第5話

「上達したじゃん。明日は次の工程に進もうか」


 平野が笑みを浮かべた。

 二日目も玉ねぎの微塵切りに励んだ後、閉店した店内で平野と二人遅い夕食をとった。


「なんか……夕食泥棒ですけどいいんですか?」

「いつもひとりだから、すげぇ嬉しいよ」

「平野さんは彼女いないんですか?」

「いないよ」

「そう……ですか」


 菜々子の胸が高鳴った。



 三日目と四日目は、飴色玉ねぎのレッスンだった。


「じゃあ玉ねぎ炒めようか」と菜々子の肩を叩いた平野がケラケラ笑っている。


「菜々子ちゃんの飴色玉ねぎの話、忘れられないよ。破壊力抜群。可愛すぎた」


 そう言って菜々子の頭を撫でる。

 このまま時間が止まって欲しい、と本気で願った。


 地味な作業で時間がかかるくせに、少し油断すると焦がしてしまう。

 結局のところ『飴色』は、菜々子が思っていたべっこう飴よりも色が濃い、紅茶飴に近い色だった。


 五日目にやっと形になったハンバーグは、平野の手を借りて七十点。ゴールは近いかもしれない、と菜々子は思った。


 六日目。初めて菜々子ひとりで作ることになった。

 途中、平野から指示されたスパイスをハンバーグだねに振りかけた。


「これはなんですか?」

「ん? ……惚れ薬」

「えっ!?」

「冗談。……魔法のスパイス」


 白い歯を見せ、冗談に冗談を重ねる平野に目をやり、その笑顔を独り占めできる魔法のスパイスならいいのに、と菜々子は笑みを返した。


 閉店した店内に、香ばしい匂いが立ち込める。

 焼き上がったハンバーグを一口食べると、平野はなにも言わず箸を置いた。

 やっぱりまだ駄目か、と菜々子が少し肩を落としていると、平野はガスレンジの上の鍋の蓋を開け、食べかけのハンバーグにデミグラスソースをたっぷりとかけた。

 その様子を、菜々子はぽかんとして眺めていた。


「惚れ薬効いたかも」


 平野が笑う。


「え?」

「よく頑張ったね。満点だよ」

「えっ、本当ですか?」


 不意に涙が込み上げる。

 平野は優しく微笑むと、ハンバーグを頬張った。


「すげぇ美味いけど、本当はまだ満点あげたくなかったんだ」

「おまけですか?」

「違うよ。まだ菜々子ちゃんとキッチンに立ちたかったから」

「え?」

「毎日菜々子ちゃんとこんなに傍で一緒に料理出来て、すっげぇ幸せだったから」


 限界に達した涙が菜々子の瞳から零れ落ちた。



「半年前、カフェで菜々子ちゃんを見かけたんだ」


 平野は菜々子の涙を指で拭いながら話し始めた。


「パソコン開いて仕事してる格好いい菜々子ちゃんに一目惚れしたんだ」


 はにかんだように微笑んでから平野は俯いた。


「時々ぼーっと壁を見たり、ふっと何か思い付いたみたいな顔したり。それが、料理のアイデア閃いた時とか、盛り付け考えてる自分と重なって、なんかすげぇ創作意欲を掻き立てられてさぁ……」


 あの時だ、と菜々子は気付いた。平野のその表情には覚えがあった。あのメモ帳には、料理のアイデアが書き込まれていたのだろう。

 

「こっそり見てるだけじゃ飽き足りなくて、わざと時間遅らせて、菜々子ちゃんの視界に入る場所に座るようになったんだ」


 それが三ヶ月前ということに気付いて、菜々子の胸が熱くなる。


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