚める

第1話 生きてる?死んでる?

ほんのりと陽の熱を頬に感じる。重い瞼をゆっくりと開けると、窓から差し込む陽の光が眩しい。それと同時に小鳥たちの囀りが聞こえ、爽やかに吹き抜ける風が優しく顔を撫でながら通り過ぎて行った。


薄目を開けたまま、ぼやけた天井を眺めてみる。よく思い出せないが、どうやら俺は夢を見ていたようだ。

とても幸せな夢……目覚めてしまえば泡と消えてしまうそれの余韻に、口元が自然と綻んでしまう。



(もう一度……見たいな……)



もはや同じ内容の夢など見ることは叶わない。それが夢の良さでもあるのは百も承知だが、やはり残念な気持ちは拭い切れなかった。

半覚醒から完全に目覚めたところで、頭を切り替える。そして、体を起こそうと試みたが、ここで何かがおかしい事に気づいた。力を入れても思うように動かない手と腕。無理に動かそうとすれば、関節に痛みが走り、上手く起き上がる事ができないのだ。



(体が重い……それにところどころ痛みも感じる……?なんで……)



考えてみたところでその理由はわからないが、次の瞬間、突然脳裏にある記憶がよぎった。それはぼんやりとだが、それでいて悍ましさがはっきりとわかる記憶だった。


思いがけない記憶の回顧に驚き、つい咳き込んでしまう。とっさに手で口を塞ぎ、気持ちを落ち着かせようとゆっくり深呼吸して息を整え、目を閉じたまま最後に大きなため息を一つ。



(なんだ……今のは……。俺の記憶……なのか?)



そうやって考えてみたところで、記憶が曖昧すぎるので具体的な事は何一つわからない。唯一理解できたのは、あの悍ましい出来事は自分に起きた事だということ。その出来事が一体どんなことなのかは、全くわからないという矛盾は生じているのだが。


だが、例えそうだとしても正真正銘自分は生きている。それに変わりはないのだから、わざわざ悍ましい記憶を思い出す必要もあるまい。そんな不毛なことをするよりも、他にやるべき事があるはずだ。そう結論づけ、今の事は忘れる事にした。



(とりあえず、まずは体を起こそう……さっきの感じだとなんとかいけるはずだ……)



そう考えた俺は、起き上がる事に再チャレンジする。体は痛いが、少し無理をすれば起き上がれそうだ。なぜこんな状態なのかはわからないが、さっきの記憶が関係しているのであれば、事故か何かで怪我を負ったのだろう。

いまだに視界がぼやけていているせいで、ここがどこなのかは把握できていないが、いずれにせよ起きてみない事には何も始まらない。


肘を支点に腕に力を込め、そのまま腹筋に力を加えて起き上がろうと試みる。体全体に軋むような痛みが走るが、それでも体に鞭を打って上半身をなんとか起こしてみると、最初に見えたのは大きな本棚だった。そこには大小厚薄たくさんの書物がぎっしりと詰め込まれている……と思う。


と言うのも、視界がいまだにぼやけているのではっきりとわからないのが現状だった。とりあえず、ゆっくりと見渡してみれば、自分が部屋の一画に置かれたベッドの上にいる事は理解できた。



(視力が落ちているのか……?一時的なものならいいんだが……)



視界がはっきりしないというのは、やはり困るものだ。このままでは何も認識できないし、何をするにも不便極まりないのは事実であって……


そんな事を考えながら、ふと自分の手に視線が向いた。起き上がれたおかげで、上半身が自由になったおかげだろう。無意識に向けた視線の先に映ったのは、萎れた腕とシワだらけの手。



「な……なんじゃ……これは……?!」



これが自分の手なのかと驚いて自然と声が漏れるが、その声もまるで風邪を引いた時のようなしゃがれ声。とっさに喉に手を置いたまま、開いた口が塞がらない。



(これじゃ、まるで老人みたいじゃないか……!)



不安に襲われ、自分の姿を確認したい衝動に駆られる。だが、鏡はないかと部屋中見回したところで視界が悪いのでよくわからない。


もはや理解不能。頭が混乱し、ショートしかけている。自分に何が起きているのかわからず、その場から動くことすらままならなくなっている。



(俺はいったいどうなったんだ……やはり、先ほどの記憶が関係しているのか?だけど、その記憶も曖昧すぎて推測しようもないし……)



混乱している頭に無意識に両手を置けば、今度は別の意味で驚愕する。



「髪が……ない……?!」



事故で髪をなくす事があるのだろうか……いやいや頭を手術したのなら包帯が巻かれているはずだ。もしや、事故ではなく癌のような病気を患ってしまったのか?治療の副作用か何かで髪の毛が抜けてしまったというなら理解できるが、それはそれでまずくないか?


ペタペタと頭を触れば触るほど想像が想像を呼び、推測の連鎖が始まっていく。こうなるともはや自分では抑えようがなく、思考は悪い方向へとどんどん突き進んでいく。まさに負の連鎖である。


だが、髪のない頭を抱えて悩んでいると突然ノックが聞こえ、同時にドアが勢いよく開かれた。



「ねぇねぇ!咳き込んでたみたいだけど大丈夫?飲み物持ってきたよ!」



そう言いながら部屋に入ってきたのは金髪の少女。視界が悪いのではっきりとはわからないが、頭に2つ赤いリボンのようなものを付けている事だけはわかった。どうやら、先ほど俺が咳き込んだ様子を聞きつけて、飲み物を持ってきてくれたようだ。お茶のセットのような物を持っている事からもそれがわかる。



「あぁ……大丈夫じゃよ。問題ないぞぃ。」



咳き込んだのはちょっとびっくりしたからであって、もう落ち着いている。なので、そう伝えて安心させようとしたのだが、彼女からの返事が何故か返ってこない。そのまま、少しの沈黙がその場を支配する。



(あ……あれ?ど……どうしたんだ?いったい……)



あんなに元気よく部屋に入ってきたというのに、返事すらしないのはいったいどうしたものか。そう彼女の態度を訝しく感じていると、少女は突然持っていたお茶のセットを床へと落としてしまった。それがわざとなのかはわからなかったが、大きな音が部屋の中を駆け巡ると同時に、少女が大きな叫び声を上げる。



「マ……マママママ……ママァァァァァ!!!お祖父ちゃんが!お祖父ちゃんがぁぁぁぁ!!」


(は……?お祖父ちゃんって……?誰が?)


その疑問に対する回答はなく、少女はどこかへといなくなってしまっていた。

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